よく考えた?(PART 4 OF 4)
つまり、ポパーさんは科学にも、また歴史や社会科学、政治にも“絶対不変の真理”なんてものは無い!と言っているんだよ。 常に批判の目で物事を見ることが最も重要なことだと言っている。 つまり、アインシュタインが言った Don't stop questioning! と同じようなことを言っている。 何事においても批判する態度が大切だと言うことだよ。
要するに、随書の中の「倭国」が独立国家であるということにも疑問を持て! 植民地であったことも充分に考えられる! デンマンさんは、そう主張するのですか?
その通りだよ! アインシュタインが生きていたら、おそらく僕の言うことを応援してくれると思うよ! 「倭国」は純然たる“植民地”では無かったかもしれないけれど、決して現在我々が考えているような独立国家ではなかった。
その証拠は。。。?
ネットサーフィンしていたら次のような掲示板が目に付いた。
倭国(猿の国日本)は
百済(文明人の国朝鮮)の属国
1 :日本人の公式名称=日猿:2007/11/22(木)
23:22:44.56 ID:t6CPeEpx
古代からの東アジアの情勢
九州(野蛮な猿の国)→百済(文明人の国)の属国
本州(野蛮な猿の国)→中国(超大国)の植民地
これが事実。朝鮮の偉人が蛮族の日猿人どもに知恵を授けたわけだ。
文化、儒教、道教、律令制度、貨幣制度、宗教、文字、文学、文明技術・・・・・
つくづく日本って国は朝鮮や中国からの貰い物で出来上がった国だとわかるな。
まさに朝鮮様様、中国様様というわけだ。
アジアの政治・経済・文化の中心であった中国からすれば日本はまさに東の最果ての辺境国だったわけだ日本人が勝手に独自の文化だと思い込んでる伝統芸能や風習や文学なんかもその大半は朝鮮を通って伝えられた中国のパクリだったりするからな
天皇という名称や元号なんかもその典型が・・・
『倭国は百済の属国』より
マジで、こんな酷(ひど)い事が書いてあるのですか?
ウソだと思ったら上のリンクをクリックして確かめてみたらいいよ。
でも、これは証拠にはなりませんよ! 一つの意見に過ぎません! いや。。。独断と偏見ですよ! もしかしてデンマンさんが書いた自作自演じゃないっすかァ?
やだなあああァ〜。。。僕が自作自演までしてオマエに反論するわけが無いだろう! 第一、上の文章は2007年の11月に書かれたものだよ! はっきり言うけれど、僕が書いたものじゃない! 弁天様に誓って、天神様に誓って、お稲荷様に誓って、僕はウソをついていないことをここに宣言するよ!
もし、それがウソだとしたら。。。。?
だとしたら、僕に針千本を飲ませてもいいよ!(微笑)
つまり、「倭国」が植民地でなかったとしたら百済の「属国」だったとデンマンさんは主張するのですか?
その通りだよ! そもそも「倭国」という呼び方は日本人が付けた国名じゃない! 中華思想に基づいて当時の中華人が付けた国名だよ! 「随書 東夷伝」を書いた著者の目に、当時の日本は「野蛮な猿の国」以上でも以下でもなかった。 ところが、オマエは中国の史書を鵜呑(うの)みにして次のような文章を引用した。
新羅、百濟皆以倭為大國、
多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
新羅・百濟は、みな倭を大国だと見なし
珍しい物が多いと思い
並(なら)びに これを敬(うやま)い仰(あお)いで、
恒(つね)に使いを通わせ往来(おうらい)すと
【デンマン意訳】
このどこが間違っているのですか?
だから、オマエは文章をじっくりと読んでいないと僕は言っているのだよ! オマエは中国の戦国時代の故事を良く理解していないので上のような頓珍漢(とんちんかん)な事を書いてしまった。
その中国の戦国時代の故事ってなんっすかァ?
合従連衡(がっしょうれんこう)
「従」は縦、「衡」は横。
中国の戦国時代、西の強国・秦に対抗するため、南北に連なる六国の連合をめざしたのが、「合従」政策。
これに対抗するために、秦が六国と個別に(横方向に)和平を結ぼうとしたのが「連衡」政策である。
転じて、さまざまに外交政策をめぐらすことを指す。
遠交近攻(えんこうきんこう)
「合従連衡」と同様、中国の戦国時代の外交政策で、遠い国と結んでその国に牽制してもらいつつ、近い国を攻め取っていくというもの。
現在でも通用する戦略の基本である。
秦の宰相・范雎(はんしょ)が唱え、秦がこれを容れて、ついには全土を統一した。
この故事とオイラが書いた事と、どのように関わっているのですか?
あのなァ〜、戦国時代の頃の戦略の定石が現在にまで四字熟語として語り伝えられてきた。 オマエが引用した「隋書東夷伝 第81巻列伝46」に書かれた事も、このような時代背景を考えないで表面的に解釈するとオマエのような浅はかな落書きになってしまう。
オイラが表面的にしか理解していないとデンマンさんはおっしゃるのですか?
もちろんだよ。 コインには表と裏がある。 オマエは表だけしか見ていない。 裏を見なければ全貌が分からない! だから、オマエは頓珍漢(とんちんかん)な事だけしか書けなかった。 当時の戦略の常識を考えるならば次のように解釈すべきなんだよ!
新羅、百濟皆以倭為大國、
多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
新羅・百濟は、やがて隋に滅ぼされる運命にある。
だから、両国とも悪あがきをしているようだ。
それで新羅・百濟は、倭国を大国だと期待しながら
これを敬(うやま)い仰(あお)いで、
助けを求めているけれど、
すでに隋は「遠交近攻」戦略をとっている。
無駄なことをしても無駄なのだ!
新羅も百濟も隋と倭国の挟み撃ちにあって
滅びる運命なのだ。
その後で隋は倭国を滅ぼすまでよ。
あの国の「聖徳太子」という思い上がった男が
ぬけぬけと次のような国書を持って寄越した。
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
【日(ひ)出(いず)る処(ところ)の天子(てんし)
書を日(ひ)没(ぼ)っする処の天子に致(いた)す
恙(つつが)なきや。】
隋の皇帝と倭国の王を同列に並べるなんて
けしからん!
だから、隋にとって、あの男は気に喰わないのだよ。
【デンマンの裏を読んだ意訳】
これは、デンマンさんの考えすぎですよう! とにかく、そういう独断と偏見もあるという事がよ〜く分かりました。。。で、「倭国」は一体いつ独立国家になったのですか?
だから、精神的には聖徳太子が上の国書を隋に持って行かせた時だよ。 隋と対等である「独立国家」としての気概が上の国書の一部から読み取れる。
つまり、隋の時代に「倭国」は独立国家になったとデンマンさんはおっしゃりたいのですか?
いや。。。対外的に「倭国」が独立国家になったのは、「私たちの国の名前は“倭国”ではありません。“日本国”です」と宣言した時からだよ。 そして、菅原道真が隋も唐も中華思想に凝り固まっているけれど、すでに唐の国力は衰え、日本が文化的には唐から吸収するものが無くなったから、今後は遣唐使船を派遣する必要はないと朝廷に助言した時からだと僕は思っているのだよ。 それ以降、日本独自の「カタカナ」、「ひらがな」が生まれるようになった。
つまり、その独立の気概が日本文化を生み出すようになった、とデンマンさんは主張なさるのですか?
そうだよ。 その頃の日本の独立性と比較したら現在の日本はアメリカの属国としか言えないと僕は思う。 菅原道真が今生きているとしたら、アメリカ追随の日本の現状を見て嘆くと思うのだよ。
デンマンさん!。。。日本がアメリカの属国だというのは聞き捨てなりませんよ! 必ず、オイラのような奴が、また反論のコメントを書きますよ。
うん。。。実は、それを期待しているんだよ。 うへへへへへ。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
日本史の教科書には日本が植民地だったなんて書いてありませんよね。
でも、ちょっと考えてみると、日本が植民地だった、あるいは属国だったと考えた方がすごく納得できるようなこともあります。
たとえば、ある時点で、急に日本で漢字が使われ出したのですよね。
不思議なくらいに文字のない所に急に漢字が使われだした。
イギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に清教徒の人たちが渡ったように、朝鮮半島や中国南部の人たちが船に乗って九州に渡ったと考えると、日本もそんな風に“植民地化”していったのかな?
そう思えないこともありません。
とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
地球の歴史って、ずいぶん前から私たちは
知っていたと思いがちですけれど、
意外に知らないのですよね。
たとえば、地球はいつごろ誕生したのでしょうか?
1650年にアイルランドの大主教・ジェームス・アッシャーが
旧約聖書などの記述を調べた結果
天地創造が紀元前4004年に成されたとしたのです。
この見解はキリスト教世界で多く採用されたのです。
でも、18世紀から19世紀になって
古い地層や化石が発見され、
地球が誕生したのはもっと古いことになったのです。
現在では46億年前に
地球が誕生したと考えられています。
太陽系の隕石や月の岩石の生成年代から、
この数字が出てきたのです。
月の形成時期は、45億5000万年前とされています。
地球が誕生して間もない45億5000万年前から
44億5000年前のマントルに由来する溶岩が、
カナダ・バフィン島とグリーンランド西部で見つかったと、
米カーネギー研究所の研究チームが
2010年8月に『ネイチャー』に発表しました。
…と言う訳で、もっと古いマントルに由来する溶岩が
見つかることも十分に考えられます。
つまり、地球が46億年前に生まれたという地球誕生説も
より真理に近い仮説に過ぎないのですよね。
カール・ポパーさんが言ったように
“絶対不変の真理”はありません。
常に真理により近い仮説が発見されているのです。
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
■ 『最近のレンゲ物語 特集』
『あなたもワクワクする新世代のブログ』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。