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梅から桜の国へ(PART 2)






 
梅から桜の国へ(PART 2)



武士道と桜の花

桜の名所 弘前公園

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新渡戸稲造は、その後欧米の日本観に多大な影響を与え続けた『武士道』を1899年に出版した。
その序文にラフカディオ・ハーン、サトウ、チェンバレンと並べてフレイザー夫人の名を挙げ、これらの人々に混じって日本について英文で記述することは気が重い、と書いている。
サトウやチェンバレンは、日本を情緒的にというよりは、その歴史や風俗を客観的に叙述し、紹介したというのが当たっている。
ハーンはむしろ日本の昔話や怪談を通じて民族的な情緒や精神面に焦点を当てた。
この3人の著書は、その後も日本に関心をもつ人々の読み物として広く流布したが、それに比べればフレイザー夫人の書物は、流通した範囲が限られるように思う。
にもかかわらず、新渡戸稲造がなぜここに名前を挙げて言及したのだろうか。
おそらくしれは、桜への愛着を語り日本びいきの言葉を連ねるフレーザー夫人の叙述に新渡戸稲造が強く印象づけられれ、頭からそのことが離れなかったためではないか。

新渡戸は、この著書の冒頭で武士道を桜の花とともに日本固有の「花」にたとえて語る。
「武士道は、日本の象徴である桜と並んで、同じく日本の土壌に固有の花であります」
このように書き出されている。
フレイザー夫人の桜の記述を新渡戸稲造が意識していたことは間違いない。
新渡戸は、武士道の情緒的な側面を桜の花にたとえて語った。
また本居宣長の「敷島の大和心……」の歌や、国学の比喩を使った。
『武士道』の副題である「ソウル・オブ・ジャパン(日本人の心)」を説明するとき、桜をどうしても引き合いに出さずにはおれなかった。
桜を愛で、花見を楽しみ日本人への共感を叙述したフレイザー女史の英文の書物は、海外へ日本を紹介しようとする新渡戸稲造にとって、大きな意味を持つ参考書だったのである。

日本一長い桜並木多磨霊園・東京

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宮城県の船岡城址公園一目千本桜

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79-80ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所


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それで、武家政治が始まるとともに日本人の好みが梅から桜へと移っていったのですか?

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そういうことだと思うのですよ。 しかも桜はシドモア女史によってアメリカにも伝えられてゆく。


ポトマック河畔の桜

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ポトマック河畔の桜が誕生する直接のきっかけは、明治42(1909)年にさかのぼる。
当時ワシントンは、都市の改造計画が進められ、ポトマック河畔一帯の埋め立てが終わったころだった。
その後ここを整備して公園にすることは計画案に載せられていた。
都市改造の目標を環境整備に置く考え方は、第27代の大統領に就任したばかりのウィリアム・ハワード・タフトの夫人へレンが熱心だった。
このヘレンと長年のつきあいをしていたのがシドモア女史だった。

タフトが大統領に就任した年、1909年の春、シドモア女史はポトマック公園に日本の桜を植樹することを大統領夫人に提案した。
女史は、自分自身が体験した上野や向島の花見のすばらしさを語った。
そして日本から桜を移植して、ポトマック河畔に桜並木をつくり出すプランを提案したのである。
水辺の公園という立地からしても、おそらくシドモア女史の頭の中には、東京の桜、とくに向島の桜のイメージがあったのだろう。
彼女自身が「客種としては上野より劣る1万人の大衆のためのものだ」(『日本・人力車旅情』)と述べた向島の桜、すなわち日本の庶民の花見がモデルになっているはずだ。

シドモア女史から提案を受けたヘレン夫人は、この案にすぐに賛意を示し、実現に向けて行動を開始した。
当初、彼女は桜をどこかから購入しようとしたらしい。
ところがこの話が、ニューヨーク在住の高峰譲吉やニューヨーク総領事の水野孝吉の耳に入った。
高嶺譲吉はタカ・ジアスターゼやアドレナリンの発見者として著名な薬学者・化学者で、アメリカ人の夫人をもち、日米友好に尽くしていた。
彼らとシドモア、ヘレン、あるいは外務省、東京市長尾崎行雄らのやりとりがあり、そこから東京市が苗木を寄贈する案が生まれた。

 (中略)

ポトマック河畔へ最初に植えられた桜が残っているとすれば、西暦2000年には88歳になる。
ソメイヨシノや「サトザクラ」と総称される観賞用の桜の品種の寿命は、40〜60年といわれる。
ワシントンの1世はほぼなくなったであろうと想像される。

最近の調査は知らないが、1972(昭和47)年、これを入念に調査した日本人がいる。
賀集九平(がしゅうくへい)、アルゼンチンで桜を広めることに半世紀以上を捧げた人物だ。
彼は1915年から桜の研究をはじめた。
興津の試験場、のちの国立園芸試験場が最初の職場である。 (略) 1918(大正7)年、アルゼンチンに渡ろうと決心し、実行に移す。
それから半世紀以上にわたって、賀集はアルゼンチンに桜を広めた。

 (中略)

なお、賀集によれば、ポトマックの桜の由来は、さきに紹介したストーリーと少々異なる。
タフト大統領夫人に桜の植樹を進言したのは、植物学者のフェアチャイルドだという。
彼は電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルの女婿で、ベルが家族同伴で来日した時に同行し、日本で植物を研究した。
そして帰国後フェアチャイルド夫婦が日本桜の美しさを説き、タフと夫人に進言に及んだのだという。

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93-98ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所


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「ポトマックの桜」もずいぶんときれいですわね。。。で、デンマンさんは梅と桜ではどちらがお好きですか?

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梅も桜も両方好きだけれど、やっぱり日本人の気質には桜の方があっているかも知れませんよ。

どうして。。。?

次の花火のビデオクリップを見るとよ〜く判ります。

赤川花火大会 エンディング

2011.8.10

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(fire900.jpg)

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夜空にきれいに咲いてパッと散るところは桜の花そのものじゃありませんか!

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【卑弥子の独り言】

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ですってぇ〜。。。
あたくしだって太宰府天満宮にある「飛梅」ぐらい知っていますわよ。
んもおォ〜。。。ムカつきますわ。
これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している教職にある身なのでござ〜♪〜ますわ。

ところで、「東風(こち)吹かば。。。」には2つのバージョンがあるのですわ。

東風(こち)吹かば 

匂ひをこせよ 

梅の花

主なしとて

春な忘れそ

【初出:1180(治承4)年頃の編纂と考えられる『宝物集』巻第二】

東風(こち)吹かば

匂ひをこせよ

梅の花

主なしとて

春な忘るな


【初出:1005(寛弘2)年頃に編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春】

伝説の語るところによれば、菅原道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったというのでござ〜ますわ。
しかし梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んで行ったのですってぇ〜。

ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろしたのだそうです。
一方、ひとり残った梅だけは見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったというのですわ。
ちょっと眉唾ですけれど。。。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものとも言われているのでござ〜ますわ。
道真が自ら梅を植えたとも考えられるこの飛梅伝説は、他の地方にも見られ、若狭国大飯郡大島(現・福井県大飯郡おおい町大島半島の大島)の宝楽寺、備中国羽島(現・岡山県倉敷市羽島)、周防国佐波郡内(現・山口県防府市松崎町)の防府天満宮などが知られているのでござ〜♪〜ますう。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。

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ィ〜ハァ〜♪〜!

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もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

次のように言えるでしょうね。

There is only a thin line

between genius and stupidity.

“天才と狂気は紙一重”

これは次のように言います。

There is only a thin line

between genius and insanity.

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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