愛の夕顔(2 OF 3)
別れた後、彼女から受け取ったハガキには、別れたことへの葛藤、妻として母として生きようと決心しながらも力が及ばなかったことへの後悔などが綿々と綴られていました。 私はすぐに、自分のことをもっと知ってもらいたい旨の返事を書きましたが、それきり手紙も何も来なくなってしまいました。 私は彼女の決意の堅さを感じながらも、かえってあの人を追いかけていきたい気持ちが強くなっている自分に気がつきました。
8月下旬の夕暮れ、私はじっとしていられなくなり、神戸のあの人の家を訪ね、私の気持ちを伝えましたが、彼女の決意は変わらないようでした。 帰るとき、階段に降りようと二人が向かいあった瞬間、二人の身体に、同時になにか恐ろしいものが走ったのを感じたのです。 そのとき互いに理性を越えて飛びつきたかったに違いありません。 でも、私たちはそれをしませんでした。 そこに私たちの今日までの愛情の形式があったといえます。
(中略)
私が23歳の夏の初めでした。 7つ年上のあの人の美しさはもはや私には絶対的なもので、それ以上のものはありませんでした。 深遠で情熱を含んだ静かな強さが私を苦しくするほどに執着させ、話すときは当たり前の口調でしたが、互いの目の中に互いの運命の暗示をいつも読んでいたように思われます。 私の心はどんなことがあっても彼女を失いたくないという切ない願いでいっぱいになりながらも、いつか彼女を見失うのではないかという不安がつきまとい、私は人が不倫のために自殺する気持ちをはじめて理解しました。
(中略)
そのころ、私の下宿先の隣家に私とあまり年の違わない娘がいました。 私はその娘と親しくなりましたが、あの人との関係に比べればあわあわしいものでした。 あの人は私にとってだれとも比較などできないほど絶対的で永遠の存在だったのです。 しかし、その娘から結婚を迫られ、5年ぶりにその相談のために、あの人に会うことになりました。 私の27歳の夏でした。
私は耐えられないなつかしさで彼女と会いましたが、彼女は案に反して隣の娘との結婚を勧めたのです。 (中略)
私は結局、隣の娘と結婚しましたが、不運なことに彼女は肋膜(そくまく)を患い、2年間介抱に明け暮れました。 とうとう、私は結婚に対して耐えられない苦痛を感じ、病身の妻と別れる決心をしたのです。 自分の魂の本然(ほんぜん)にかえりたい、それが自分に与えられた運命だと悟り一人で生きていく決心をしました。 私の31歳の春でした。 あき子とはじめて会ってからすでに10年の歳月が流れていました。
(注: イラストはデンマン・ライブラリーから)
93 - 95ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
なんだか男の人がずるいと思いますわ。
どうしてですか?
だってぇ、隣の家の娘さんと結婚するのに、どうして7つ年上の人に相談に行くのでしょうか?
あのねぇ〜、それは男がその人に会いたいからですよ。 とにかく、7つ年上のあの人の美しさが男にとって絶対的なものになっているのですよ。
ただ美人だからということで。。。?
いや。。。違いますよ。 見かけも美人なんだろうけれど、性格的にも美しい人に違いないのですよ。 そうでなければ、男が20数年も思いつめませんよ。 次の箇所を読むと7つ年上の人の素晴らしさが詩的に分かるのですよう。
彼女は5年たったら、もう一度会うことを約束してくれました。 私にとってもはや5年の年月などなんでもありません。 雪の季節にも、しみ通るような寒さにも、私の心はあの人に会える喜びで明るく輝いていました。
あの人と約束した5年目が近づくころ、私はもう45歳になっていました。 あと1日であの人に会えるという日。 私はあの人が末期の思いで書いた悲しい手紙を受け取ったのです。 動かしがたい死の予告を綴った手紙に私は泣いても泣いても、泣ききれないほどの悲しみに突き落とされたました。 あんなに求め続けていた人とついに会えなかったこの哀れな男の運命を想像してください。 すぐあの人の家へ駆けつけましたが、そこでハッキリとあの人の死を確かめただけでした。
(中略)
天国にいるあの人に消息するたった一つの方法は、夏の夜の花火を打ち上げることでした。 若いころ、あの人が摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ち上げたいのです。 花火が消えたとき、私は天にいるあの人がそれを摘み取ったのだと考えて、今はそれをさえ自分の喜びとしているのです。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから)
96ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
若いころ、あの人が摘んだ夕顔の花を、
青く暗い夜空に向かって
華やかな花火として
打ち上げたいのです。
この部分を読むとねぇ、7つ年上の人の面影が僕にも思い浮かんでくるのですよ。
あらっ。。。なんだか実感が込められているようですけれど。。。デンマンさんも同じようなご経験があるのですか?
あるのですよ。。。うしししし。。。
マジで。。。?
冗談ではありませんよ。 僕も愛しい人を20数年間思いつめ、慕い続けたのですよ。
デンマンさんも、その年上の女性が摘んだ
夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ち上げたのですか?
いや。。。残念ながら、そこまでやるだけの役者心は僕にはありませんでしたよ。 うへへへへ。。。
つまり、『天の夕顔』を読んで、デンマンさんも、その年上の女性を思い出したのですか?
そうなのですよ。。。僕も読みながらジーンと涙が込みあげてきたのですよ。
つまり、その事を自慢したかったのですか?
いや。。。自慢したいためにこの記事を書き始めたのではありません。
じゃあ。。。なんのために。。。?
あのねぇ〜、僕は『天の夕顔』が作者自身の経験に基づいて書かれたのか? なんとなく気になって調べたのですよ。
。。。で、実際、作者の経験に基づいて書かれたのですか?
それがねぇ〜。。。この作者は一癖も二癖もありそうな人物なのですよ。
火の無い所に煙は立たず
昔の人はこのように言ったけれど、中河さんの悪い噂は、彼の弟子に言わせると事実無根ということなのですよ。
つまり、中河さんを恨んでいた人が噂を流したと。。。?
そうだと、中河さんの弟子は言っていたのですよ。 その噂は、プロレタリア文化運動に関係した平野謙氏や戦後の反戦平和運動に関わった中島健蔵氏が意図的に流したデマに過ぎなかったと中河さんの弟子は調査結果を発表したのです。
でも、何のためにデマを流したのですか?
平野氏と中島氏は、中河さんに濡れ衣を着せることによって自分たちの戦争協力行為を隠蔽するためだった。 中河さんの弟子は、そう言ったのです。
つまり、中河さんはスケープゴートにされたわけですか?
そうらしい。
。。。で、『天の夕顔』は作者自身の経験に基づいて書かれたのですか?
ところが、これも問題を起こしたのですよ。
どのような。。。?
『天の夕顔』主人公モデル問題
中河の代表作『天の夕顔』は不二樹浩三郎という按摩の身の上話に基づく作品だったため、不二樹は中河に対してこの作品を自分との共著とすることを要求した。
しかし中河は「話をしてくれただけで、それがあなたに何の関係があるのですか。法廷へ出ても何処へ出ても」とこの要求を退けると共に、主人公のモデルの実名公表を拒み続けたため、不二樹との間に深刻な確執が生じた。
不二樹から中河に脅迫状が届き、その直後に中河家の愛犬が不審な死を遂げたこともある。
一連の経緯について中河が警視庁成城警察署に相談したものの、刑事事件には発展しなかった。
一方、不二樹の側でも中河を訴えようとしたが弁護士費用の問題からこれを果たせず、その代わり『名作「天の夕顔」粉砕の快挙──小説味読精読の規範書』(1976年)と題する書物を自費出版してこの作品が中河の創造力の所産ではないことを世に訴え続けた。
不二樹は1990年に93歳で死去した。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
僕はこの事情を読む前に『天の夕顔』を読んだのだけれど、マジで名作だと思いましたよ。 その思いは僕にとって今でも変わらないのです。
でも、なんだかデンマンさんは不満そうですわね。
あのねぇ〜、文学作品は芸術として鑑賞したいのだけれど、こうしてモデル問題でガタガタしたのを知ると、ちょっと興醒(きょうざ)めしますよね。
分かりますわ。。。だから、文学作品のモデルの詮索などする必要が無いのではありませんか?
でもねぇ、モデルを知ることによって文学作品がさらに引き立つことだってあるのですよ。 例えば堀辰雄の『風立ちぬ』ですよ。 1933(昭和8)年、堀さんは軽井沢で矢野綾子さんと知り合うのです。 まず、その頃の軽井沢での体験を書いた『美しい村』を発表したのです。 1934年、矢野綾子さんと婚約するのだけれど、彼女も肺を病んでいた。 そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。 しかし、綾子さんはその冬に死んでしまうのです。 この体験が、堀さんの代表作として知られる『風立ちぬ』の題材となったのですよ。 このようなことを知ると、『風立ちぬ』を読んで、いっそう心を打たれるのですよ。 そういうわけで、僕は野次馬根性を出してモデルを詮索することがある。
でも、期待はずれになることが多いのですか?
そうですよ。。。上のモデル問題などは、読んでゲッソリするような現実の醜い面が表れていますよ。 『天の夕顔』の話は按摩さんの身の上話に基づく作品なのだろうけれど、ずいぶんと脚色されているような気がします。
なぜデンマンさんは、そのように思うのですか?
本当にモデルも素晴らしく、また作品も素晴らしいものならば関係者はそっとしておくと思うのですよ。 矢野綾子さんの遺族が堀さんを訴えたなんて聞いたことが無い。 モデル問題を読んでから『天の夕顔』を読むと、現実の美しい部分だけを拾い上げて書いたような気がします。 現実の醜い部分がモデル問題となって顔をのぞかせているのですよ。
現実をそのまま作品として書くということは難しいのでしょうか?
いや。。。そんなことは無いと思いますよ。
事実は小説より奇なり。
でもねぇ、昔の人は、このようにも言いましたからね。 現実をそのままに書いても、なかなか信じてもらえないものですよ。
あらっ。。。デンマンさんも、そのように感じるのですか?
たとえば「あの人」の旦那さんが手紙を書いてきたとしますよ。
どのような。。。?
次の手紙ですよ。 小百合さんは現実の手紙として信じることができますか?
(すぐ下のページへ続く)