黙庵 四睡図 エピソード(PART 2)
雪舟は、日本の水墨画の転換期にいる。
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず〜っとあとの近代になってからの評価である。
(中略)
中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)
156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社
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遣唐使は廃止されて定期的に中国へ行くことはなくなっていたけれど、中国文化・芸術は当時ではやはり現在の“アメリカ映画”や“欧米ファッション”のようにもてはやされていた。 だから雪舟も当然、本場の水墨画に触れたいと思って当時の明国に渡ったに違いないのですよ。
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。。。で、中国で絵の勉強してきたのですか?
ところが雪舟はそのつもりで中国へ行ったのだけれど、ついに素晴らしい絵の先生に恵まれなかったらしく、自分が日本で師事していた先生である周文(しゅうぶん)。 それに周文の先生である如拙(じょせつ)の絵の方が素晴らしくて、ますます日本人の二人を尊敬したと言うのですよ。
つまり、“灯台もと暗し”だったのですわね。
そうなのです。
でも、雪舟は日本各地を転々として、どうして京都に住まなかったのですか?
あのねぇ〜、雪舟が生きていた頃は京都は応仁の乱で大変だったのですよ。 なにしろ、応仁の乱で戦国時代が幕を開けたようなものですからね。 雪舟が生まれたのは1420(応永27)年ですよ。 明国に渡ったのが1468(応仁2)年。 つまり、応仁の乱が勃発したので、まるで逃げるようにして中国に渡ったのですよ。 中国の各地を回り、約2年間本格的な水墨画を勉強しようとした。 結局、あまりいい先生に恵まれずに1469(文明元)年に日本へ帰ってきた。
でも、応仁の乱の最中でしょう?
そうですよ。 だから、京都を離れて各地を放浪したのですよ。 周防、今の山口県や。。。、豊後、今の大分県、それに石見にまで行って水墨画を描いた。
でも、戦国時代になるから京都以外でも戦いが始まっているのではありませんか?
でも、京都はすっかり興廃してしまって、むしろ地方に行った方がいいスポンサーが居たのですよ。 冒頭の卑弥子さんの背景になっている「破墨山水図(はぼくさんすいず)」を雪舟が描いたのは1495年、雪舟が76歳の時なのです。 今の山口県で描いたのですよ。
あらっ。。。76歳になっても、まだ絵を描いていたのでござ〜ますか?
そうなのです。 1501(文亀元)年にも「天橋立(あまのはしだて)」まで行って水墨画を描いていますよ。 没年は確実な記録はないのだけれど 1506(永正3)年に87歳で亡くなったと言われているのです。 どうやら死ぬまで水墨画を描き続けていたようです。
あらっ。。。87歳まで生きたのですか。。。現在でも長寿者の仲間入りができるではござ〜ませんか!
そうなのですよ。
それで雪舟さんが87歳まで生きられた事と水墨画が関係あるとデンマンさん言いたいのですか?
当然でしょう! 雪舟が生きていたのは騒乱の時代ですよ。 現在のように平和な時代ならば80歳を過ぎても生きている人は珍しくないけれど、今から500年ほど昔ですよ。 平均寿命はおそらく40歳から、長くても50歳ですよ。 織田信長が「人間50年。。。」という謡(うたい)を唸(うな)っていた頃ですからね。
つまり、水墨画を描くことによって雪舟さんは癒しを得られてストレスから開放され、癌にかからず戦争にも巻き込まれないで長く生きられたと言うのですか?
そうですよ。 だから雪舟さんが死ぬまで水墨画を描いていた事が何よりの証拠じゃありませんか!
でも、ちょっと信じられませんわ。
信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うじゃありませんか! (微笑)
それと、これとは違いますわ。 冗談言ってないで、その長寿の秘訣を話してくださいな。
あのねぇ〜、雪舟さんより百年ほど前に黙庵(もくあん)さんという禅僧が居たのですよ。 この人は鎌倉幕府が滅亡する10年ほど前に、元の時代の中国に渡った。
禅の修業のためにでござ〜ますか?
そうです。 日本に帰ってくる気持ちはあったようだけれど、結局日本には帰ってこないで、1345年に中国で亡くなったのですよ。
あらっ。。。まあ。。。じゃあ、デンマンさんと同じように異国で骨になったのでござ〜♪〜ますわね。
卑弥子さん!。。。んもお〜〜。。。僕はまだバンクーバーで骨になってませんよ!
冗談ですわよ。 そのようにムキにならないでくださいな。 それで、その黙庵さんがどうだとおっしゃるのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、黙庵さんよりも100年後に、明の時代に中国に渡った雪舟さんは「中国にはロクな先生はいない」と言って日本へ帰ってきたのだけれど、当時の中国人で水墨画を描く連中は雪舟さんのことなど全く知らなかったに違いない。
あらっ。。。それでは、黙庵さんは中国人の間で有名だったのですか?
そうなのですよ。 中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。
マジで。。。?
だから日本では、ある時期まで黙庵さんを中国人だと思っていた人がほとんどだったと言うのです。
それはすごいことでござ〜ますわ! それで、黙庵さんはどのような水墨画を描いたのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、雪舟さんや黙庵さのように禅僧で絵を描く専門の人を「画僧」と呼んでいたのだれど、この人たちは元々禅の修業の一環として水墨画を描いた。 だから、何を描いてもいいと言うようなものではなかった。
。。。んで、「画僧」さんは何を描いていたのでござ〜ますか?
本来、「道釈画(どうしゃくが)」を描く人を「画僧」と言ったのですよ。 “道”は道教、 “釈”は“釈迦”で、禅の思想にかかわってくる道教系の仙人と仏教系の人物を描いたのですよ。
それなのに雪舟さんはどうして風景画などを描いたのですか?
「道釈画」だけじゃつまらないので風景画を“禅の心”で描いたのですよ。
。。。んで、具体的に黙庵さんは、どのような「道釈画」を描いたのでござ〜ますか?
僕が最も感銘を受けたのは次の「四睡図」ですよ。
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(mokuan2.jpg)
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こんなものにデンマンさんは感銘を受けたのですか?
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あのねぇ〜、これも誰かが模写したもので本物ではない。 でもねぇ〜、本物を写真で見ると、それでも素晴らしさが心にひしひしと染み透って来るのですよ。
それで、具体的に何に感銘を受けたのでござ〜ますか?
描く人の心が円満で癒されてなければ、とてもこの二人の表情を一筆では描けないと思ったのですよ。
二人の表情というのは中央の人物と、向かって左側の目を細めて薄ら笑いを浮かべている人のことですか?
その通りですよ。
薄ら笑いがそれほどにデンマンさんの心に染み込んだのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、中央の人は「豊干禅師(ぶかんぜんじ)」という禅僧なのですよ。 なぜかいつも虎を連れているお坊さんです。 その両側の二人は寒山(かんざん)と拾得(じっとく)ですよ。 禅の修行をして悟りを開く、それで自由人になる。 寒山と拾得は子供のままジジーになったと言う自由人です。 この薄笑いには自由で癒されて満ち足りている様子が見える。
そうかしら。。。?
つまり、禅の修業を通して「道釈画」を描き、「道釈画」を描くことによって禅の修行をしている。 その禅の心がこの二人の表情に良〜く出ているなァ〜。。。そう思って僕は感動したのですよ。
じゃあ、「破墨山水図」を描いた雪舟さんは禅の修行をおろそかにしていたと、デンマンさんは言うのですか?
いや。。。雪舟さんは「道釈画」を書く境地で「破墨山水図」を描いたと思いますよ。 京都は応仁の乱で荒廃している。 世は戦国時代に向かって荒(すさ)んでゆく。 そのような不安で未来がないような時代にあって雪舟さんがどうして87歳まで水墨画を描いていられたのか?
雪舟さん自身が子供ジジーの心境にでもならない限り、87歳まで生きられなかったと。。。?
その通りですよ。。。水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのもからの自由をゲットしていたのですよ。 そうでなければ、僕の心に訴えるものがなかったはずです。
『癒しと水墨画』より
(2012年8月22日)
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水墨画のことで卑弥子さんは僕とこうして対話したのをすっかり忘れていたのでしょう?
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デンマンさんだってぇ、忘れていたのでしょう?
いや。。。僕は覚えてましたよ。 なぜなら、上のエピソードを見つけるために「黙庵 四睡図 エピソード」を入れて検索したのだから。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ〜。。。
デンマンさんの説明もかなり無理をしているように見えますわ。
でも、「四睡図」を描いた黙庵さんが、初めは中国人ではないかと思われていたというのは面白いですよね。
おそらく中国人になりきったつもりで水墨画を一生懸命に描いていたのだと思います。
その執念のようなものが絵を見る日本人に“中国人”という印象を与えたのだと思います。
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(hime003.jpg)
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。
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