すはま物語(PART 3 OF 3)
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あらっ。。。ずいぶんと熱心に書いたものですわね。 でも、阿部内親王、のちの称徳天皇が「すはま」と関係あるのですか?
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もちろんですよ。 上の文章にも書いてあるでしょう! 複雑な汀線をもつ州浜敷きの池がある「東院庭園」で称徳天皇は宴会や儀式を催したのですよ。
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でも、「東院庭園」に立っているのは私ではありませんか!
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そうですよ。 軽井沢タリアセン夫人が「東院庭園」を訪ねたのですよ。
私はまだ平城京跡へ行ったことがありませんわ。
だから、僕がわざわざ「すはま物語」を書いて、こうして小百合さんを「東院庭園」へ連れて行ったのですよ。 うししししし。。。
分かりましたわ。。。で、デンマンさんとって興福寺の阿修羅像は少年ではなく16才の阿部内親王その人だと信じているのですか?
そうですよ。 僕が仏師ならば阿部内親王の内面を阿修羅像を借りて描き出しますね。
つまり、阿修羅像を造った仏師は阿部内親王の内面を表現しようとしたのですか?
それ以外に考えられませんよ。 阿修羅像をもう一度じっくりと見てくださいよ。 多難な将来を予感した16才の阿部内親王の苦悩が余すことなく表情に出ているとは思いませんか?
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ〜。。。
阿部内親王は孝謙・称徳天皇として2度も女帝の座につくのですけれど、不幸な女性だったようでござ〜♪〜ますわ。
道鏡がらみの言い伝えのせいで日本史からほとんど抹殺されていた悲劇の女帝です。
この阿部親王という女性は、後世によからぬことを言われたました。
この女性が攻撃の対象となったというより、道鏡がボロクソに言われたのでござ〜♪〜ますわ。
その道鏡を庇護したというので、孝謙・称徳天皇もボロクソに言われたというわけです。
このコンビは江戸時代になるとアダルトグッズの業界ですっかり有名になってしまいました。
うふふふふふ。。。
葛飾北斎が「魂胆遣曲道具」の中で『道鏡鎧甲(よろいかぶと)』と画題をつけて道鏡を登場させていますが、道鏡が鎧兜をつけて戦いに臨んだということはもちろん記録にありません。
この鎧甲(よろいかぶと)とは性生活をサポートするための性具なのですわ。(微笑)
それに道鏡の名を付けたというわけです。
詳しいことは次の記事を読んでくださいませ。
■『道鏡と孝謙女帝は性具でも有名』
とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
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ィ〜ハァ〜♪〜!
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こんにちは。ジューンです。
道鏡さんは本当に悪者だったのでしょうか?
わたしは偉いお坊さんだったと思うのですわ。
なぜなら、当時、僧を目指すということは、
言葉を換えれば人間にある全ての欲を絶つことでした。
色欲、物欲、権力欲など、相当な覚悟と
それに打ち勝つ強靭な精神力が必要だったのですわ。
生半可な人間にはとうてい真似の出来ないことでした。
道鏡は語学にも才能があったと見え、
留学僧でもない道鏡が兄弟子・良弁に付き添って
唐招提寺の鑑真を訪れた時、
二人の会話が理解できたと言います。
道鏡はさらに難解なサンスクリット語にも精通していたのです。
辞書も教科書も、ましてやテープもない時代に
異国語を習得することは大変なことでした。
あなただって、想像がつくでしょう?
だから、道鏡さんが相当の頭脳の持ち主であったことは
まず間違いないようです。
でも当時、悪い僧侶も確かに居ました。
仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めていたのです。
まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきました。
生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、
勝手に出家し僧を名乗るようになってきたのです。
これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える
“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決めました。
それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて
日本にやって来たというわけです。
以来、僧侶として認められるためには、
“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。
この“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を
持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、
そして東国の下野(しもつけ)薬師寺の
3カ所と定められました。
これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。
道鏡のレベルの僧侶になると、
セックスにむちゃくちゃをするような僧は
まずその地位を保つことが出来ません。
この当時の宗教界は、それ程腐ってはいません。
とにかく鑑真和尚が居た頃の話ですから。。。
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ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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