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良寛さんの顔(PART 2)





  
良寛さんの顔(PART 2)



究極の菩薩の姿

よく菩薩の中の菩薩といわれるのに、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」というボサツがいる。
『法華経』に登場して有名になったボサツである。
「常不軽品」という章の名称にまでなっている。
どんな人間に会っても、辞を低くして礼拝したというボサツである。
「常不軽」というのは、どんなときでも出会う相手を「軽んじない」という意味だ。
なぜなら人間は誰でもやがて仏になる存在だからである、という。

しかし、つねに相手を軽んずることなく礼拝をくり返している人間(菩薩)は、それゆえに人々から軽んじられるであろう。
たえず軽蔑され、馬鹿にされ、そして差別の眼差しを全身にうける。
その逆境的な運命を甘受するところに「常不軽菩薩」の存在理由があるのだと思う。
誰にでもなれる境地ではない。
ふつうの菩薩でも、このボサツにななかなか手がとどかないであろう。
自立、自立……と咆哮するラカンたちからは、もっとも遠い存在かもしれない。
「常不軽菩薩」が菩薩、究極の菩薩の姿、といわれるゆえんである。

その常不軽菩薩のことが、良寛さんも好きだったようだ。
理想の菩薩だったのではないだろうか。
後世の良寛神話が、そうした良寛さんの心情を純化して、良寛さんのイメージをこの常不軽菩薩と重ね合わせるようになった。

(中略)

良寛さんもその常不軽菩薩のように生きようとひそかに決意していたにちがいない。
実際、良寛さんの日常生活をうかがうと、そのような生き方を心がけていたことがよくわかる。
その自然体の優しさの中に常不軽菩薩を実践している良寛さんのイメージが蘇る。
安田靫彦の良寛像にもそのような気配がただよっているといっていいだろう。

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(ryokan2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



197-199ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


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この箇所がデンマンさんには興味深く感じられたのでござ〜♪〜ますか?

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そうなのです。 「常不軽菩薩」で思い出したことがあるのですよ。 僕は以前、良寛さんの本を読んで強烈なエピソードに出くわしたことがある。
 
そのエピソードって一体どのようなものでござ〜ますか?

良寛さんが40代の頃の話というから、たぶん、越後国蒲原郡国上村(現燕市)の国上寺にある五合庵で暮らしていた頃のエピソードだと思いますよ。 ある日、村の女の子のことで騒ぎが持ち上がった。

どのような。。。?

その女の子は15歳か16歳で、小さな頃、子供仲間と一緒に良寛さんとよく遊んだことがあった。 その子のおなかが見るからに膨(ふく)らみ始めた。

妊娠したということでござ〜ますか?

そうです。 まだ嫁に行く前の娘だから村中の噂にのぼった。 当然、誰が孕(はら)ませたのか? 村中で詮索が始まった。 その娘に尋ねても全く答えようとしない。 そのうち立派な赤ちゃんが生まれた。 しかし誰が父親なのか判らない限りその赤ちゃんの始末に困ってしまう。 両親は仕方なく村の名主(なぬし)さんのところに相談に行った。

それで。。。?

名主さんが娘を呼んで優しく問いただしたのですよ。

。。。んで、女の子は誰が父親だか名主さんに話したのですか?

それがなかなか話さない。 でも、名主さんは根気よく娘にいろいろと世間話をしながら、なんとか聞き出した。

その子はなんと答えたのでござ〜ますか?

良寛さんだと答えたのですよ。 もちろん、名主さんは信じることができなかった。 でも、女の子がそう言うものだから、仕方なく名主さんは良寛さんのところへ相談に行った。

そしたら。。。?

良寛さんは薄笑いを浮かべながら答えて言うのですよ。 「その女の子がそう言うのなら私が孕ませたんじゃろう」 それで良寛さんがその赤ちゃんを引き取って育てたという話です。

このエピソードが「常不軽菩薩」と関係あるのでござ〜ますか?

あのねぇ〜、誰もが亡くなったら仏になるのだから、たとえ15歳の女子であろうとも軽んじてはいけない。 それで良寛さんは、その子の悩みを汲(く)んであげたのですよ。 そのような気持ちが良寛さんに働いたのだと思います。 だからこそ、ウィキペディアの説明にも書いてあるとおり、良寛さんは子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈して、子供達と遊ぶことを好んだのですよ。

つまり、だから子供にも好かれたと言うのですか?

そうです。 しかし、そのことを考えて安田靫彦の良寛和尚像を見ると子供が好きそうな表情には見えない。

子供と一緒に遊びそうな人物には見えないということでござ〜ますか?

僕にはそう思えるのですよ。

。。。で、デンマンさんの目には良寛さんはどのような表情をしていたと思うのですか?

次のような表情をしていたと思うのですよ。

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(ryokany.gif)

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つまり、誰にでも優しく救いの手を差し伸べてくれる菩薩のような表情をしていたと僕には思えるのですよ。

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そうですわね。 上の絵の良寛さんならば子供が好んで集まるかもしれませんわね。


【ジューンの独り言】

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ですってぇ〜。。。
良寛和尚像を描いた安田靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに、焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わりました。
良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計しました。

安田靫彦は1884年、東京日本橋の料亭の四男として生まれました。
日本絵画協会絵画共進会で横山大観、菱田春草、小堀鞆音らの作品を見て感動し、画業を決意したということです。
1898年より小堀鞆音に師事しました。
東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進みましたが中退しています。

後に岡倉天心に認められ、1907年に日本美術院に招かれ、院展の初回より作品を出品しています。
肺病に悩まされながらも晩年まで制作を続け、1978年神奈川県大磯町にて没しています。
墓所は大磯の大運寺です。

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