異邦人と他人(PART 2)
フランス語の原書やのうて英語の本で読みはったん?
バンクーバー図書館には日本語訳の本がなかったさかいに英語の本を借りて読んだのやがなァ。 いずれにしても、ムルソーの考えている事とレンゲさんの上のメールが共鳴していると、わては思うたのやァ。 めれちゃんも、そう思わへんか?
共鳴しているってぇ。。。?
つまり、結婚と言う枠(わく)の中にはめられるのが、わずらわしい。 ムルソーにとって結婚とは、レンゲさんが言うように正に束縛するモノなのかもしれへん。 ムルソーは、とりわけ結婚を真剣に考えてみたこともないし、どうでもいいと思っていたはずや。 確かに、マリーが言ったようにムルソーは変わり者やねん。
あんさんは、レンゲさんとムルソーが同じように結婚を考えていると思いはったん?
いや、レンゲさんが全く同じように考えているとは思わへんかった。 そやけど、上のレンゲさんからのメールを読んだ時に、「異邦人」の上の箇所が思い浮かんできたのやがなァ。
あんさんは初めて読みはったん?
いや。。。学生の頃一度読んだことがあるねん。 たまたまtanomuさんが「異邦人」の事を書いていたので、読み直してみようと思って何十年ぶりかで本を借りて読んだわけやァ。
それで、レンゲさんとムルソーが似ていると思いはったん?
そうやァ。。。特に、ムルソーが次のように書いているところを読んで、なるほどと思うたのやァ。
マリーは黙ったまま、何も言わずにしばらく僕をじっと見ていた。
それから話し出した。そして次のようなことを知りたがった。
もし僕が、ちょうどマリーと同じような状況で関係している女性が居たとして、
その女性から結婚したいと言われたら、同意するのかって。。。?
うん、同意するよって、僕は答えたよ。
どいういうことォ〜。。。?
つまり、レンゲさんには清水君というれっきとしたボーイフレンドが居た。 毎日愛し合っていたのやァ。 少なくとも表面的には相思相愛の萌え萌えのカップルやったのやァ。
それで。。。?
それにもかかわらず、レンゲさんはバンクーバーにやって来た。 怖い寂しい。。。そう言って、わての部屋にやって来て、わての腕に抱かれて眠ったのやァ。 もちろん、エッチはしなかったけど。。。清水君がその事を追及してレンゲさんに尋ねたとしたら、レンゲさんは、おそらくムルソーのように答えたやろなァ。
清水君は黙ったまま、何も言わずにしばらくレンゲさんををじっと見ていた。
それから話し出した。そして次のようなことを知りたがった。
もしレンゲさんが、ちょうど清水君と同じような状況で愛し合っている男が居たとして、
その男の部屋に行くことがあったら、その男の腕に抱かれようなことがあるのか?
うん、抱かれるかもしれない、レンゲさんは答えました。
そやけど、結局、それはあんさんの勝手な空想ですやん。 レンゲさんがそないに答えると、わたしには思えんわ。
さよかァ〜。。。?
つまり、この事が言いたかったので、わざわざ「異邦人」を持ち出してきやはったん?
いや、ちゃうねん。。。たまたま夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのやがなァ。
「L'Étranger」
ふつう「異邦人」という題名に訳されているカミュの小説「L'Étranger」はむしろ「他人」と訳されるべきではなかったかという点について一言しておきたい。
この小説の主人公ムルソーは、永らく別れて養老院で暮らしていた母が死んだ知らせを受け、その葬式に参列するが、何らかの感動も覚えない。
彼はその直後ある女と関係し、また偶然のことで騒動にまきこまれ、その挙句人を殺す羽目に陥る。
しかしそうなったのは特別の激情に駆られたためではなく、したがってその後法廷で裁かれる際にも、何等悔恨の情を覚えない。
彼にとって母も知人もすべての人が自分と無関係の人となってしまったのである。
いいかえれば彼以外のすべての人間が彼にとって他人となったといってもよいし、あるいは彼が彼らに対して他人となったといってもよいであろう。
ところでここで興味あることは、このような意味をあらわすためにフランス語では étranger という見知らぬ人を意味する言葉を使うのに対し、日本語では他人で充分意味が通じるということである。
この場合エトランジェを異邦人と訳したのでは、日本では外国人に対する好奇心が特に強いので、作者の原意にそぐわないのではなかろうか。
もっとも異邦人という言葉は、元来ユダヤ人が軽蔑をこめて使うgentileの訳語として古くから日本語訳聖書の中で使われてきた事実がある。
したがってその意味では他人の意味に近いということもできるかもしれないのだが。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
34-35ページ 『「甘え」の構造』
著者: 土居健郎
1991年12月15日 第3版9刷発行
(通産161刷)
発行所: 株式会社 弘文堂
わては初めて読んだのだけれど、この本は結構有名な本で通産161刷という、よく読まれている本なのやがなァ。 わても日本に居る頃この本の題名はしばしば耳にしたことがあるねん。
。。。で、何がきっかけで読みはったん?
偶然やァ。。。たまたまバンクーバー図書館の本棚に、この本を見かけたのやがなァ。
。。。で、あんさんも「異邦人」というタイトルに違和感を覚えたん?
そうなのやァ。。。わても「異邦人」というタイトルが気にかかっていた。
どうして。。。?
英語のタイトルは"The Foreigner"じゃなくて"The Stranger"なのやァ。 むしろフランス語に忠実に訳したのやと、今ではそう思えるねん。 日本語の「異邦人」は英語に訳したら"The Stranger"にならへん。 "The Foreigner"になると思うでぇ〜。。。
そうやろか?
やはり日本語としたら「異邦人」よりも「他人」とした方が、本の内容によりふさわしいと、わても思うねん。 そやけど、「他人」では、あまりに味も素っ気もないタイトルや。 おそらく日本人の訳者もそう感じたと、わては思うのや。
それで、訳者なわざわざ「異邦人」というタイトルを付けはったん?
そうやァと思うでぇ〜。。。著者の土井さんも書いているように、「日本では外国人に対する好奇心が特に強い」さかいに、「他人」というタイトルよりも「異邦人」にした方が本がよう売れると思ったに違いあらへん。
そうやろか?
わてが訳者ならば絶対にそうするでぇ〜。。。うししししし。。。
でも、それはお金に目がくらんだ邪道やと、わたしは思いますう。
さよかァ。。。?
【レンゲの独り言】
ですってぇ。。。
そうですわよね。
本が売れるからといってタイトルを売れるようなタイトルにするのは間違っていると思いますわ。
あたしも「異邦人」とするよりも、本の内容に忠実に「他人」とすべきだったと思います。
あなたはどう思いますか?
とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
かつてデンマンさんが小泉八雲を紹介していました。
八雲(ラフカディオ・ハーン)は
次のように言っていたのです。
「日本女性を道徳的、宗教的信念を持った
愛らしい倫理的創造物である」
明治時代の日本の女性は、
そうであったのかもしれません。
でも、最近になって日本の女性も変わったようですね。
一つの事件を取り上げて、そう言うのも
独断過ぎると思いますけれど、
「苫小牧子殺し事件」は象徴的な事件だったと
思いますわ。そして痛ましい事件でした。
北海道・苫小牧の何処かで、3歳の長男と
1歳の三男の兄弟が鍵の掛かったアパートに
閉じ込められ放置されのですわ。
長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで
飢えをしのいだのです。
三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。
昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が
無残に腐食する横で、お兄ちゃんは
必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、
ママの帰りを待ち続けたというのです。
でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて
1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、
ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。
もう、死んでいるのではないかと思って、
アパートに戻ると、長男は生きていた。
「何で生きてるの?」
冷血女性のママは長男を見て
まず、そう感じたと言うのです。
人間は、それほどまでに非情に
冷血になれるものでしょうか?!
何度読んでみても、亡くなった子供のために
涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)
「苫小牧子殺し事件」のことは
次の記事の中で引用されています。
■『愛の進化論』
ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて
楽しいサイトを作りました。
次のリンクをクリックして
ぜひ覗いてみてくださいね。
■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ