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ひまわりとピアニスト(PART 1)

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ひまわりとピアニスト(PART 1)






どうして涙を流すとスッキリするのか



ストレス解消には、思いっきり「号泣」した方がいい---。
私たちは、しくしくと静かに泣くより、わんわん声を上げて泣いた方がスッキリすることを経験的に知っています。
そしてこのことは、共感脳が興奮し、号泣トリガーがはっきり現れたほうが、ストレス解消効果が高いことから、事実であることが証明されました。

(中略)

また、共感の涙は「共感」しなけらば流れません。
ですから、泣くためには共感に至るプロセスが、どうしても必要です。
私は涙の実験に『火垂るの墓』という作品をよく使うのですが、おもしろいことに、以前にこの映画を見たことのある人の方が、初めて見る人より早く泣けるのです。 ... 以前見て泣いたときの「経験」が、共感に至るプロセスを短縮させてくれるからです。
そして、泣き方も以前見て泣いたことのある人の方が、激しかったのです。

実は私にもそうした「すぐに泣ける」作品が一つあります。
私の場合は音楽なのですが、『ひまわり』というソフィアローレンとマルチェロ・マストロヤンニの主演映画のテーマ曲を聴いただけで「泣ける」のです。
これも過去にその映画を見て泣いた経験があるので、音楽を聴いただけで映像が走馬灯のように甦(よみがえ)り、「涙」のスイッチが入ってしまうのです。



(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストと写真はデンマン・ライブラリーより)



166-167ページ、175-176ページ
『脳からストレスを消す技術』
(セロトニンと涙が人生を変える)
著者: 有田秀穂
2010年5月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社 サンマーク出版




デンマンさん。。。実は、わたしも『ひまわり』を観ると、どうしようもなく泣けてしまうねん。



めれちゃんも、そうなのかァ〜!?。。。確かにあの映画には人を泣かせるシーンがあるからなァ〜。

もしかして、あんさんも『ひまわり』を観て涙を流しはったん?

そうやァ。

マジでぇ〜。。。? ホンマかいなァ〜。。。?

めれちゃん!。。。 血も涙も無い冷血動物を見るような目で、わてを見て欲しくないねん。 わてにも切れば、体中に赤い暖かい血が流れておるのやでぇ〜。。。

あんさんが『ひまわり』を観て涙を流しはってるシーンをわたしは想像することができまへん。

わてはフランケンシュタインの怪物でもドラキュラの吸血鬼でもないのやでぇ〜。。。わてにも共感脳があるのやァ。

つまり、あんさんは今でも『ひまわり』を観ると涙を流しはるのォ〜?

いや。。。もう『ひまわり』をみても涙が流れへん。

どないなわけで。。。?

あのなァ〜、わては『ひまわり』を少なくとも5、6回観ている。 それに、あのテーマ・ミュージックも嫌と言うほど聴いてるねん。 そやから、わての心は、ある意味で鈍感になってしもうとる。 どんなに好きなものでも、毎日食べていたら、やがて見るだけで「もう、たくさん!」になってしまうねん。 どないに好きな曲でも毎日毎日聴いていたら、やがて、それほど感動しなくなってくるねん。 それどころか、もう聴きたくない!。。。という風になってくるものやねん。

そないなことはあらへん。 わたしは好きなものはいつまでも好きですねん。

それは、めれちゃんがまだ嫌いになるほど観たり聴いたりしておらんからやァ。 例えば、子供の頃好きだったものが嫌いになったり、嫌いだったものが好きになったりする。 つまり、好きなものも年とともに変わってゆくものやねん。

そないなことはあらへん! わたしは好きな物はいつまでも好きですねん。

それは。。。何と言うかァ。。。めれちゃんの嗜好が変わるほど人生の年輪を重ねておらんからやァ。 40歳の声を聞くようになれば、めれちゃんの嗜好も変わってくるものやねん。

そうやろか?

そういうものやねん。

そやけど、上の本を書いた有田さんという人は40歳をとっくの昔に越えているのやろう?

そうやァ。 有田さんは1948年生まれということやァ。

それやのに、『ひまわり』という映画のテーマ曲を聴いただけで「泣ける」のです、と書いてますやんかァ。

そやから、そういう人もおるのやがなァ。 この世にはさまざまな人がおるさかいに、そういう人が居(お)っても不思議ではあらへん。

あんさんが一般の人と違っているだけやと、わたしには思えますねん。 

いや。。。『ひまわり』を観ても、もう泣けない人も結構居(お)ると、わては思うでぇ〜。。。

どうして泣けへんのォ〜?

あのなァ〜、『ひまわり』を観ていると、わてを頭上のどこかで見下ろしているもう一人のわてがおるねん。 それでその、もう一人のわてが言うねん。 「いいかげんにしいやァ〜。。。何度も何度も同じ映画を観てるくせに、また同じような音楽を聴いて、同じような所で涙を流すのかァ〜? いい加減にせ〜へんかい! オマエはアホかァ〜! そんなオマエを見てると、わては気恥ずかしゅうなってくるねん。 牡丹餅を毎日毎日食べてみィ〜なァ。 もう見るだけでゲップ出てきよるのやでぇ。。。いいかげんに『ひまわり』を卒業したらどうやねん?」

それで、あんさんは『ひまわり』を観ると白けてしまいはるのォ〜?

そういうこっちゃ。

それは、あんさんだけの個人的な受け止め方とちゃうん?

わてのように思う人も居ると思うでぇ〜。。。

つまり、あんさんには、もう泣けてしまう映画な無いと言いたいん?

ところが夕べ、わてはバンクーバー中央図書館から借りてきた赤枠で囲んである次のDVDを観たのやァ。


(lib20920.gif)



"The Pianist"という題名の映画やのォ?



そうやァ。

それで記事のタイトルを「ひまわりとピアニスト」としやはったん?

そういうこっちゃ。

その映画を観てあんさんは号泣しやはったん?

あのなァ〜、号泣する寸前までいったのやァ。

マジで。。。?

ところが、わてはマンションで一人きりで観たのではあらへん。

あらっ。。。もしかして。。。もしかして。。。ダイアンさんと一緒に観やはったん?





いや、ちゃうねん。 マンションにはテレビも無いし、わてのパソコンはハードに問題があって、現在DVDを観ることができへん。 そやから、当然すぐそこのコミュニティ・センターのJoe Fortes Library で観たのやがなァ。





この図書館の中で"The Pianist"を観ながら、あんさんは号泣しやはったん?



泣けるかいなア! 周りに仰山(ぎょうさん)人がおったのやがなァ。 そないな所で大の男が大声出して泣けるわけないやろう!

つまり、あんさんは必死になって涙が流れるのを押さえ込みはったん?

そうなのやがなァ!。。。そやけど、涙が流れてきたのや。 声を押し殺したのやけれど、肩が泣きだして。。。、わての体全体が感動で震えてくるのやがなァ。。。こればかりはどうしようもない。

そないに感動的な場面があったん?

そうなのやァ。 

どないな話やねん?

つぎのようなあらすじやァ。


The Pianist

(戦場のピアニスト)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/itR0-I9idXk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

ウワディスワフ・シュピルマンはポーランドのユダヤ人ピアニストであったが、1939年9月、その生活は一変する。
第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツはポーランド侵攻を開始、ラジオ局はドイツ空軍による突然の爆撃を受け倒壊するが、その場で演奏していたシュピルマンはなんとか脱出する。
脱出の混乱時、友人ユーレクの妹、ドロタと出会う。
帰宅した彼は、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告をしたことを海外のラジオ放送で知り、戦争は早期に終結すると信じて家族と共に喜ぶ。

ドイツ軍が通過したあともワルシャワは親衛隊と武装警察に占領され、ユダヤ人の生活は悪化した。
まずユダヤ人は家族ごとに保有できるお金の額が制限され、やがて青いダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられた。
1940年後半にはユダヤ人たちはワルシャワのゲットー地区に押し込められ、飢餓、迫害、そして死の恐怖に脅かされた。
ゲットー内にはユダヤ人ゲットー警察の警察署が設置され、署長のヘラーはシュピルマン一家に少しでもましな生活ができるようにとの配慮からシュピルマンに警察で勤務するように持ちかけるが、シュピルマンはその申し出を断りヘラーを激怒させてしまう。
しかし、シュピルマンの弟が警察に逮捕された時、ヘラーはシュピルマンの懇願を受け特別に釈放させる。
 
ある日、親衛隊の命令により、シュピルマンとその家族はその他多くのユダヤ人と共に財産を取り上げられて戸外に集められる。
労働証明書の有無に関係なく、収容所に移送されることになったのだ。
ユダヤ人たちは駅近くの広場に集められ移送を待つ中、最期を悟ったシュピルマンの父は、全財産をはたいて少年からキャラメル一個を買い家族で分け合う。
ほどなく彼らは収容所行きの家畜用列車に乗せられるが、シュピルマンだけは警備に当たっていたヘラーの機転で救われその場を逃れる。

家族らと引き離されたシュピルマンは、ゲットー内での強制労働に従事することを余儀なくされる。
ここでシュピルマンは、ドイツがユダヤ人抹殺を計画しているらしいこと、そして生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知る。
建設労働をさせられていたシュピルマンは過酷な強制労働に耐え切れずに倒れてしまうが、仲間の配慮で倉庫番や食料調達の仕事に換わる。
シュピルマンは蜂起への協力を志願し、ゲットーへの武器の持ち込みを手伝う。
食料調達のため街(ゲットー外)に出かけた時に市場で知人女性ヤニナを見かけ、彼女を頼ってゲットーの外に脱出することを決意する。

ゲットーを脱出したシュピルマンは、ヤニナとその夫アンジェイが加わる反ナチス地下活動組織に匿われて、ゲットーのすぐそばの建物の一室に隠れ住むようになる。
ほどなくユダヤ人たちのワルシャワ・ゲットー蜂起が起こり、シュピルマンは部屋の窓からドイツ軍との激しい交戦を目の当たりにする。
蜂起は、ゲットー内のほとんどすべての人が殺される結果に終わる。

その後の一年でワルシャワの状況は一層悪化する。
シュピルマンは隣人に存在を気付かれ、最初の隠れ家から逃避しなければならなくなった。
アンジェイに手渡されていたメモを頼りにその住所の家を訪ねると、ドロタが出て、ミルカ(ドロタの夫)に匿われる。
次の隠れ家はドイツ軍の病院の向かいにあったが、支援者からの食料差し入れが滞り、内臓疾患で死にかけたこともあった。
1944年8月、ポーランド人の抵抗勢力はワルシャワ蜂起を起こした。
その結果、ワルシャワは壊滅してほとんど住む者もいなくなり、シュピルマンは廃墟の中で完全に孤立無援となった。

ある日、廃墟の中で食べ物をあさっていたシュピルマンは、連絡拠点設営の下見に来ていたドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに見つかる。
シュピルマンを尋問し、ピアニストであることを知った彼は、ピアノで何か弾くよう命じる。
その演奏に感銘を受けたホーゼンフェルトはシュピルマンを屋根裏部屋に匿い、定期的に食料を与えた。

やがてソ連軍の攻勢に対してドイツ軍はワルシャワからの撤退を余儀なくされる。
別れ際にホーゼンフェルトはシュピルマンの名前を尋ね、彼の演奏を再びポーランドのラジオで聴くことを約束する。
そしてシュピルマンが凍えて寒そうにしていることに気づいたホーゼンフェルトは、もっと暖かいものを持っているからと着ていた軍服のコートを渡して立ち去る。
その後、ワルシャワはソ連軍により解放され、廃墟から出てきたシュピルマンはドイツ兵のコートを着ていたためにソ連兵に危うく殺されかけるが、難を逃れる。

終戦後、強制収容所から解放された者たちが帰路を歩いていると、道のわきに捕虜となったドイツ兵らが集められた場所に通りかかり、捕虜たちを見て悪態をつく。
ホーゼンフェルトも捕虜となっており、悪態をつく彼らの中に音楽家がいると知って、「私はシュピルマンを助けた」とシュピルマンの知人の音楽家に訴える。
シュピルマンはラジオ局でピアノ演奏に戻っていたが、連絡を受けたシュピルマンがやってきたときには時既に遅く、その場所には空き地が広がるだけであった。



出典: 「戦場のピアニスト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




シュピルマンを助けはったドイツ軍将校はどうなったん?



シベリア送りになって1952年に死んでしまった。 

結局、シュピルマンさんは助けることができへんかったのねぇ。。。それで、あんさんは、どこで号泣しようとしやはったん?

ドイツ陸軍のホーゼンフェルト少佐がシュピルマンを尋問し、ピアニストであることを知った彼は、ピアノで何か弾くよう命じるねん。 この時、シュピルマンがショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」を弾くのやァ。

あんさんは、このピアノ曲を聴きながら肩を震わせて泣きはったん?

かっこ悪いから泣き声は必死に歯をくいしばってこらえたのやァ。

あんさんは意外に感傷的なところがあるのやねぇ〜。。。

めれちゃんは、そう思うのかァ〜?

そやかて、あんさんがピアノ曲を聴きながら泣き声を必死でこらえ、肩を震わせて泣きはったなんてぇ、ちょっと想像できへん。 それほど感動的やったん?

あのなァ〜、わては原作を読んで、すでに感動しておったのや。 この原作にはいろいろなエピソードがあって、戦争直後のポーランドで『ある都市の死』(Śmierć miasta)の書名で1946年に刊行されたのやァ ところが冷戦下のポーランドでは、主人公シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないため、やむなくオーストリア人としたのやけれど、ポーランド共産主義政権の手によりすぐ絶版処分となったしもうたのやァ。

それで、どうなったん?

1960年代になって、ポーランド国内での復刊の試みもあったのやけれど、ポーランド政府による妨害にあい、ポーランド国内外で再版されることはなかったのやァ。 やがてソ連が崩壊して、シュピルマンの息子アンジェイ・シュピルマンさんが復刊に取り組み始めた。 ドイツで独訳版が出版されたのが1998年。 イギリスで英訳版が出版されたのが1999年。 わては日本語版を読んだというわけや。

 (すぐ下のページへ続く)





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