定慧と小百合の物語(PART 2 OF 4)
あらっ。。。デンマンさん。。。また定慧さんの話を持ち出してきたのですわね。 ちょっとしつこいとは思いませんか?
うん。。。確かに僕のブログを毎日読んでいる人は、そう思うかもしれません。 でもねぇ、毎日読みにやって来る人はそれほど多くはないのですよ。 だから、同じ話を2度読まされてウンザリしている人は少ないと思いますよ。
ところで、どうして私の名前を持ち出してきたのですか? 私と定慧さんがまるで関係ありそうではありませんか?
関係ありますよ。
でも、私の知る限り「定慧」という名前は私の家に伝わる家系図の中にありませんわ。
それは最近の家系図だけしか小百合さんの家には伝わってないからですよ。
デンマンさんは私の家の古い家系図を見たことがあるのですか?
いや。。。見たことはありません。 でもねぇ、僕の家の遠い祖先と小百合さんの家の遠い祖先は、百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされた時に避難民として日本へ逃げて来たのですよ。
そのような事をおっしゃっても誰も信じませんわ。
初めてこの記事を読む人は信じられないかもしれません。 でもねぇ、かつて僕の記事を読んだ人には理解できると思うのですよ。
その記事ってぇいつ頃の記事ですか?
2年前に書いたのですよ。 小百合さんのために関連する部分をここに書き出しますから読んでみてください。
デンマンの祖先は百済からやって来た
僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。
それで徳川以前はどうだったのでござ〜♪〜ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ〜。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ〜♪〜ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ〜♪〜ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ〜♪〜ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ〜♪〜ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ〜♪〜ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ〜♪〜ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。
。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ〜♪〜ますか?
そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ〜♪〜ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ〜♪〜ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。
この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。
これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ〜♪〜ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ〜♪〜ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。
こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語には、この諺は
無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance
is a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。
『出会い系の悪魔』より
(2008年9月10日)
僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。
“海外飛躍遺伝子”でござ〜♪〜ますか?
それも一つですよう。まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。どうですか?
確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。だってぇ〜、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ〜。。。うしししし。。。
一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?
『歴史を散歩させる食べ物』より
(2009年5月1日)
(すぐ下のページへ続く)