うむうむ、ふむふむ人間(PART 1)
1970年代半ばだったと思うが、まだ航空運賃も高くて、こちら(アメリカ)の日本人は3年に1回くらいしか日本に帰れなかったころ、カラオケという言葉があっちこっちの雑誌に出始めていたのだが、こちらの友だちはみな意味が分からないと言っていた。
何か機械のようなもので、人びとが使っているものだが、空(から)の桶(おけ)でもなさそうだ。
それからしばらくして、どこかの雑誌に音楽と関係があるような箇所にその言葉が出ていたので、あ〜そうだこの言葉は空のオーケストラなんだと私なりに推測した。
でも実際に何が空のオーケストラなのか見当がつかなかった。
明確に分かるまで3年は掛かったと思う。
今よく雑誌に出ているのがコギャル。
これも分かったのは2か月前。
ギャルが俗語英語のGALであるというのも長い間分からなかったが、ギャルと単独でしばしば出てくるのでGALであろうと見当をつけたが、コが分からない。
でも援助交際のことを書いたものによく出くわしたから、高校生の高だと自分なりに解釈していたら、若い人が「小」のことだと教えてくれた。
どうも私の感覚では落ち着かない。
それから、今「ゲットした」とか「グレイトだ」とかいう表現が遣われているのを読むが、背筋が寒くなる。
こんな言葉を遣っていても英語を話す助けにはならない。
毎日英語を遣っていて、日本人と突然喋るとき、日本語が出ないで、英語になることもあるが、そんなときに出る英語はゲットとかグレイトではない。
ソフィスティケーション、アイデンティティというような言葉である。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
153-154ページ
『なんや、これ? アメリカと日本』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店
あらっ、デンマンさん。。。あたくしは上の文章はデンマンさんが書いたものだと思いましたわ。
あのねぇ〜、実は、僕も「コギャル」が分からなかったのですよ。 でも長い間「小さいギャル(GAL)」だと思っていた。 要するにアメリカかぶれしたティーンエイジャの、ちょっとオツムの足りないようなミーハーの女の子だと自分勝手に解釈していたのですよ。
日本でも「コギャル」がどのようにして生まれた言葉なのか? はっきりと分かっている人は居ないと思いますわ。 アメリカのファッションにかぶれた10代の女の子をそのように呼ぶ風潮が出来上がったようでござ〜♪〜ますわ。
僕も上の本を読んだ時に調べてみたのですよ。 ウィキペディアには次のように書いてありました。
コギャル
(kogal2.gif)
バブル崩壊後、それまで日本に専権していたDCブランドなどを用いた高級なファッションが淘汰されるようになり、1990年代前期よりストリートファッションなど「カジュアル」というキーワードをもったファッションが注目される。
又、10代の女性の間ではスーパーモンキーズの安室奈美恵の登場により彼女の装いを特に影響された者が続出した。
Wonder Woman
安室奈美恵 & 土屋アンナ
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この現象もしくは安室に心酔した彼女らの事をアムラーと呼び、10代の女性の多くが彼女のファッションである70年代風のサーファーファッション、LAファッションなど回帰的なファッションが流行を示した。
特に大きな変化が当時の日本人にはあまり馴染みがなかった茶髪に対する抵抗感がなくなった事が日本人女性の大きな変化と言える。
このファッションの流れを汲むのが狭義でのギャルの原点であるというのが定説となってる。
又、一般的に安室を「初代ギャルのカリスマ」とされた。
コギャルという言葉は上記のアムラーの発生とほぼ同時期の1990年代中期からの流行語、あるいは1993年頃からフライデーなどの媒体に記述が見られる。
但し、本格的にコギャルという言葉を使われ出したのは1996年頃からであり、特にファッションから若者の娯楽・風俗、あるいは経済効果まで既に1980年代までの女子大生・OLを中心とした女性の流行が女子高生・女子中学生を中心とした文化に変化していた事を認めざるを得ないのを象徴していた。
この当時のギャル・又はコギャルの年齢層は1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア世代の後半)の女性に相当した。
コギャルの語源についてはさまざまな諸説あるが、有力な説としてはディスコ・クラブにおいてエントランスチェックの黒服が、本来は深夜入場が不可な女子高校生を成人女性と区別するための隠語として「格好はギャルだけど、未だ本物のギャルに成りきれていない、格好だけのギャル」から、「カッコ(格好)・ギャル」と呼ぶようになり、その「カッコギャル」が縮まって「コギャル」となったものや、マスメディアが「コギャル」の「コ」を「子」ないし「小」であると誤認した結果であるとする説、あるいは「高校生ギャル」を略して「コーギャル(高ギャル)」からコギャルという言葉に派生した説もある。
いずれも検証は不可能ではあるが、10代の女性(特に女子高生)に対して使用された言葉であることには変わりはない。
出典: 「ギャル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ、このような事が背景にあったのでござ〜♪〜ますか? 知りませんでしたわ。 あたくしも、どちらかと言えば流行に乗って感覚的に使っていましたわ。 おほほほほ。。。
僕も最近まで漫然と自分流に解釈していたのですよ。
。。。んで、「うむうむ、ふむふむ人間」というのも「コギャル」と関係あるのでござ〜♪〜ますか?
いや。。。「うむうむ、ふむふむ人間」というのは僕が勝手に考え出しただけですよ。
どういう意味なのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、たまたまバンクーバー図書館から借りてきた2冊の本を読んでいたのですよ。
(lib20817.gif)
赤枠で囲んだ2冊でござ〜ますか?
そうです。
上の2冊の本の中にも「コギャル」が出てきたのでござ〜ますか?
いや。。。上の2冊の本には「コギャル」は出てきませんでした。
じゃあ、「ゲットした」とか「グレイトだ」とかいう表現が出てきたのですか?
いや。。。「ゲットした」も「グレイトだ」も出てませんよ。
それなのに、どうして上の2冊を取り上げたのですか?
あのねぇ〜。。。 上の2冊を読んでいたら同じ所で僕は引っかかって「う〜♪〜ん」と考えさせられてしまったのですよ。
いったい、どういう所に引っかかったのですか?
まず、『沈まぬ太陽 (四)』を読んでいたら次のような間投詞が目に付いた。
「え、お気持ちは変わらない---」 37
「あら、どなたかしら、やはり誰かが、駈けつけて下さったのね」 56
「まあ、よくおいで下さいました、どうぞ」 56
「あら、どうかしたの」 67
「やあ、国見さん、大変ですな、一番機を会長自らお見送りとは」 71
「あの……、私は、委員長のお兄さんとは、大学の同期でございまして……」 80
「ああ、そうですか」 80
「やあ、久しぶりだな」 114
「うむ、但し、小網代湾入口の両側には、定置網が仕掛けてあるから、注意しろよ」 129
「おや、轟(とどろき)はどこだ」 130
「さあ、夕食にしよう」 136
「うむ、絹子の淹(い)れる紅茶はやはり美味(おい)しいな」 227
「うむ、じゃあ、あとで」 267
「ふむ、家にいても仕方がないから、出てきたよ」 268
「いやぁ、驚きましたねぇ、このスクープ記事には」 282
「ほう、たとえばどんなことですか」 291
(注: 赤字はデンマンが強調。
数字はページナンバー)
『沈まぬ太陽』 会長室篇・上
著者: 山崎豊子
1999年11月15日 第7刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
つまり、間投詞の「うむ」、「ふむ」に引っかかったのですわね。 それで「うむうむ、ふむふむ人間」が居ると思ったのでござ〜ますか?
そうなのですよ。。。僕は「うむ」も「ふむ」も会話で使ったことも聞いたこともありませんよう。 卑弥子さんはありますか?
ござ〜♪〜ませんわ。
そうでしょう!?。。。だいたい、「うむ」も「ふむ」も明治時代の作家が書くものとか、時代小説に出てくるのですよ。 太平洋戦争後に生まれた者はまず使わないでしょう。
言われてみれば、確かに、あたくしの友達や家族や知り合いも「うむ」や「ふむ」を使いませんわ。
そうでしょう。。。山崎豊子さんは1924年、大正12年の生まれなのですよ。 大正生まれの人は使うのかな? そう思ったけれど、実は、僕の両親も山崎さんと同じ世代で大正生まれですよ。 だけど、「うむ」や「ふむ」と言ったのを一度も聞いたことがありませんよ。
デンマンさんは、それほど気になったのですか?
『沈まぬ太陽』だけを読んだのであれば、たぶん、こうして記事にする気にはならなかったと思うのだけれど、その後で松本清張さんの本を読んだのですよ。 そしたら、また出てきた。
(すぐ下のページへ続く)