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ひまわりとピアニスト(PART 2)

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ひまわりとピアニスト(PART 2)





その部分は、それほど感動的やったん?



あのなァ〜、本ではピアノを弾くまでの描写が克明に書かれていて、ホーゼンフェルト少佐とシュピルマンの心の交流のようなものがそれとなくか行間に滲(にじ)み出ていたのやァ。 そやけど、その時シュピルマンが弾いたという曲をわては聴いたことがなかった。

つまり映画の中で、あんさんは初めてショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」を聴きはったのォ〜?

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そうなのやァ。



その曲が感動的やったん?

いや。。。もちろん、その曲を聴かなかったら、わての涙は出てこんかったと思うのやァ。 そやけど、感動というのは曲そのものではあらへん。 映画ではドイツ軍によるユダヤ人に対する残酷なシーンが原作では考えられない程のリアルなシーンで、これでもか!これでもか!というように映し出される。 残虐シーンに臨場している生々しい擬似体験をそれまでに、もう嫌と言うほど“体験”してるねん。 原作の中ではホーゼンフェルト少佐がショパンの曲を聴いて、言わば戦場にありながら心が洗われたような気持ちになったというような事を言っていた。 ショパンの曲を聴きながら、その原作のシーンが重なったというわけや。

つまり、あんさんも“心が洗われた”ような気持ちになったと言うのォ〜?

そうなのやァ。 まさに共感脳が刺激されたに違いない。

それで、涙を流すとスッキリしてストレスが消えると、あんさんも思いはったん?

そういうこっちゃ。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
あたしもデンマンさんに言われて観たのですけれど、残虐なシーンがいくつもあって、とっても怖かったですわ。
廃墟と化したポーランドの町で、崩れさった邸宅の居間にあるグランドピアノでシュピルマンさんがショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」を弾くのですけれど、やはり感動的でしたわ。
あなたも時間があったら、ぜひ『戦場のピアニスト』を観てください。

とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

『戦場のピアニスト』は、2002年に制作されたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作の映画です。

ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンさんの体験記を元にして制作されました。

カンヌ映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞しています。

また、アメリカのアカデミー賞でも7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞しました。

他にも各国で多くの賞を受賞しています。

監督はいい意味でも悪い意味でも有名なロマン・ポランスキーさんです。

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ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランスの首都のパリで1933年に生まれました。

3歳の時、一家はポーランドのクラクフに引越し、そこで彼は幼少期を過ごしました。

ポランスキーさん自身も第二次世界大戦中はドイツがクラクフに作ったユダヤ人ゲットーに押し込められました。

ゲットーのユダヤ人が一斉に逮捕される直前、父親はゲットーの有刺鉄線を切って穴を作り、そこから息子を逃がしたのです。

父母はドイツ人に別々に連行されて、母親はアウシュビッツでドイツ人に虐殺され、父親はドイツ人により採石場で強制労働をさせられ、終戦まで生き残ったのです。

またポランスキーさん自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡しました。

この体験が『戦場のピアニスト』にも深く影響を与えることとなりました。

『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートさんと、彼の生涯で2度目の結婚をしています。

しかし、ほどなくして1969年8月9日に、チャールズ・マンソン率いるカルト教団内でテートさんは惨殺されました。

テートさんは殺害された時、ポランスキ監督の子を身ごもっていました。

ポランスキさんはアメリカに絶望するのですが立ち直り、作品を撮り続けます。

しかし1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為(強姦・アナルセックス)をした嫌疑をかけられ逮捕されます。

裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受けます。

ポランスキさんは法廷の外では無実を主張。

「これは冤罪であり、少女とその母親による恐喝の対象になった」と述べています。

その後、保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡したのです。

以後アメリカへは1度も入国していません。

1978年にフランスに移り市民権を取得しました。

1979年の作品『テス』で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいたと言われています。

1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をしました。

2002年公開の『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞しましたが、アメリカに入国すると逮捕されるため、アカデミー賞の授賞式には出席しませんでした。

この受賞当時ポランスキさんは69歳と7ヶ月で同賞の最年長受賞者となりました。

でも、この記録はクリント・イーストウッドさんが74歳で受賞した2005年に破られました。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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