ミッチブーム(PART 2 OF 3)
皇室が戦後になっても日本人の身近に感じられるようになったのは民間人出身の美智子さんが皇室に入ったからだと僕も思いましたよ。
あらっ。。。デンマンさんも、そう思ったのですか?
あのねぇ〜、実は、僕の親父までが美智子ファンになってしまったのですよ。
マジで。。。?
僕も半分呆れていましたよ。 でも、三島さんまでが美智子さんに消し去りがたい魅力を感じたのだから、僕のオヤジが美智子ファンになっても特別不思議な事ではないとも思いましたね。
あのォ〜。。。、デンマンさんのお父さんってぇ黒豚トンカツを食べた時に、お店の人にも無視されたのでしょう? うふふふふふ。。。
あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?
デンマンさんが次のように話していたではありませんか!
黒豚トンカツが旨いとみえて、あのお店は混んでいたわね。 私が最初にそのお店のドアを開けて入ったのだけれど、お店の人は誰もが忙しそうに立ち働いていて私に気づかなかった様子だったわ。 次にお父ちゃん(僕のオヤジ)がお店に入ったのだけれど、お店の人は相変わらず忙しそうで、お父ちゃんにも気づかないようなのよねぇ。 でも、次にあんた(僕のことです)が入ったと思ったら、お店の奥に居る人も、ウェイトレスも、皆、声を合わせるように「らっしゃい! イラッシャイ いらっしゃい! ラッシャイ!。。。」
まるで、どこかの大旦那が入ってきたように急に態度が変わったのよ! まったくアレッて、どういうのかしら? 私はどこかの、しょうもないバアさんだと思われたらしいわ。 全く無視されたのよ。 まあ。。。私が無視されたのは分かるけれど、小学校の校長先生まで勤め上げたお父ちゃんまでが無視されたのよ。。。
あんたには不思議なオーラがあるみたいなのよねぇ〜。
お袋。。。僻(ひが)むなよ。。。商売人は誰がサイフを持っているかを見極めるカンがあるんだよ! 金を払う人に対して気持ちを込めて「いらっしゃい!」と言うんだよ。
何言ってんのよ! お金を払ったのは私なのよ。
『黒豚トンカツ(2011年3月26日)』より
そうなのですよ。。。こういう事があったのですよ。
つまり、デンマンさんのお父さんは校長先生になったけれど、あまり風采が上がらないようなタイプなのですか?
どちらかと言えば小柄で、見た目がパッとしないような。。。とりわけ人目を惹きつけるようなタイプではなかったですよ。
でも、デンマンさんだって大旦那のように見えるとは。。。私は思いませんけれど。。。うふふふふふ。。。
あのねぇ〜、相対的な問題なのですよう。 黒豚トンカツ屋に入った時に、どちらが財布を出して金を払うか? 当時の親父は退職していた。 僕はカナダからやって来て、いかにも“洋行帰り”と言った感じでしたよ。 どこかしら平均的な日本人とは違って見えたのでしょうね。 お店の人の目にはオヤジよりも僕の方が常連さんになればいいな、と見えたわけですよ。
そんな感じのデンマンさんのお父さんが美智子ファンになられたのですか?
そうなのですよ。 しかも、当時は平教員だった。 美智子さんが書いた詩を基に作曲して、自分の受け持ちのクラスの生徒に歌わせて、それをテープに吹き込んで美智子さんに贈ったという、ちょっと信じられないような事をしたのですよ。
それで美智子さんは受け取ったのですか?
それが、受け取ってテープを聴いたようなのですよう。
どうして、そのような事がデンマンさんに判るのですか?
あのねぇ〜、美智子さんの自筆の手紙ではないけれど、多分、宮内省から派遣されている秘書の方だと思うのですよ。 その人が丁寧にお礼の手紙を書いて僕のオヤジに送ってよこした。 その手紙が僕の実家の床の間に飾られて“これを家宝にするんだ”とオヤジがマジで得意になっていましたよ。
マジで。。。?
僕は大真面目ですよ。 多分、今でも床の間に飾られてると思いますよ。 今度、小百合さんが行田に来た時には僕が見せます。
でも、デンマンさんのお父さんは小学校だけしか出てないのでしょう?
そうですよ。 独学で小学校の教員免許を取った人なのです。
。。。で、音楽も独学だったのですか?
そうなのですよ。 音楽の先生になり手がないので、音楽を取ると先生になり易かった、というような話を直接オヤジから聞いたような覚えがありますよ。
ピアノはどうしたのですか?
先生の免許を取る前に、オヤジは僕の母校でもある行田市立中央小学校の給仕をしていた。 だから講堂にあるピアノを使って独学したのですよ。 そのピアノは僕が小学校に上がった時にもありました。 しかも家に帰ってくると、印刷された鍵盤を畳の上に広げて練習していたそうです。 先生になってからも。。。僕が生まれてからも、家ではよくその印刷された鍵盤の長い紙を広げて練習していました。 僕が2歳か3歳の頃、親父の真似をしてその紙を持ち出しては、同じように指を動かしていたと、お袋が面白そうに話していましたよ。
でも、音が出ないでしょう?
もちろんですよ。 要するに、指の運び方を鍵盤が印刷された長い紙の上で練習していたのですよ。
作曲まで独学ですか?
あとで親父に尋ねたら作曲は、ある先生に師事して勉強したと言ってましたよ。 その作曲家の名前までは思い出せませんが。。。
でも、どうして美智子ファンになったのですか?
あのねぇ〜、親父にとって皇室は悪いイメージだったに違いない。 昭和天皇のために戦争しなければならなかった。 死ぬ目にあったのですよう。 小学校の先生になったけれど、赤紙で召集されて満州に飛ばされましたからね。。。、それから沖縄に転戦したのです。
あの激戦地にですか。。。? よく生きていましたわね?
沖縄本島ではなく宮古島に駐屯させられたので助かったと言ってましたよ。 その時、オヤジが戦死していれば、当然、戦後に僕は生まれなかったのですよ。 宮古島では食料が無くてカタツムリを食べて生き抜いたと言ってましたね。 それだけ苦労させられたのに皇室に対して好感を持っていられたのは、やっぱり民間人の美智子さんが皇室に入ったということが大きな理由なのだと僕には思えましたね。 美智子さんの実家は小百合さんが生まれ育った館林。。。行田とは目と鼻の先ですよ。
そう言われてみるとデンマンさんにもお父さんの血が流れているのが良く分かりましたわ。
ほおォ〜。。。また、どうして。。。?
デンマンさんも独学でピアノを習って意中の人・恵美子さんの前で「乙女の祈り」を弾いて聞かせたと言っていたじゃありませんか!?
あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?
いやですわ。。。次の記事の中でデンマンさんは自慢そうに書いていたではありませんか!
■『クラシック興味ある?』
(2006年6月13日)
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