呉越の謎(PART 2)
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呉の国も越の国も同じ時期に生まれて、ほぼ同じようにして歴史から消えてしまった国ですよ。 それなのに呉の国の人々はたくさんの人たちが難民として日本へやって来た。 もちろん国が滅びる前にも呉服媛(くれはとりのひめ)のように当時の大和朝廷に請(こ)われて日本へやって来た人たちも居た。 だから、日本文化には呉の国の影響が未だに強く残っている。
そうですわね。
「そうですわね」じゃありませんよ! それなら越の国の人たちはどうなってしまったのか? 卑弥子さんは不思議に思いませんか?
どうなってしまったのですか?
だから、それが「呉越の謎」ですよ。
。。。で、その謎をデンマンさんは解決したのですか?
解決したのですよ。 うへへへへへへ。。。
下品に笑っている場合ではござ〜♪〜ませんわ。 解決したのならば、もったいぶらないで教えてくださいな。
あのねぇ〜、僕はすでに無意識のうちに解決していたのですよ。
あらっ。。。無意識のうちに解決していたってぇ。。。 一体どういうことでござ〜ますか?
次の記事を読んでみてください。
それでは、なぜ、男大迹(ヲホト)王は万世一系を持ち出す必要があったのか?
武烈天皇には嫡子がありませんでした。
そのため、後継問題が起こったのです。
そこで、越前の男大迹(ヲホト)王を、権臣の大伴金村らが天皇に迎えたものとされています。
その理由は、男大迹(ヲホト)王が応神天皇6代目の子孫であったということです。
ところが、「迎えられた」 にしては大和に落ち着くまでに20年近くかかっています。
その間、なかなか大和に入れずに、河内や山城を転々としているのです。
どう考えても、すんなりと迎えられたとは考えられません。
むしろ、継体天皇はそれまでの天皇一族とは縁もゆかりもない人物だと考えたほうが、話はスッキリするのです。
後継者が無いまま武烈天皇が亡くなった時に、越(こし)の国王であったヲホトが絶好のチャンスと見て大和侵攻を試みたわけです。
豪族たちの抵抗が予想以上に強い為に20年近くを要したというのが真相だったでしょう。武力制圧が成功したのか、大和豪族との間に和睦が成ったのかはよく解りません。
日本書紀によると、男大迹(ヲホト)王の父は近江の豪族彦主人(ひこうし)王、母は越前の豪族の娘、振姫(ふるひめ)、ということになっています。
越前における天皇の事跡は明らかではありませんが、多くの伝説を残しています。
中でも越前平野の治水伝説と、笏谷石の採掘伝説はよく知られています。
1884年(明治17年)足羽山三段広場頂上に建立された天皇の石像は、笏谷石採掘にたずさわる人々により、天皇の遺徳を讚えるために造られたものです。
継体天皇の石像
像は笏谷石製で、治水伝説にゆかりの九頭竜川河口を向いて建てられています。
しかし、この継体天皇は、さまざまな謎に包まれた人物で、生まれた年がはっきりわかりません。
亡くなった年齢も諸説があります。
天皇になる前、どこで生まれどこで育ったかについても諸説があります。
はっきりしていることは、現在の皇室が系図を正確にさかのぼることができる最古の天皇だということです。
この辺に作為の跡が見られるわけです。
他のことが、よくわからないのに、なぜ、現在の皇室が系図を正確にさかのぼることができる最古の天皇なのか?
これは、非常に素朴な質問だと思うのです。
しかし、突き詰めて考えたとき、本当に、どうしてそうなの?
そう、疑問を投げかけざるをえないでしょう。
日本書紀によると継体天皇は近江で生まれ、福井平野で育ったと書かれています。
しかし、以前は、これを疑問視する見方がつよかったのです。
最近の考古学と文献学の成果から、福井の強力な勢力を背景に育ち、成長し、北陸、近江、尾張などの豪族の力をバックに、中央に進出した人物だということがほぼ分かってきました。
といってもどんな人だったのか、なぜ急に越前から天皇になるような人物が出現したのか、どんな力が背景にあったのか。
男大迹(ヲホト)王と 既存の中央の勢力との力関係がどうだったのか。
まだ不明なことが、たくさんあります。
しかし男大迹(ヲホト)王の母が、越前の豪族の娘、振姫(ふるひめ)、であり、福井の強力な勢力を背景に育ち、成長したというのは、重要なポイントです。
すでに、「古代、裏日本と表日本は逆だった」 のページで述べましたが、下の地図で示すように、男大迹(ヲホト)王が生まれた450年頃にも、大陸から難民になって多くの古代韓国人が日本へやってきました。
上の地図は、隋時代(589−618)のものですが、男大迹(ヲホト)王が生まれた450年頃というと、中国では、南北朝時代になりますから、この時代よりも、戦乱が多く、大陸、及び、朝鮮半島から、戦乱を逃れてやってくると難民は、もっと多かったはずです。
そういう難民の中には、戦乱に敗れた将兵も多数含まれて居たでしょう。
優れた、武器と戦略を身に着けた将兵を取り込むことによって振姫(ふるひめ)の所属する越前の豪族が次第に強力になっていったわけです。
そもそも、この振姫(ふるひめ)自身が、半島から戦乱を逃れてやってきた、新羅の貴族の娘だった可能性さえあります。
生まれた年が不明だというのは、どうも、ヲホト王が振姫(ふるひめ)の連れ子くさい。
もし、それが事実とすれば男大迹(ヲホト)王には、日本人の血が一滴も混じっていないことになります。
いずれにしても、この豪族の中に多数の帰化人が居たことは、まず間違いありません。
日本海側に圧倒的に強力な王国ができていたということが、最近の、考古学上の遺跡発掘でわかっているように、この当時の先端技術は、鉄器や、武器も含めて、半島からやってきた人々によってもたらされたものです。
『皇室は、本当に万世一系か?』より
(継体天皇の謎に迫る) 2003年7月12日
つまり、「中国の越」の国の人たちが難民になって日本へやって来て、「日本の越」を興(おこ)したとデンマンさんは言うつもりなのですか?
だってぇ、そうでしょう! 今までの話を総合的に考えてみたら、そう結論を下すのがもっとも自然だと思いませんか!?
【ジューンの独り言】
ですってぇ〜。。。
ところで、ずっと昔から日本に住んでいたアイヌ人が使っていた言葉も日本語にその言葉の名残(なごり)を残しています。
例えば、トナカイはアイヌ語のtunakay(トゥナカイ)から派生した言葉です。
ラッコはアイヌ語のrakkoから生まれた言葉です。
オットセイはアイヌ語onnep(オンネプ)が中国語を経由、オットに変化した後、漢方薬としての陰茎の婉曲表現の臍がつきオットセイとなって入ったものであると言われています。
魚介類ではシシャモがアイヌ語のsusam(スサム)を語源とし、susu-ham「柳の葉」とされています。
ホッキ貝はpok(sey)(ポク・セイ)から生まれた言葉です。
面白いところでは、「ノンノ」というファッション雑誌の名称はアイヌ語の nonno つまり、「花」から名づけられました。
ところで、アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉です。
もともとは自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称の「カムイ」に対する概念としての「人間」という意味であったとされています。
7世紀以前、日本列島に居住した民族は、中国から倭人と呼ばれましたが、これは当時の日本人が自らを「我(ワ)」と呼んだためとする説があります。
アイヌの社会では、アイヌという言葉は本当に行いの良い人にだけ使われました。
丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言ったそうです。
これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、和人(シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増えてきた17世紀末から18世紀初めにかけてだとされています。
理由はアイヌが、「蝦夷(えぞ/えみし)」と呼ばれるのを嫌い、「アイノ」と呼ぶように求めたとされています。
当時の内地人の耳には「アイヌ」と聞こえたようです。
なぜかというと、アイヌ語の母音「u」の発音は日本語のウとイコールではなくオにも聞こえる音であるためです。
「アイヌ」という呼称そのものが普遍化したのは明治以降になってからのことです。
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
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