妻の不貞(PART 1)
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あ〜♪〜らァ。。。 デンマンさんが小百合さんと仲良くしている間に奥様が不貞を働いたのでござ〜♪〜ますか?
卑弥子さんは、そのように邪推するのですか?
邪推ではござ〜ませんわ。 いくらなんでも、デンマンさんは奥様を全く無視して、ほったらかしにしておくのですものォ〜、奥様が不貞を働いてもやむおえないのでござ〜ますわ。
卑弥子さんは、だいぶ誤解をしているようですねぇ。
誤解でも、六階でも、7回の裏でもござ〜ませんわァ。
あのねぇ〜、実は、夕べ『日本 1852』という本を読んだのですよ。
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またバンクーバー市立図書館から借りた赤枠で囲んだ本を読んだのでござ〜ますか?
いけませんか?
日本の出版社の繁栄のために本を買って読んでくださいましなァ。 最近ではネットで本も読めるようになったので出版社はずいぶんと経営に苦しんでいるのでざ〜ますわァ。 デンマンさんのように本を絶対に買わずに図書館で読んだり、ネットで読んだりする人が増えてしまったので出版社は倒産するところまで出ているのですわ。
卑弥子さんが日本の出版社のことまで心配することはないのですよ。 日本の出版社は、どうでもいい本まで出版するから経営難になるのですよ。
。。。んで、その本の中にデンマンさんの奥様が不貞を働いたことが書いてるのでござ〜ますか?
やだなあああァ〜。。。 そのような事が書いてあるわけないでしょう! 『日本 1852』には次のように書いてあったのですよ。
妻の貞節
女性のありようを見ればその国の文明の程度が一目瞭然である。
日本の女性に対する扱いはアジアで最高のレベルにある。 (略) 妻の貞節、娘たちの純潔は本人の誇りと自覚に基づいて保たれている。
もちろんそうした行動は命をもって讀わなくてはならない決まりで補強されてはいよう。
それでも不貞な妻というのは日本では聞いたことがない。
(中略)
高位の者や金のある男たちは、妻たちの見せる貞節とは全く逆の行動を見せる。
むしろこうした男の性癖は身分を問わず一般的な傾向といってもよい。
日本の男はこのたわいない悪徳(pleasant vices)のせいで火傷をするのはわかっていても、やっぱり遊んでしまうのだ。
日本を訪れた西洋人はこの様子を、日本の国民的悪徳(the great national vice of the Japanese)だと呆れている。
こういう中で、日本の女性が厳しく純潔を守ることは議論の余地がない。
このことは日本人自身だけでなく、この国を訪れた多くの西洋人によって証言されている。
既婚の女性たちは男性からいつも敬意を払われている。
日本の女性はたいへん名誉を重んじる。
彼女たちに恥をかかせた男が殺された例にも事欠かない。
こんな話が伝わっている。
それなりの地位にある男が旅に出た。
その留守に高位の男がその妻に言い寄った。
妻はその男を詰(なじ)り、きっぱりと断ったのだが力ずくで犯されてしまった。
夫が旅から帰ると、妻は愛情一杯で迎えた。
しかし彼女の中には、異常なまでに落ち着きはらった空気が感じられた。
夫はそのわけを聞き出そうとしたができなかった。
明日まで待ってくれと言う。
明日、親戚や町の主だった人々を家に呼ぶので、そのとき話すと言うのだ。
翌日、大勢の客が集まってきた。
その中に例の男もいた。
宴は屋上にあるテラスで何事もなく進んだ。
食事が終わると、客の前で夫の留守中の出来事を話し始めた。
そして夫に不貞の妻を殺すように迫ったのだ。
夫も客も彼女を落ち着かせようと懸命に試みた。
この妻が責められるべきは何一つないのだ。
責められるべきはその悪い男だ。
妻はみなの慰めに感謝し、夫の肩で泣いた。
しかし突然抱きしめる夫の手を払い、欄干から身を乗り出して飛び降りてしまった。
客の中にいた例の男が突然、階段を駆け下りていった。
あとを追った者たちが見たのは、死んだ女の横で血に染まった男だった。
腹を十字に切って果てたのだ。
身を投げた女は、不貞を強要した男の名前を明かさないままだったから、誰一人彼を疑ってはいなかったにもかかわらず……
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
274-276ページ 『日本 1852』
著者: チャールズ・マックファーレン
訳者: 渡辺 惣樹
2010年10月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社
あらっ。。。 デンマンさんの奥様は、このようにして亡くなってしまったのでござ〜ますか? (微笑)
卑弥子さん!。。。 いい加減な事を言わないでくださいよう。 本の題名から150年以上前の日本について書いてあるということがアホでも分かります。
上の本の著者のマックファーレンさんはアメリカ人でござ〜ますか?
いや。。。 イギリス人です。 英語では Charles MacFarlane という名前です。 1799年に生まれて1858年に亡くなっているのですよ。 日本で言えば江戸時代の後期の人ですよ。 明治維新の10年前に亡くなったということです。 イギリスでは名の知れた歴史・地誌学者なのですよ。 インド史、オスマントルコ史、フランス史をはじめ、この分野では多くの著作を残している。
それにしても、ずいぶんと古い話をデンマンさんは取り上げたのですわね?
いけませんか?
そのような昔の話よりもデンマンさんの奥様が不貞を働いたエピソードを聞かせてくださいましなァ。
卑弥子さん! 。。。 話題を変えないでくださいよ。 んもおォ〜。。。 せっかく『日本 1852』の本から興味深いエピソードを取り上げたのだから。。。
あらっ。。。 デンマンさんにとって上のエピソードがそれほど興味深いのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、上のエピソードは日本女性の「貞節」について必要以上に美化しているのですよう。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授であれば、上のエピソードが誇張されて書かれていることがすぐに判るでしょう!?
そうかしら。。。?
そかしらってぇ、源氏物語の中では女性は性的にかなり奔放で自由だったのですよ。 そうでしょう!? まるでポルノ映画じゃないかと間違ってしまうほどに、奔放な性の饗宴が描かれているではありませんかァ!
デンマンさんは、源氏物語をそのようにヤ〜らしい感性で受け取めているのでざ〜ますかァ?
僕の感性など問題ではありませんよ。 源氏物語の中の女性は現在、「援交」に現(うつつ)を抜かしているミーちゃんハーちゃんぐらい性的に自由奔放ですよ。 そのことを考えれば、上の本の中では江戸時代の女性の貞節や未婚女性の純潔は絶対に美化されすぎているのですよ。 そう思いませんか?
それはデンマンさんの認識不足ですわ。 源氏物語の時代でも、ひとたび夫婦の契りを交わせば、女性は妻として夫に貞節を尽くしたものですわ。
でもねぇ〜、著者のマックファーレンさんはそれでも不貞な妻というのは日本では聞いたことがないと書いている。 江戸時代にも不貞を働いた妻はいたのですよ。 浄瑠璃や歌舞伎にも出てきます。 実は、マックファーレンさんは日本で生活した経験がない。 日本での滞在経験がある欧米人の書いた資料を読んだり、話を聞いたりして書いたのが『日本 1852』という本なのですよ。
だから、本に書いてあることは信用できないとデンマンさんは言うのですか?
いや。。。 そこまで言うつもりはないけれど、上のエピソードのすべてが真実だとは到底思えないのですよ。 例えば、次の箇所です。
宴は屋上にあるテラスで何事もなく進んだ。
これは日本ではまず考えられませんよ。 それなりの地位にある武士の家です。 でもねぇ〜、屋上にテラスがある武士の家なんて日本では考えられない。
だから、それは日本での滞在経験のないマックファーレンさんがイギリスの貴族の館(やかた)を想像したのですわ。 そう考えればデンマンさんがムキになって反論する必要もないのですわ。
仮に、そうだとしても次の箇所は、やっぱりあり得ないのですよ。
妻はみなの慰めに感謝し、夫の肩で泣いた。
しかし突然抱きしめる夫の手を払い、欄干から身を乗り出して飛び降りてしまった。
江戸時代でも、あるいはその前の安土・桃山時代でも、親戚や町の主だった人々がたくさん居る中で妻が夫の肩で泣くということは考えられない。 「女大学」というのを卑弥子さんも聞いたことがあるでしょう?
もちろん知っておりますわ。
<fopnt size=7 color=blue>女大学
女大学は、江戸時代中期から女性の教育に用いられるようになった教訓書である。
ここでいう「大学」とは、教育機関の大学ではなく、四書五経のひとつである大学のことを言う。
貝原益軒が著した『和俗童子訓』を元に作られたと見られ、1716年(享和2年)に刊行されている。
明治以降は「古い女子教育の考え方」の比喩としても用いられた。
福沢諭吉は本書の意見を否定した「新女大学」を著わした。
儒教によって女性の誠を19か条にまとめた。
これらを幼少のころからよく教えこむことが肝要で、嫁入り道具をりっぱにすることより、こうした教育のほうが婦人を幸せに導くのである、と説く。
二条: 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。
三条: 女子は日常生活全般なに亘り、男女の別をきちんとしなければならぬ、幼少といえども混浴などもってのほか。
六条: 妻は夫を主君として仕えよ。
出典: 「女大学」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公衆の面前では男女の別をきちんとして、妻は夫を主君として仕えるのですよ。 この事を考えれば、親戚や町の主だった人々がたくさん居る中で妻が夫の肩で泣くという事はあり得ない。 臣下は主君の肩で泣いたりしないものですよ。 「妻は三歩下がって夫の影を踏まず」なのですよ。 しかもですよ、「風と共に去りぬ」という映画のシーンでもないのに、公衆の面前で妻を抱きしめる夫ということは絶対にあり得ない。
だから、それもマックファーレンさんが「風と共に去りぬ」という映画を観て想像したのですわ。
あのねぇ〜、マックファーレンさんが生きていた頃には、「風と共に去りぬ」という映画はまだ作られてなかった。
だったら、18世紀のフランスの宮廷のことを考えて、公衆の面前で妻を抱きしめる夫を想像したのですわ。
そうだとしても、もっとあり得ないのは、嫌がる女性を無理やり犯した男が、女の夫が帰ってきたのを承知で集まりに呼ばれると、恥知らずにもノコノコと出かけて行く。 その集まりで、女が欄干から身を乗り出して飛び降りてしまった。 そしたら、客の中にいたその男が突然、階段を駆け下りて死んだ女の横で腹を十字に切って死ぬなんて事は考えられない。 もともと卑怯で力ずくで人妻を犯すような男ですよ。。。、名前が明かされてなくて、誰一人として彼を疑ってはいないという。 そのような状況であれば、この卑怯な男はコソコソとその場から姿を消して平気で居ますよ。
だから、デンマンさんならば、そうするのでしょう? うふふふふふ。。。
いや。。。 僕は嫌がる女性を無理やり犯したりしませんよ!
じゃあ、デンマンさんは嫌がる女でも正々堂々と犯すのでござ〜ますか?
やだなあああァ〜。。。 僕がそのような事をするはずが無いではありませんかア! あのねぇ〜、思い出してくださいよ。。。 卑弥子さんが下着姿で僕の目の前に現れた時に、僕が無理やり卑弥子さんに襲いかかって犯しましたかァ〜?
うふふふふ。。。 どうして。。。、どうして。。。、襲いかかってくださらなかったのですか?
卑弥子さん!! んもおォ〜♪〜 このような真面目な話の最中に、そのような悪い冗談を言うのは止めてくださいよう! とにかく、上のエピソードには信じ難いような事がたくさんありすぎるのです。
でも、「真実は小説より奇なり」と申しますわ。 上のエピソードには、でっち上げた小説のように、ちょっと信じがたい所があるかもしれませんわ。 でも、真実というのは、そのようなものではござ〜ませんかァ?
いや。。。 違いますね。
どのように違うのでござ〜ますか?
小説でも上のようなあり得ない事を書く作家は居ないものですよ。 例えば、あの有名な近松門左衛門に、『鑓の権三重帷子』という作品がある。
それは、どのようなお話なのでござ〜ますか?
次のような話です。
(すぐ下のページへ続く)