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遊女と三つ子(PART 1)

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遊女と三つ子(PART 1)


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デンマンさん。。。 今日は遊女が三つ子を生んだというお話でござ〜♪〜ますか?


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卑弥子さんは、なんだかつまらなそうですね。

だってぇ、“遊女”と言えば昔の話でしょう?

確かに、“遊女”という言葉は現在では歴史の時間だけしか使われなくなったけれど、でもねぇ、この話は卑弥子さんも楽しくなるような話なのですよ。

遊女が三つ子を生むと、どうして楽しくなるのでござ〜♪〜ますか?

このように話せば、卑弥子さんも遊女が三つ子を生むと、どうして楽しくなるのか? 知りたくなるでしょう!

そうですわね。 どうしてですか?

だから、その話を今日はしようというのですよ。 どうですか? 興味ありませんか?

そういうお話であれば、ぜひとも伺いたいですわ。 さっそく話して聞かせてくださいな。

あのねぇ〜、実は、僕はバンクーバー市立図書館で『読める年表・日本史』という、ずいぶん重たい本を借りているのですよ。


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なんと 1,231ページもある分厚い本で、たてが30センチで、横が 25センチぐらいで、厚さが 8センチぐらいある。 きょうもこの本をショッピングバッグの中に入れてマンションから30分ほど歩いて中央図書館まで持ってきたのですよ。



つまり、この記事はバンクーバー中央図書館で書いているのでござ〜ますか?

そうですよ。

。。。んで、バンクーバーには日本語の本を購入する専門家がいるのですか?

あのねぇ〜、この本は横浜市立中央図書館の贈り物なのですよ。

どうして横浜市立中央図書館がバンクーバー市立図書館に贈り物をするのでござ〜ますか?


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バンクーバー市立中央図書館



実は、バンクーバー市と横浜市は姉妹都市なのです。 だから、バンクーバー市立図書館の日本語の本の中には横浜市立図書館から寄贈された本が、けっこうたくさんあるのですよ。



つまり、遊女が三つ子を生んだというお話は、『読める年表・日本史』という分厚い本の中に見つけたお話なのでござ〜ますか?

その通りですよ。 「嘉永二(1849)年の世相トピックス」というコラムに書いてある話なのですよ。

じゃあ、さっそくそのお話を聞かせてくださいな。

あのねぇ〜、その前に、同じ嘉永年間の話の中で次のエピソードが目に留まったのですよ。


嘉永五(1852)年の世相トピックス

インテリ乞食の最後

江戸の山下御門外をかせぎ場にしていた乞食の六助が死んだ。

朋輩の易者が悔みにたずねたところ、六助が使っていた茶碗の底に、辞世の歌が書いてあるのを発見した。

さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になった。


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(赤字はデンマンが強調。)



772 ページ 『読める年表・日本史』
2012年7月21日 改訂11版第1刷発行
発行所: 株式会社 自由国民社




あらっ。。。 江戸時代のインテリ乞食のお話でござ〜ますか?



そうなのですよ。

あたくしは漢文を5歳の時から学習しておりますけれど、ほとんどのネット市民の皆様は、上の漢文の意味が解らないと思うのですわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは漢文を5歳の時から勉強しているのですか?

あたくしの祖父が漢詩に凝っていましたので、物心つくころから、なんとなく漢文に親しむようになったのでござ〜ますわ。

だったら、卑弥子さんが、ぜひ現代語に訳してくださいよ。

そうですか。。。 デンマンさんから頼まれたら、ちょっとイヤだとは言えませんわ。。。じゃあ、あたくしの拙(つたな)い漢文の素養ですけれど、ちょっと訳してご覧にいれますわ。 だいたい、このようになると思うのでござ〜ますわ。


一鉢千家飯 孤身幾度秋 

不空遂不色 無楽又無憂

冬暖草園裡 夏涼橋下流

若人間此六 明月水中浮




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おもらい用のドンブリに千軒の家からご飯をもらって 一人で食べた食欲の秋が何度もありましたわ。

ドンブリが空になるまで思う存分いただきました。 色気のことなど、ちっとも考えてみませんでしたわ。

楽しければよいのです。 憂いなんて要りません。

冬は暖かい草の上に寝て、夏は橋の下で涼みます。

人間は若い内が花ですよ。

だから、明日はウキウキしながら水の中に飛び込んで、楽しく浮いて泳ごうと思いますわ。




あたくしの現代語訳は、いかがでござ〜ますか?



あのねぇ〜、いかにも卑弥子さんらしい人生観に基づいて現代語に訳しているのだけれど、“現代語訳”と言うよりも“現代誤訳”になっていると思うのですよ。

あらっ。。。 どこか間違って訳してしまいましたかしら。。。?

京都の女子大学で腐女子の皆さんに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授に向かって失礼かとは思うけれど、上の現代語訳は卑弥子さんの人生観に基づいての個人的な解釈で、上のように解釈すると、さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないと思うのですよ。

そうかしら。。。? どこがいけないのかしら。。。?

あのねぇ〜。。。 解釈全体が、楽観的、享楽的すぎるのですよ。 これでは乞食の六助さんがルンルン気分で死んだことになって、どう考えてもさだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないです。

そうかしら。。。?

僕は思うのだけれど、この漢詩には“布袋さんの心”が読まれていると思うのですよ。

“布袋さんの心”でござ〜ますか? 

そうです。


布袋(ほてい)


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狩野洞白愛信(とうはくちかのぶ)作

布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。
水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。
四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。
図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。
また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。
なお、布袋が背負っているこの袋は堪忍袋ともいわれる。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。
彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。
天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。
その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。
10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。
布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智?、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。



出典: 「布袋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になったということは、六助さんは乞食でありながらも中国の歴史や中国文学にも詳しかった。 そういう古典の素養を基にして上の辞世の漢詩を詠んだということだと思うのですよ。



あたくしのおように解釈してはいけませんか?

いや。。。 卑弥子さんのように解釈してもいいですよ。 でもねぇ〜、京都の女子大学で腐女子の皆さんに教える時には、卑弥子さんの極めて個人的な解釈では駄目だと思うのですよ。

じゃあ、デンマンさんはどのように現在語訳したのでござ〜ますか?

次のように訳してみました。


 (すぐ下のページへ続く)


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