一所懸命(PART 2)
熊谷直実・出家の真相
一の谷の合戦で熊谷直実が、年わずか16歳の平家の公達(きんだち)敦盛を涙ながらに討ち取った逸話は、『平家物語』の名場面として世に名高い。
だが、『吾妻鏡(あずまかがみ)』の記す直実出家の原因は、以上の通説とまったく違い、まことに現実的だ。
直実は御家人の中でも小身の方で、熊谷郷を領するにすぎなかったが、熊谷郷と隣接する久下(くげ)郷との間に、境界争いがもちあがった。
そこで幕府の裁判にかけることになり、頼朝の隣席をあおいだが、口下手な直実は満足に質問にも答えられず、形勢は時間とともに不利になるばかり。
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とうとう怒り心頭に発した直実は、将軍の面前にも構わず、
「こうなっては直実の敗訴は決まりきったこと、とかく申し述べる必要もございませぬ」
そう言い放つと、やにわに刀を抜きはなって髻(もとどり)を切り落とし、そのまま逐電してしまった。
以上が出家の真の原因だという。
いったいに鎌倉武士は、「一所懸命」というふうに、自分の生命よりも所領の方を大切にした。
それから考えると、『吾妻鏡』の説の方が真相を伝えていると判断してよいであろう。
直実はその後、京都に赴いて法然に師事、蓮生坊(れんしょうぼう)と名を変えて念仏修業に励み、承久2(1208)年に往生(おうじょう)の素懐をとげた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマンライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)
319ページ 『読める年表・日本史』
2012年7月21日 改訂11版第1刷発行
発行所: 株式会社 自由国民社
デンマンさんのご先祖は久下郷に住んでいたのでござ〜ますか?
いや。。。 僕の先祖は「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」に住んでいたのですよ。
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1968年に「金錯銘鉄剣」(国宝)が出土した稲荷山古墳や、日本最大級の円墳とされる丸墓山古墳がある土地です。 僕の家は稲荷山や丸墓山から歩いて30分ほどですよ。 子供の頃はよく丸墓山へ遊びに行ったものです。
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地図の中の久下橋から上のような きれいな富士山が見えるのでござ〜ますか?
江戸時代の頃でも久下橋から見る富士は有名だったのですよ。
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吹上の荒川堤から見た富士山
それで、デンマンさんは上の『日本史』に書いてあるように、領地争いの裁判で熊谷直実が負けて、ムカついてお坊さんになったと言うのが真相だと信じているのでござ〜ますか?
いや。。。 僕は上のエピソードを丸ごと信じることはできないのですよ。
どうして。。。?
あのねぇ〜、将軍の面前ですよ。 しかも裁判の最中ですよ。 それなのに、やにわに刀を抜きはなって髻(もとどり)を切り落とし、そのまま逐電してしまったと言う。 こんなことが現実にあり得るはずが無いのですよ。 将軍の面前で刀を抜いたら、それこそ切腹ものですよ。 あの江戸時代の赤穂浪士の敵討ちを思い出してください。 ことの起こりは浅野長矩(内匠頭)が吉良上野介を切りつけようと殿中で刀を抜いた事がそもそもの始まりですよ。 将軍の面前ではもちろん、将軍の居る殿中で刀を抜くことは切腹に値する大きな罪だった。
じゃあ、上の『吾妻鏡』のエピソードは何を言おうとしているのでござ〜ますか?
そもそも『吾妻鏡』は誰が書いたものか? 『ウィキペディア』には次のように書いてありますよ。
『吾妻鏡』
『吾妻鏡』(吉川本)右田弘詮の序文『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す。
成立時期は鎌倉時代末期の1300年頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。
後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。
編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。
出典: 「吾妻鏡」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、源頼朝の兄弟やその息子たちが築いた鎌倉幕府の実権を奪い取った北条家の人間が書いたものなのですよ。
だから。。。?
だから、つまり。。。、北条家の人間としては自分たちが源家から実権を奪い取った正当性を暗黙の内に書き込んでいるのですよ。
どこが北条家の正当性なのでござ〜ますか?
要するに、裁判に頼朝が顔を出している。 それにもかかわらず、あの有名な熊谷直実をムカつかせて出家させてしまうよう判決しか出させない“無能な頼朝像”を上のエピソードを利用して『吾妻鏡』の中に描き込んでいるのですよ。
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【小百合の独り言】
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ですってぇ〜。。。
どうですか?
あなたは、どう思いますか?
デンマンさんによると『万葉集』も大伴家持が藤原政権に対する批判をそれとなく書き込んだ批判の書だと言うのです。
だから、『吾妻鏡』の中で北条家の者が頼朝を批判するエピソードを書き込んでいると言う説明も理解できるような気がしますわ。
ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
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