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定慧と小百合の物語(PART 4 OF 4)

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定慧と小百合の物語(PART 4 OF 4)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
確かに飛躍したお話でござ〜♪〜ますわ。
でも、これほどまでにこじつけると、もう呆れて何も言う気が起こりませんよね。
あなただってぇ、そう思うでしょう?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

定慧さんは子供のときに出家したのです。

長男なのにどうして出家しなければならなかったのか?

それには複雑な家庭の事情があったのです。

出家しないと命の危険さえあったのです。

つまり出家するということは

人間にある全ての欲を絶つことでした。

色欲、物欲、権力欲を捨てることです。

こうすることによって定慧さんは

世俗の権力欲がないことを世間に示したのです。

そうでない限り天智天皇の猜疑心は

たとえ子供であろうとも

殺してしまいかねないほどだったのです。

当時、僧を目指すということは、

言葉を換えれば人間にある全ての欲を絶つことでした。

相当な覚悟とそれに打ち勝つ強靭な精神力が

必要だったのですわ。

生半可な人間にはとうてい真似の出来ないことでした。

ちなみに、江戸時代になってから

ずいぶんと笑い者にされた道鏡さんは

実は優秀な人だったそうです。

語学にも才能があったと見え、

留学僧でもない道鏡さんが兄弟子・良弁に付き添って

唐招提寺に居る鑑真さんを訪れた時、

二人の会話が理解できたと言います。

道鏡さんはさらに難解なサンスクリット語にも

精通していたのです。

辞書も教科書も、ましてやテープもない時代に

異国語を習得することは大変なことでした。

あなただって、想像がつくでしょう?

だから、道鏡さんが相当の頭脳の持ち主であったことは

まず間違いないようです。

でも当時、悪い僧侶も確かに居ました。

仏教が隆盛するに伴い、

様々な問題も現れ始めていたのです。

まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきました。

生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、

勝手に出家し僧を名乗るようになってきたのです。

これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える

“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決めました。

それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて

日本にやって来たというわけです。

以来、僧侶として認められるためには、

“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。

この“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を

持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、

そして東国の下野(しもつけ)薬師寺の

3カ所と定められました。

これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。

道鏡さんのレベルの僧侶になると、

セックスにむちゃくちゃをするような僧は

まずその地位を保つことが出来ません。

この当時の宗教界は、それ程腐ってはいません。

とにかく鑑真和上が居た頃の話ですから。。。



ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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