憂国と英語(PART 1)
デンマンさん。。。あんさんは三島由紀夫さんが主演・監督しやはった『憂国』という映画のDVDカバーと、ジューンさんのおばさんパンツの画像を持ち出してきて無理やり三島さんと英語を結びつけはるのォ〜?
ちゃうわい。。。わては無理やり結び付けようとしているのではあらへんでぇ。
そやったらァ、どないなつもりでジューンさんのおばさんパンツ姿を持ち出してきやはったん?
あのなァ〜、ジューンさんを登場させれば“国際化”という概念がイメージとして見る人のオツムに飛び込んでゆく。 国際化となれば、当然、英語が国際語として浮かんでくる。 そやから『憂国』と“英語”が自然に結びつくと言うわけや。
それは、あんさんがオツムの中で考えていることで、たいていの男たちはジューンさんのセクシーな肉体とおばさんパンツだけに興味を示しますのやァ。
めれちゃん!。。。そないな事を「想像の貧困」と言うのやがなァ。
わたしは男性の身になって考えたまでのことやんかァ。
そやけどなァ、男かてぇ、ちゃんと三島さんと英語を結びつける人だっておるのやでぇ〜。。。
そうやろか?
このわてが、そう考えて上の2つの写真を持ち出したのが何よりの証拠やないかいなァ。
それで、あんさんは2つの写真を持ち出してきて何が言いたいねん?
「三島由紀夫の世界」がどれほど「世界のネット市民」に受け入れられているのやろうか?。。。わては、その事をずっと考えていたのやがな。。。
その三島由紀夫の世界ってぇ。。。?
三島由紀夫の世界
三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。
その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。
その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。
ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。
昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。
三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。
次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。
菊 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。
次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。
(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)
三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。
大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。
(中略)
現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。
(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
280 - 283ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社
『アナクロニズム』に掲載
(2011年3月27日)
三島さんの世界は昭和20年8月15日、敗戦の日で終わったと、書いてますやん。
その通りやァ。
そやけど、それ以後の三島さんの世界について何も書いてまへん。
いや。。。全く書いてないわけではあらへん。 『葉隠』の世界が三島さんの戦後の世界に大きな影響を与えたと、わては思うておるねん。
そやけど、それは時代錯誤の世界ですやろう?
そうかもしれへん。。。そやけど、どないな世界を持とうと個人の問題やァ。 世間の知った事ではあらへん。 江戸川乱歩先生は次のように言うてるねん。
今一つの世界
ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。
でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。
ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。
暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。
もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。
古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。
ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。
江戸川乱歩(左)と三島由紀夫
(130 − 132ページ)
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行
『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載
江戸川乱歩先生も「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものです、と言うてるねん。
つまり、三島さんも死にはる前に「今一つの世界」を創造したと、あんさんは言わはるのォ〜?
そうやァ。。。昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失って、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失のうてしもうたのやァ。
それで。。。?
そやから、三島さんは、戦後の終わってしまった現実の世界では生きられへん。 何が何でも自分の生きる「今一つの世界」を創造せにゃあかん。 それで創造したのが自衛隊で自決する「今一つの世界」やァ。
現実の世界では見い出せなかった天上の楽園と言う「今一つの世界」に三島さんは憧れはったのォ〜?
そう言う事だと、わては思うてるねん。 三島さんの世界は確かに「今一つの世界」に違いはない。 そやけど、時代錯誤の世界やと多くの「世界のネット市民」に思われているに違いないねん。
その根拠でもありはるのォ?
あるのやァ。 次の画像を見て欲しいねん。
これは何やのォ〜?
バンクーバー図書館の『憂国』のDVDのカタログ・ページやァ。 つまり、閲覧者はこの紹介ページを見て、このDVDを借りるかどうかを決めるのやないかいな。
誰かがコメントを書いてますやん。
そやから、そのコメントに注目して欲しいねん。
Comment(1)
Tj2C Dec 16, 2010
Boring...
Boring...つまり、“つまらん!退屈した!”と書いてますやん。
そうなのや。
誰かのイタズラ書きですやんかァ!
わても初めは、そう思うたのや。
でも、書いた人はマジな気持ちで書きはったん?
そうなのやがなァ。
そないな事がどうして、あんさんに判りはるのォ〜?
次の画像を見て欲しいねん。
■『実際のDVD棚ページ3』
これはどういう画像やのォ〜?
上のコメントを書いた人が、これまでにバンクーバー図書館で予約したDVDを表示したものやァ。
どないなわけで、あんさんはそのような個人的な情報を見ることができはるの?
誰でも見ることができる公開情報なのや。 上のリンクをクリックすれば日本に居る人でも見ることができるねん。
それで上のリストを見ると何が判るん?
この“Tj2C”というハンドル名を持っている人は、まず間違いなく日本人ではあらへん。
どうして、あんさんにそないな事が判りはるのォ〜?
簡単な事やがなァ。 この人が借りて観たDVDは、スェーデン語、スペイン語、英語、日本語、中国語、ドイツ語のものやァ。 平均的な日本人でこれだけの外国語の映画を見る人なんて1万人の内で一人か二人やろなァ。 そやから確率的に、まず日本人ではあらへん。
そうやろか?
あのなァ〜、しかも、これは17ページの内の3ページ目なのや。 この人物は全部で162本のDVDを予約して観ておるねん。
どないして、あんさんには、そのような事が判るん?
上の画像を見ればちゃんと書いてあるやないかいなァ。
162 Items Page 3 of 17
このように書いてあるやろう? つまり、全部で162本のDVDを借りて観たと言うことやねん。 表示されているのは17ページの内の3ページ目だと。。。
でも、どうして予約して観たという事が、あんさんに判りはるのォ?
それは次の画像を見ると判るねん。
■『実際のデンマンのDVD棚ページ』
これは、あんさんの記録やないのォ〜?
その通りやァ。 めれちゃんかて上のリンクをクリックすれば見ることができるねん。
つまり、あんさんはこれまでに2本のDVDだけしか予約して観てないということやのォ?
“Jane Eyre”は予約したけれど、まだ待っている状態なのや。 まだ観てへん。 そやけどなァ、小津安二郎・監督作品の『東京物語』はすでに2回借りて観てるねん。
あんさんは、そないに言うけど、2本というのは少ないやんかァ。
あのなァ、わては待つのが性に合わんさかいに、たいてい予約せんでDVDの棚に並んでいるのを借りるのや。 そやから上のリストには表示されんのや。 これまでに、延べにして50本ほど観ているのや。
それでも50本というのは少ないやんかァ。
あのなァ〜、この統計は今年(2011年)の1月からのものや。
どうして、そないな事があんさんには判りはるのォ?
簡単なことや。 画像が表示されるようになったのは今年の1月からやねん。 その時に新しいカタログ・システムが導入されたのやがな。 要するに、“Tj2C”というハンドル名を持っている人は、今年の1月から162本のDVDを予約して観ておるねん。 つまり、映画だけを観て毎日過ごしているような超映画マニアなのやがな。 その人が『憂国』を観て“つまらん!退屈した!”と言うてるのや。
そやかてぇ、上の記録は、あんさんを含めてたった二人の記録やないかいなァ。
あのなァ〜、確かにそうなのやけれど、“Tj2C”という人物は世界の映画を観ている映画狂なのやでぇ。 おそらく、このカナダ人は家族と共にヨーロッパからやってきた移住者で、多分5ヶ国語か6ヶ国語ぐらいしゃべれる人やと、わてな思うねん。 カナダでは、3ヶ国語しゃべれるのは当たり前みたいなものや。 英語とフランス語が公用語。 それに移住者ならば生まれた国の言葉もしゃべれる。 そやさかいに、たいてい3ヶ国語ぐらいはしゃべれる。
あんさんも3ヶ国語しゃべりはるのォ?
あのなァ〜、わてはこれまでに34カ国を放浪してきたのや。 生活に最低限必要な言葉は10ヶ国語ぐらい話せるのやァ。
マジかいなァ?
半分冗談や。 うししししし。。。そやけどなァ、カナダでは5ヶ国語や6ヶ国語ぐらいしゃべれる人は決して珍しくないねん。 要するに国際人がたくさん居るということやねん。 “Tj2C”という人物も、おそらく世界の映画を観ている国際的な映画マニヤなのや。 その人が『憂国』を観て“つまらん!退屈した!”と言うてるのやから、この意見は見過ごすことができへん。
要するに、三島さんの「今一つの世界」は海外に住んでいる人が観たら“つまらん!”と思われると、あんさんは言わはるのォ?
そうやろなァ。 “Tj2C”という人物が観た映画のリストを見れば、『憂国』のページに書いたコメントがイタズラ書きではないことが判るねん。 実際、その人が観た他の映画と比べたら『憂国』はつまらない映画だと、わてにも判る気がするねん。
どう言う訳で。。。?
まずなァ、『憂国』という映画には台詞(せりふ)が全く無いねん。 バックミュージックは流れているけれど、無声映画というわけやァ。
つまり、会話があらへんのォ?
そうなのやァ。 出演者も三島さんと鶴岡淑子さんの二人だけ。 二人の会話は全く無い。 しかも30分程の長さなのやァ。
(すぐ下のページへ続く)