カン違い大岡越前(PART 2)
名裁判
(saiban02.jpg)
ある大阪の商人が、使用人が500両を横領したとして奉行所に訴えている。
この金額はおよそ700ポンドに相当する。
使用人は無実を主張したが、他の奉公人がその訴えを補強する証言をしていた。
使用人には不利な状況だったが、奉行は有罪にするか無罪放免にするか判断に迷った。
そこでとりあえず勾留を続けていた。
数日後、商人を呼び出し、訴えを書面にさせた。
長治(ちょうじ)は“とも屋”の奉公人であったが、主人から500両をくすねた。
見せしめのために死罪に処していただきたい。
とも屋きゅうごろう親戚一同
元文元年7月 押印
この書類を確認すると、奉行である河内守はとも屋に向かって、「下がって正しいお裁きになることを期待しておれ」と言った。
訴えが聞き入れられたと思った一同は喜んで帰っていった。
しかし、しばらくすると、別の罪人がその罪を自白してしまった。
とも屋一同はすぐさま奉行に呼び出されている。
「お前たちの間違った訴えで、無実の人間を殺してしまうことになったのがわかるか。
これで、逆にお前たちの命が危ういぞ。
とも屋、女房、奉公人、みなが刑場に行くこともあるぞ。
覚悟しておれ」
とも屋一同は雷に打たれたように跪き、許しを乞うた。
奉行は彼らをそのまま放っておいた。
そうすることが彼らへの教訓だった。
しばらくして奉行は長治への刑がまだ執行されていないことを伝えた。
「この件については嫌疑がはっきりしないので、しばらく長治を牢に留め置くことにしたのだ。
そうすれば彼の無実がわかるときが来そうな気がしていた。
気をつけて事を進めておいてよかった。
長治をここに」
牢から出された長治を前にして奉行はとも屋に言った。
「この罪のない男を見よ。
お前の不実な訴えで死ぬところだった。
取り返しのつかないところだった。
お前の命は助けよう。
まだ長治の命は奪われておらぬからな。
しかし、彼の被った苦痛は保障しなくてはならない。
500両を支払い、奉公人としてこのまま雇うように」
奉行のこの裁きは将軍にまで伝えられている。
短期間のうちに奉行は勘定奉行、長崎奉行へと出世していった。
(デンマン注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
214-216、218ページ 『日本 1852』
著者: チャールズ・マックファーレン
訳者: 渡辺 惣樹
2010年10月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社
あらっ。。。 これも大岡越前様の名裁判の内の一つなのでござ〜ますか?
いや、違います。 この著者のマックファーレン氏は、この奉行の名前は松浦河内守信正と決めている。 「彼の人となりを慕う者は多く、西洋人の間でもその名声は伝わっている」そうなのですよ。
。。。で、松浦河内守信正はいつ頃の人なのですか?
松浦河内守信正は1740年から1746年まで大阪東町奉行として働いていたのです。 その後、1746年から1753年までは勘定奉行だった。 1748年から1752年までは長崎奉行も兼任していた。
。。。で、この名裁判が大岡越前様と関係あるのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、訳者の渡辺さんが調べてみると、マックファーレン氏の語る上の事件が起きたとされる年(1736年)の大阪東町奉行は稲垣種信だったと言うのですよ。
つまり、松浦河内守信正は名前が知れわたっていたので実際には稲垣種信さんが奉行として裁いた事件も松浦河内守が裁いたとマックファーレン氏は思い込んでしまったのでござ〜ますか?
そうらしい。 つまり、名声や世間の噂で、このように人間は勘違いをしてしまうのですよね。。。
要するに、マックファーレン氏の勘違いだったと言うことですか?
でもねぇ、よくよく考えてみれば、この事件が起きたのは1736年ですよ。 つまり、大岡越前がまだ江戸町奉行を勤めていた時の出来事です。
あらっ。。。 それでは、上のエピソードも『大岡越前シリーズ』のテレビ番組の一つに入っているのでござ〜ますか?
僕は『大岡越前シリーズ』のすべてを観たわけじゃないけれど、多分含まれていると思いますよ。 じゃないと、大岡越前が50回以上事件を裁いたことになりませんからね。。。
【小百合の独り言】
ですってぇ〜。。。
そうですわよね。 勘違いってよくあることですわ。
あなただって上のお話を聞いて納得できるでしょう?
ところで、お話は変わりますけれど、私の祖先は百済から難民としてやってきたのです。
ええっ。。。? それも勘違いじゃないのかってぇ〜。。。?
あなたは、ずいぶんと、きつい冗談を言うのですわねぇ〜。 うふふふふ。。。
実は、デンマンさんに教えていただいたのですわ。
それまで全く知りませんでした。
百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ〜。
ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?
とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。
この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。
この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。
でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?
私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。
DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。
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