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東電社員と愛の自転車(PART 2)

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東電社員と愛の自転車(PART 2)


不思議な死に方

軍医だった肥田(舜太郎)は、次から次へと村に逃げてきた被爆者を見続けることになる。

 (中略)

原爆で大やけどを負った人は、最初の3日間で死んだ。
しかし、その後、変な死に方をする人が出てきた。
軽いやけどしかないのに死んでしまうのだ。

 (中略)


(hiroshima.jpg)

そのうち、さらに不思議な死に方をする人が出てきた。
最初は若い主婦だった。
松江から来たというその女性は、原爆が落ちたときには松江にいた。
1週間後、夫を捜しに広島に入り、何日か焼け跡を歩いた。
肥田のいた村でやっと夫を見つける。
夫は重症だった。

ある日、女性が着物姿のまま、重症の夫の横で仰向けに寝ているのに気がついた。
風邪だろうと思って薬を与えた。
女性の容体は日増しに悪くなった。
顔色は青くなり、肌に斑点が出てきた。
斑点は、原爆を直接浴びた被爆者の皮膚に、死ぬ間際に出てきたものと同じだった。
女性は血をはいて、髪の毛が抜けた。
それからまもなく死んだ。

 (中略)

内部被爆の因果関係を証明するのは困難だ。
裁判で国は「内部被爆は無視し得る」と切って捨てた。
被爆者たちは論理ではなく、自らの体験を語るしかなかった。
その中で、被爆者の治療に当たってきた肥田の経験は大きかった。

2004年の大阪地裁。
肥田は証言台で、広島で経験したことを話した。
「このような議論をするとき一番大事な発火点は、人間として被害を受けた被爆者なんです。 それは、物理学者の議論でもなく、医学者の議論でもないのです」

2年後、大阪地裁で被爆者たちは勝利する。
国は控訴したが、棄却された。

 (中略)

「政府が被害を小さく見せようとし、事実をきちんと言わないから、住民の間で反目が生まれるのです。
そして住民の対立は、政府や東電にとっては都合のよいことなのです」
放射線は見えず、においもない。
被害はまだはっきりと分からない。
「被害が出てくるのはこれからです。 66年前の原爆で、被害者がいまだに国を相手に裁判を起こしている。
これが事実です」

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)



120-134ページ 『プロメテウスの罠』
(明かされなかった福島原発事故の真実)
著者: 朝日新聞特別報道部
2012年3月26日 第3刷発行
発行所: 株式会社 学研パブリッシング




つまり、もっとも無責任なのは政府だとデンマンさんは言うのですか?



その通りですよ。 上の本にも書いてある通り、内部被爆は確実に起こるのですよ。 肥田医師がそのことを裁判所でも証言した。 ところが政府は「被害を小さく見せようとし、事実をきちんと言わない」のですよ。

でも。。。、でも。。。、まだ「愛の自転車」が出てきませんわ。

小百合さんは僕をせかせるのですか?

だってぇ〜、そろそろ「愛の自転車」が出てこないと、これまで読んで来たネット市民の皆様方がムカついて他のブログへ飛んでしまいますわァ。

あのねぇ〜、そのような性急な性格の人は、すでに他のブログへ飛んでいますよ。 ここまで読んだら最後まで読みます。 小百合さんが心配することはないのですよ。

でも、私には他にやるべき家事があるのですわ。 デンマンさんの前置きは長すぎるのですわ。 もう、回りくどい話は結構ですから細木さんのようにズバリ!と言ってくださいな。

分かりました。 僕は『プロメテウスの罠』をたまたまバンクーバー図書館で見つけて借りてきたのですよ。


(lib20813.gif)



赤枠で囲んだ本ですか?



そうです。 僕は偶然この本を見つけて借りてきたのですよ。 そして、たまたま本の中で松江から来たという女性が広島で内部被爆して亡くなったというエピソードを読んだ。

その女性が「愛の自転車」と関係あるのですか?

小百合さんはずいぶんと先を急ぐのですね?

デンマンさん!。。。余計な事は言わなくてもいいですから、早く核心に迫ってくださいなァ。 んもお〜〜。。。

あのねぇ〜、その女性じゃなくて、その女性のエピソードを話した肥田医師と関係があるのですよ。

だから、どのように関係があるのですか?

僕はそのエピソードを肥田さんの口から聞いたのですよ。

あらっ。。。デンマンさんは肥田医師と面識があるのですか?

いや。。。僕は肥田さんに直接お会いした事はありません。

それなのに、どうして上の女性のエピソードを肥田さんから聞いたのですか?

夕べ僕は2005年から2011年までの日誌を引っ張り出してきて、そのエピソードを聞いた日時を特定しようとしたのですよ。 でも残念ながら見つけることができなかった。 でも、数年前に行田市に帰省した時に行田ケーブルテレビ(9チャンネル)で肥田さんの講演を聴いたのですよ。

肥田医師と行田が関係あるのですか?

あるのですよ。 肥田さんは戦後行田市で、労働者や貧しい人のための診療所をつくる運動に参加したのです。 その診療所でしばらくの間働いた。 その後、1956年に、行田市議会議員選挙に日本共産党から立候補して3位で当選したのですよ。 僕がテレビで聴いた公演は、その診療所の創立50周年記念日(?)の時に肥田さんが招かれて創立当時の話をした時のものだった。

デンマンさんが、たまたま行田に帰省した時にテレビで放送したのですか?

録画だったと思いますよ。 僕はその時の話をいつか記事に書きたいと思っていたのだけれど、肥田さんの名前をすっかり忘れてしまった。 「愛の自転車」というのは、その時肥田さんが話したエピソードなのですよ。

つまり、「愛の自転車」というテーマで肥田医師がお話になったのですか?

いや。。。僕が勝手に「愛の自転車」という題名を考え出しただけです。

。。。で、そのお話って、どのようなものなのですか?

あのねぇ〜、肥田さんが行田の診療所を創るということになって単身で行田市にやって来たのですよ。 しばらくして診療所も出来て仕事が軌道に載ったので奥さんを行田に呼んだ。 それで、行田の町を奥さんに案内しようと自転車の荷台に奥さんを乗せて町を見せて回ったら、それが町中の話題になってしまったというのですよ。


(bike500.jpg)



その話をデンマンさんは印象深く覚えていたのですか?



そうですよ。 「今度やって来た診療所の先生は、なんと愛の自転車に奥さんを乗せて町を見せて回るハイカラな人だ!」と行田市民は驚きと共に、呆れたり感心したりしたという話なのですよ。 面白いじゃありませんか!




【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
太平洋戦争が終わって間もない頃のお話なのでしょうね。
でも、自転車の荷台に奥様を乗せて町を案内したことがそれ程話題になってしまうものでござ〜♪〜ましょうか?

そう言えば、戦後キス・シーンが初めて日本映画にも登場して話題になったと言うのですから、アベックで自転車に乗る姿は熱々なラブシーンを行田市民は現実に見るような気がしたのでしょうね。
うふふふふふ。。。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

“天才と馬鹿は紙一重”

日本では、よく耳にしますよね。

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

次のように言えるでしょうね。

There is only a thin line

between genius and stupidity.

“天才と狂気は紙一重”

これは次のように言います。

There is only a thin line

between genius and insanity.

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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