夢とロマンの横浜散歩(PART 4 OF 4)
小百合さんも日常茶飯事の生活から離れて時には『私の軽井沢物語』を手にしたこともあったのですよう。
そうですわね。。。考えてみたら、最近、いろいろと忙しくって本を読むどころではありませんでしたわ。
そうでしょう?。。。だから、たまには数年前のメールを取り出してきて読むのも無駄ではないですよ。
つまり、この事をデンマンさんは言いたかったのですか?
いや、違うのですよ。 僕はラフカディオ・ハーンのことで小百合さんと話したことを思い出したのですよ。
デンマンさんは小泉八雲にハマッてしまったのですか?
最近読んだ本の中では、最も興味深い人物なのですよう。
どういうところが。。。?
日本人の女性と結婚して、しかも日本に帰化した。それも明治29(1896)年1月に帰化したのですよう。。。日清戦争が終わった翌年のことですよ。 外国人が日本に帰化して、現在、日本人の間で知られている人物は、おそらく小泉八雲以外に居ないのではないか? 小百合さんは小泉八雲以外の人物を知っていますか?
いいえ。。。知りませんわ。
当時は人種差別が当たり前のような時代だったから、日本人の女性と正式に結婚するだけでも変わり者と思われていたのに、白人とは文化的にも人種的にも一段も二段も低いと見なされていた日本人が住む日本に帰化するなんて例外中の例外だと思いますよ。
つまり、小泉八雲は仲間から村八分にされてしまったのですか?
実際に仲間から排斥されたわけではないけれど、それ以来、八雲の外国人仲間との交際範囲が急に狭くなったそうですよ。
八雲が、そういう“変人”だから、デンマンさんは逆に興味を持つのですか?
そうですよ。。。僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね。 だから、小泉八雲の気持ちや考え方に共感する部分がかなりありますよう。
たとえば、どんなところですか?
共感するというより、まず感心するのは、当時、日本は西洋文化の全盛時代だったのに小泉八雲は人種差別を越えて、数段低いと見なされていた日本文化を見下すこともなく、日本人以上に日本人になってしまったところがあった。
たとえば。。。?
明治25(1892)年2月12日、八雲はチェンバレン氏に次のような手紙を書いているのですよ。
セツ夫人と
私が次のように申しあげるのをお聞きになったら、貴男はさぞ、ぞっとなさるでしょう。 つまり私には洗練された音楽的感覚というものが全然ないので、ワーグナーや知的な音楽を楽しみことが出来ないということです。 音楽的感覚というものは、勉強と機会によって徐々に習得されねばならないと聞いております。 これだけ申しあげてしまったのですから、もう少し申しあげましょう。
私は、日本人のプロの音楽、即ち、声楽を好きになれないのです。 私は、農民の震える声が、時々奇妙に絶叫するかのように破裂し、各所で途切れてメロディが小間切れになる、あの長く尾を引く哀調が好きなんです。 私は、これら歌の中には、非常に美しい、蝉や野鳥の歌さながらに、自然に思われる強烈なものを感じます。
(中略)
農民の歌には、庶民の心が感じられますが軍歌にはそれがありません。
232 - 233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社
この手紙に、八雲が日本人以上に日本人になってしまったところがあるのですか?
だってぇ、そうでしょう。。。とにかく明治時代になると文明開化で、日本的なものが見捨てられて、何でもかんでも西洋的なものを貴重なものとして受け入れていたのですよう。 チョンマゲは切るし、刀は駄目だということになり、猫もミーちゃんハーちゃんも西洋的なものを真似して着るようになった。 鹿鳴館などは、その最たるものですよう。 いわゆる日本の上流社会の人たちがドレスや燕尾服を着て社交ダンスを踊ったりした。 イギリスの大衆新聞などでは、日本人が猿真似していると馬鹿にしていた。
つまり、そのような西洋志向な風潮の中で八雲が農民の間で歌われている民謡に、素晴らしいものを感じていることに、デンマンさんは感動したのですか?
そうですよう。 日本人が日本の伝統的なものを捨てて、何でもかんでも西洋的なものを真似しようとしているときに、八雲は日本の素晴らしいものを見い出していた。
それは、外国人にとって日本の風物や伝統的なものが珍しいと思える程度のことではないのですか?
あのねぇ~、確かに外国人にとって日本の浮世絵とか民謡などは珍しいでしょう。 でもねぇ、同じ外人でも、たいていの人はチェンバレン氏のように考えていたようです。 彼は次のように書いてるのですよう。
もしミューズィックという美しい言葉を、東洋人が楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げることまで意味するほど低下させて用いなければならぬとするならば、日本には神話時代から音楽が存在したと考えてもよい。
(中略)
日本はいつの日にか、新しい第九交響曲を持って世界の人たちを魅了することがあるであろうか。 それとも、ただ俗悪な歌曲に沈溺して終わるであろうか。 著者はここに大胆な予想をするつもりはないが、期待されるところはきわめて少ないといわざるをえない。 イタリアの洗練された享楽主義も、ドイツ人の心からの誠実さも、スラヴ人の元気にあふれた感激性も、この国の人々の魂には根をおろそうとは思われないのである。
233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社
要するに、東洋音楽は、雑音以外の何ものでもない。 日本人には高尚な音楽は無縁だと言っているのです。
つまり、日本の音楽を理解する点でも八雲は例外中の例外だったとデンマンさんは信じているのですか?
そうですよう。 とにかく、たいていの外人が、日本の文化や日本人の知的レベルが西洋人、西洋文化と比べると数段低いと見下していたのですよう。
でも、文明開化で、西洋文化を吸収し、西洋に追いついて追い越せという日本人の熱意があったから、日本は昭和時代になって西洋社会と肩を並べて、やがて経済大国にもなったのでしょう?
そうです。。。僕が言いたいことは、日本には伝統的なものでも素晴らしいものがあった。 それにもかかわらず、西洋文化なら、何でも素晴らしいと思い込んで、日本的なものを何でも捨てて、西洋的なものを貪欲に吸収した。
でも、浮世絵などは、フランス人の画家などによって見出されたでしょう?
確かに、そうです。 でもねぇ、それは例外ですよう。 日本の音楽などは、チェンバレン氏が書いているように、楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げたりする俗悪なものと考えられて、まったく無視されたようなものですよう。
だけど、民族的な音楽は特に理解するのが難しいのではありませんか?
『ミューズィック』より
(2011年1月8日)
どうしてまた、小泉八雲のことなどを思い出したのですか?
あのねぇ~、小泉八雲以外の帰化人で日本語の名前を持っている人が僕の記憶から脱落していたのですよう。 そう言う時にヴォーリズさんに出くわした。
日本国籍を取得して、ヴォーリズさんは一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名したのですわね。
そうなのですよ。 僕はまったく知りませんでした。
私もヴォーリズさんに一柳米来留という日本名があるということを知りませんでしたわ。
米来留(めれる)という名前は「米国より来(きた)りて留(とど)まる」という洒落だというのですから、ヴォーリズさんはユーモアのある楽しい人だったのでしょうね。
つまり、その事が言いたかったのですか?
違いますよう。
いったい何が言いたいのですか?
あのねぇ~、僕と小百合さんはヴォーリズさんが設計した「睡鳩荘」へ足を運んだのですよう。 しかも、その「睡鳩荘」は軽井沢タリアセンに移築された後だった。
だから。。。?
小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」としてブログにデヴューした記念すべきイヴェントだったのですよう。 つまり、横浜の山手にも、軽井沢にもヴォーリズさんの作品が残っていることは単なる偶然ではないのですよう。 実は、小百合さんと僕をそのような形で引き合わせてくれたのですよう。
それはコジツケですわ。
いや。。。違います。。。ロマンですよう。 うししししし。。。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
こじつけですわよう!
あなただって、そう思うでしょう?
ところで、「睡鳩荘」が気に入っていたという朝吹登水子さんは、女子学習院を中退ののち、1936年にフランスに渡り、ブッフェモン女学校、パリ大学ソルボンヌに学んでいます。
それに、2度目のご主人はフランス人です。
朝吹さんは外国の大使や公使の方々とも、対等にお付き合いができるように頑張ったようでござ~♪~ますわ。
おそらく、他の華族のお嬢様方たちには真似のできなかった事だったのかもしれません。
そう言う点で朝吹さんが劣等感を克服したとも考えられます。
その総決算として晩年に、自伝三部作を書き上げたのかもしれませんわ。
でも、上流階級に育った、その生い立ちに憧れを抱く者もあったけれど反感も抱かれた、と書かれています。
なぜなのでしょうか?
とにかく、面白いお話が続きそうですわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを
夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
『あなたもワクワクする新世代のブログ』
■ 『バンクーバーの寒中水泳』
こんにちは。ジューンです。
どこの国にも“上流社会”と言うものが存在するようです。
昔は貴族とか華族と言われた人たちが居ましたが、
最近ではほとんどの社会で、
そのような制度はなくなりました。
それに変わって登場したのが
“セレブ”だとか“ハイソサイエティー”でしょうか?
つまり、有名人だとかお金持ちの集まりです。
でも、果たして、それが上流社会と言えるのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
暑さを笑って吹き飛ばしたかったら
ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。