一所懸命(PART 1)
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デンマンさん。。。 今日は“一生懸命”のお話でござ〜♪〜ますか?
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いや。。。 “一生懸命”じゃなくて“一所懸命”ですよ。
一字だけが違いますけれど、同じ意味でしょう?
同じようでありながら、実は、歴史的に大きな違いがあるのですよ。 “一所懸命”というのは『ウィキペディア』には次のように出ているのですよ。
一所懸命
一所懸命の土地とは、中世日本において各々の在地領主が本貫とした土地であり、命をかけて最後まで守り抜く覚悟を持った土地をいう。
その土地の地名を名字として名乗ることが多い。
古代末期ごろ、在地の富豪層の中から自分で土地を開墾し、その土地に何らかの権利を有する開発領主と呼ばれる階層が出現した。
開発領主のうち、国司などとして下向してきた軍事貴族と関係を結び、武装して初期の武士となる者も現れた。
こうした武士は特に関東に多く、先祖から受け継いだ土地を自身の命より大切に考え、子孫に伝えようとする傾向が強く見られた。
やがて中世後期になると、武士たちは戦国大名など領主層の家臣団として組み込まれていき、領地替え・国替えが行われることも、珍しくなくなった。
しかし、先祖代々継承してきた土地に強い執着があった武士の一部は、主君の領地替えに隋従せずに武士身分を捨て浪人となり、その土地に農民として土着して残る者も出た。
特に有力な土着の浪人たちに対しては、近世領主たちは、苗字や帯刀を許可するなど武士に近い一定の特権を認めて、庄屋・名主などの村方三役に任じることが多かった。
こうして、一所懸命の土地に対する権利を継承していったのである。
出典: 「一所懸命の土地」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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つまり、“一生懸命(いっしょうけんめい)”というのは、“一所懸命”に自分の土地を命に代えて守るような意気込みで仕事をしたりスポーツをすることの意味に転用するようになったのですよ。 だから、『ウィキペディア』の“ハードワーカー”を見ると次のように書いてある。
ハードワーカー
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ハードワーカー(Hardworker)とは、
1.一生懸命、休みなく働く人のこと。
2.サッカー用語の一つ。
出典: 「ハードワーカー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なるほどォ〜。。。 そういう事だったのでござ〜ますか?
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京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ともあろう人が このような常識的な事を知らなかったとは驚きですねぇ〜。。。
うふふふふふ。。。 “上手の手からも水が漏る”、“弘法も筆の誤り”、“サルも木から落ちる”と昔の人は言ったものですわ。 つまり、完璧な人間はいないものですわ。 京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している あたくしにも知らない事って あるのでござ〜ますわよう。 おほほほほほ。。。 それで、これで今日のお話は終わりですか?
まだ、話は始まったばかりですよ。 実は、今日の話は僕が卒業した高校と関係があるのですよ。
あらっ。。。 デンマンさんは確か、埼玉県の熊谷高等学校をご卒業なさったのですわよね?
あれっ。。。 卑弥子さんはよく覚えていますねぇ〜。。。
だってぇ〜、かつてデンマンさんから次のようなメチャ面白いお話を伺ったことがござ〜ましたわ。 デンマンさんの高校には面白い先生がたくさん居たのですわねぇ〜。。。
自由で開放的な
授業の雰囲気
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英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。
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その寺田先生は女性でござ〜♪〜ますか?
もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。
その先生は、どのような感じの先生でござ〜♪〜ますか?
山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。
。。。んで、どのような事があったのでござ〜♪〜ますか?
いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。
それで。。。?
ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。
それで。。。?
先生は、感極まったように言ったものですよ。
“う〜〜ん。。。
いい尻をしているなあぁ〜”
つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?
そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。
それで。。。?
“オイ、いいケツだとよォ〜” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。
デンマンさんは、どう思ったのでござ〜♪〜ますか?
女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。
つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う〜〜ん。。。いい尻をしているなあぁ〜。。。”と、感嘆したことがあったのでござ〜♪〜ますか?
ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。
。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ〜♪〜ますか?
これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。
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うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?
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卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?
確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。
そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?
う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。
なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。
“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”
「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。
そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。
つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?
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そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。
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その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ。
『美尻 (2011年9月9日)』より
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。。。んで、今日もその高校時代の恩師のお話でござ〜ますか?
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違うのですよ。 鎌倉時代のあの有名な熊谷次郎直実の話ですよ。
熊谷直実(くまがい なおざね)
誕生: 永治元年2月15日(1141年3月24日)
死亡: 建永2年9月4日(1207年9月27日)
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熊谷駅北口の直実像
武蔵国大里郡熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)の出身。
幼名を弓矢丸という。その名のとおり弓の名手である。
幼い時に父を失い、母方の伯父の久下直光に養われた。
保元元年(1156年)7月の保元の乱で源義朝指揮下で戦い、平治元年(1159年)12月の平治の乱で源義平の指揮下で働く。
その後、久下直光の代理人として京都に上った直実は一人前の武士として扱われないことに不満を持ち、自立を決意し直光の元を去って平知盛に仕える。
『平家物語』によれば、この戦いで良き敵を探し求めていた直実は、波際を逃げようとしていた平家の公達らしき騎乗の若武者を呼び止めて一騎打ちを挑む。
直実がむんずと取っ組んで若武者を馬から落とし、首を取ろうとすると、ちょうど我が子・直家ぐらいの齢だった。
直家はこの戦いの直前に矢に射抜かれ深手を負っていたので、直実はその仇討ちとばかりにこの若武者に挑んだのである。
直実が「私は熊谷出身の次郎直実だ、あなたさまはどなたか」と訊くと、敦盛は「名乗ることはない、首実検すれば分かることだ」と健気に答えた。
これを聞いて直実は一瞬この若武者を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を切った。
その後、首実検をするとこの公達は清盛の甥・平敦盛と判明、齢十七だった。
討ち死にの折に帯びていた笛「小枝」(さえだ)は、笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜ったものだという。
これ以後直実には深く思うところがあり、仏門に帰依する思いはいっそう強くなったという(『平家物語』)。
出典: 「熊谷直実」
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このお話ならば、あたくしも存じ上げておりますわ。 数えで17歳の平敦盛を殺さねばならない武士の世の無情に思うところがあって、お坊さんになったというお話でしたよね。
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そうですよ。 僕も高校の日本史の時間に そのような話を聞いて納得したものです。 でもねぇ〜、どうやら単純に信じていいような話ではないらしい。
あらっ。。。 違うのでござ〜ますか? 自分の息子と同じ年頃の少年を殺さねばならなっかったという武士の世界の無情さに嫌気がさして僧侶になってのではないのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、考えてみれば武士の世ですよう。 少年の頃から戦いに負ければ命が無いと聞かされている。 それは言わば常識ですよ。 武士であれば、少年たりとも覚悟ができている。 元服を終えて、初陣に出て戦って15歳や16歳で戦死することは珍しいことではなかった。 そのような出来事に、いちいち涙して武士を捨てるような事があるはずがない! 武士の世界は、そんな甘いもんじゃない! 当時では15歳や16歳の少年であっても、元服すれば一人前の武士ですよ。 戦いで負けて命を落とすのは常識です。 首を取られても、それは言わば常識的な、当然のことだった。
つまり、その程度のことでは、当時の武士が涙して武士を捨てるようなことは無かったとデンマンさんは言うのでござ〜ますか?
あのねぇ〜、僕は夕べ、1、231ページもある分厚い『日本史』を読んでいたのですよ。 そしたら次のようなエピソードに出くわした。
(すぐ下のページへ続く)