めれちゃんと愛のピアノ (PART 2 OF 3)
フジコ・ヘミング
(fujiko10.jpg)
本名: Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming(イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング)
日本名:大月フジ子(12月5日生- 血液型:A型)
ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のジョスタ・ジョルジ・ヘミングと、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。
スウェーデン国籍
長らく無国籍の状態が続いた。
幼少時代
5歳の時に日本に帰国。
当時、戦争への道にひた走り軍事色が濃くなる日本に締め出されるかのように、ほどなく父ジョスタは家族3人を残し、一人スウェーデンに帰国してしまう。
以来、母と弟と共に東京で暮らし、母、投網子の手ほどきでピアノを始める。
また、10歳から、父の友人であり、ドイツで母のピアノを師事したロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事。
以後、芸大在学時を含め、長年の間、クロイツアーの薫陶を受ける。
学生時代
小学校3年生の時にラジオに生出演し、天才少女と騒がれる。
青山学院高等部在学中、17歳で、デビューコンサートを果たす。
東京芸術大学在学中の1953年には新人音楽家の登竜門である、第22回NHK毎日コンクールに入賞をはたし、さらに文化放送音楽賞など、多数の賞を受賞した。
東京芸術大学卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルなど多数のオーケストラと共演。
かねてよりピアノ留学を望んでいたフジ子だったが、パスポート申請時に無国籍であった事が発覚する。
その後、留学の機会を伺いつつピアニストとして音楽活動を行っていたが、30歳の時に赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学を果たした。
優秀な成績で卒業後、ヨーロッパに残り各地で音楽活動を行うも、生活面では母からの僅かな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長らく続いた。
人間関係においても、日本でも外国でもどこに居ても外国人として疎外された。
フジ子は「この地球上に私の居場所はどこにもない...天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話している。
ヨーロッパでのピアニスト時代
その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。
作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。
しかし、貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったため、リサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目をみた。
既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時、左耳の聴力も失ってしまい、耳の病のためフジ子は演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。
失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後は、ピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は回復してきている。
日本への帰国後のブレイク
母の死後、1995年に日本に帰国し、母校東京芸大の旧奏楽堂などでコンサート活動を行う。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映されフジ子ブームが起こった。
<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/z_EvYEXtrCg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後三ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。
第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。
やがて1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。
2001年6月7日にはカーネギーホールでのリサイタルを披露。
現在、ソロ活動に加え海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。
人物
ヘミングは菜食主義者、クリスチャンとして知られている。食物の中で特に好むのはじゃがいもであるとされる。
ピアノ演奏以外の趣味は絵画、裁縫、読書、水泳などで、バレエや映画の鑑賞も好んでいる。
絵に関しては幼少時から得意としており、今までに書き溜めた絵は本やCDのジャケットで使われている。
個展を開くこともある。
また愛猫家、愛犬家の動物愛護家ある。
語録
「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘(ラ・カンパネッラの意)があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」
「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。」
「一つ一つの音に色をつけて弾いている」
出典: 「フジコ・ヘミング」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フジ子さんは めれちゃんのようにニャンニャンをとっても可愛がってるのやがなァ。。。
それで、あんさんはフジ子さんのことを取り上げはったん?
それもあるのやけど、めれちゃんもフジ子さんも“表現者”なのやでぇ〜。。。 それで、めれちゃんの『即興の詩』が、いつかNHKのドキュメント番組、ETV特集『めれんげ〜ある詩人の軌跡〜』が放映されて “めれちゃんブーム”が起きるのやがなァ〜。。。
そないなことはあらへん!
あのなァ〜、現在、めれちゃんの『即興の詩』はGOOGLEで検索すると、えらいことになってるのやでぇ〜。。。
(gog31208.gif)
このように 2位と3位をめれちゃんの『即興の詩』が占めているのやでぇ〜。。。
それと“めれちゃんブーム”は関係あらへん。
あのなァ〜、そないに謙遜せんかてええのやでぇ〜。。。 フジ子さんのように努力を重ねて『即興の詩』サイトを毎日更新していれば、めれちゃんもやがては“めれちゃんブーム”を引き起こすのやでぇ〜。。。
そないなことはあらへん!
あのなァ〜、昔の人は言うたのやでぇ〜。。。 「信じる者は救われる」と。。。 そやから、めれちゃんも深く信じて『即興の詩』サイトを毎日更新してみることやでぇ〜。。。 ええなァ〜。。。
(laugh16.gif)
【レンゲの独り言】
(manila07.gif)
ですってぇ〜。。。
そうですよね。
めれんげさんも 『即興の詩』サイトを毎日更新していれば、やがては“めれちゃんブーム”を引き起こすかも知れませんよね。
長い休止期間の後で、めれんげさんは『即興の詩』サイトを再開しました。
猫ちゃんたちが登場する記事も書いてます。
(cat620.jpg)
■『猫たちに詫びる』
(2013年7月15日)
めれんげさんは、更に頑張って愛の詩や短歌を投稿しました。
■めれんげさんの『即興の詩』サイト
再開した頃でも 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出たのです。
(gog30703.gif)
■『現時点での検索結果』
検索エンジン最適化をいつも考えて頑張っている人には
「どうしたら、そんなに上位に掲載されるのォ〜?」と不思議に思えたり羨ましく思えるかもしれません。
その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。
次のリンクをクリックして読んでみてください。
■『おばさんの下着に見るSEO』
あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?
ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?
そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。
気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。
(dog202.jpg)
■『ワンワンちゃん』
とにかく、次回も興味深い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
(hand.gif)
(すぐ下のページへ続く)