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ロマン・ロランも理解した(PART 1 OF 4)

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ロマン・ロランも理解した(PART 1 OF 4)





デンマンさん。。。上の写真は花魁(おいらん)の写真ではありませんか?



そうですよ。。。よく分かりましたね?

女性の服装を見ればすぐに判るではありませんか!

うん。。。確かに、そうですよ。

あのォ〜、フランス人のロマン・ロランが日本へやって来て花魁と遊んだことがあるのですか?

いや。。。ロマン・ロランは日本に来たことはないですよ。

それなのに、どうして花魁の写真などを持ち出してきたのですか?

実は、倉田百三の『出家とその弟子』を僕は読んだのですよ。

それってぇ、ずいぶん昔の戯曲でしょう!?

あれっ。。。小百合さんは知っているのですか?

戯曲のタイトルだけは有名だから知っていますわ。 でも読んだことはありません。

僕も読む気はなかったのだけれど、たまたま、「あらすじで読む日本の名著」の中に入っていたのですよ。 その冒頭に倉田百三のことが書いてあったのですよ。


倉田百三 (1891 - 1943)



広島県生まれ。 劇作家・評論家。
旧制一高在学中に西田幾多郎に師事する。
数編のエッセーを発表するが結核を患い退学。
帰郷してキリスト教や仏教を学び、思索に励んだ。
自由な恋愛観と宗教観を描き、作品は世に評価されるに至るが、今度はカリエスで病床に臥す。
その生活の中から戯曲に『俊寛』『布施太子の入山』、感想文集『愛と認識との出発』などを生み出した。

作品の背景

病魔と闘いながらも、26歳のとき(1917年)、この戯曲を発表。
たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくった。
その反響は海外にまで及び、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評した。
なお、同作品は親鸞の弟子である唯円が書いた『歎異抄』に取材したものである。

(注: 赤字はデンマンが強調)




つまり、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評したのでデンマンさんも読む気になったのですか?



その通りですよ。 しかも、僕はかつてマンガの解説書『歎異抄』を読んで親鸞と唯円のことを記事で取り上げたことがあるのですよ。


それ程、極楽浄土が

素晴しいのなら、

なぜ今すぐに逝かないの?



唯円(ゆいえん)、今日のおまえはおかしいぞ。いったいどうしたのじゃ。



こんなことを申し上げると、もしかして聖人さまのお側(そば)におられないかもしれませんが、どうか私の心の内を聞いてくださいませ。

帰ってからではいかんのか?

いえ、意を決した今こそ、お聞きせねば!

よくよくのことじゃな。申してみよ。

私は聖人の教えを信じお念仏しております。救われるはずのない私が救われるわが身をありがたく思っております。しかし、本当にそう信じているなら踊りあがってこの上もない喜びをかみしめることでしょう。なのに私はいつまでたってもそこまでの喜びがわき上がってまいりません。さらには娑婆(しゃば)が無明(むみょう)の世界と知りながら一刻も早くお浄土へ参りたいという心が起こってこないのです!唯円は。。。唯円は。。。聖人のお側におりながら心底(しんそこ)み教えをいただいておりませぬのか?!



もはや私には阿弥陀様のお心が届いておらぬのではと毎日毎日苦しむばかりです。(号泣)

唯円よ。私もそれをいぶかしく思っておったが、そなたも同じ心であったか。

“同じ心”でございますか?

そうじゃよ。唯円よく申してくれた。ありがとうよ。

聖人さま、もったいない!

よくよく考えて見ると躍り上がるほど喜ばねばならぬことを喜ぶことのできないわが身を思うにつけ、いよいよ往生(おうじょう)が定まった身といただけるのう。

なぜでございます?!阿弥陀様のお救いにあずかりながら、それにふさわしい喜びがわいてこないのは本当に救いを求めていないからではありますまいか?

そうじゃな。それはどうしようもない恩知らずで浅ましいことじゃ。

うわぁ。。。やっぱり。。。

ここにも、そういう恩知らずがおるがな。

そんなぁ。。。聖人さまは違いますぅ。

唯円よ、悲しいのう。。。

はっ。。。?

この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。

ですから。。。

まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。



ハイ。

しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。

凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。

そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの?

い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?!

おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ!

(ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。

のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。

ホンマ、つらいですね。

しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか?

イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。

やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。

面目ありません。

いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。

ハァ。。。

私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。

ハイ!

お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ?

ああっ。。。

愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。

はい!

ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。



ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。



なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。

【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。
画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。
赤字はデンマンが強調】



199-211ページ 『漫画 歎異抄』
作: 岡橋徹栄 画: 広中建次
発行: 本願寺出版社
2003年9月30日 第二刷発行

『愛憎と極楽浄土 (2008年10月9日)』に掲載




親鸞と唯円が出てくるのでデンマンさんは読む気になったのですか?



うん。。。そういう事なのだけれど、ロマン・ロランが評した「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」とはどういうものなのか? 僕は興味が湧いてきたわけですよ。

ロマン・ロランってぇ、それほど有名な人ですか?

あれっ。。。小百合さんはロマン・ロランの作品を読んでいないのですか?

読んでませんわ。 名前がロマンチックだったので覚えていましたけれど、どのような作品を書いた人なのかも、まったく知りませんわ。 うふふふふふ。。。

そうだったのですか。。。

。。。で、デンマンさんはロマン・ロランの作品を読んだことがあるのですか?

もちろん。。。読んだことはありませんよ。 うししししし。。。

じゃあ、私と同じではありませんか!

まあ。。。そう言う事ですよね。 ロマン・ロランのことを知らずに読んでも面白くないだろうから、調べたことをここに書き出しますよ。

 (すぐ下のページへ続く)


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