レオナルドのADHD(PART 1 OF 3)
注意欠陥移動性障害(ADHD)
レオナルドは膨大な偉業の数々を残しているが、その数に匹敵するほどの苦悩や奇異な側面をもっていたことも忘れてはならない。 彼は際限のない情熱、比類のない独創性、超越的な意欲をもっている一方で、非常に変わった人格の持ち主であったのだ。 知れば知るほど、いろいろな矛盾と皮肉が見えてくる。 しかし、これらの矛盾の原因について論じたり、彼が偉業のどこまでを意図的になしとげ、どこからは偶然だったのかを推理したりすることは、結局は憶測にすぎない。
(中略)
締め切りを守らないという困った側面についてだが、彼の移ろいやすい集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向は、注意欠陥移動性障害(ADHD)の一種によるものだったのだろうか。
それとも単に限られた寿命で多すぎる数の構想を実現させようとしただけなのか。 一般的には、特定の現象にレッテルを貼ると実際よりも単純化されて理解が浅はかになってしまうものだが、レオナルドの行動に短絡的な原因を見いだして説明しようとすること自体、愚の骨頂だといえよう。
(中略)
レオナルドの人生は、ある瞬間は荘厳な美しさと力強さの吹きこまれた絵画を制作していたかと思えば、次の瞬間にはがらりと変わって川の流れを観察したり、多面体の幾何学を研究したり、人や動物の解剖を行ったり、人の飛翔に思いをめぐらせたり、ぜんまい仕掛けの自動車の構想を練ったり、そして気がつくと再び奇跡的な芸術傑作をつくているというように、まるで万華鏡のようなめまぐるしい変化が常であった。 その負の遺産として、手厚く庇護してくれたパトロンでさえあきれてしまうほど、未完成のまま放置されたプロジェクトも数多い。
あわただしく多様な活動に次々と没頭したレオナルドの活動様式こそが彼の真骨頂である。
(中略)
レオナルドの取り組んだすべての活動は共益関係にあり、たがいの相乗効果によって高め合っていたのである。 彼のあらゆる創造的活動のなかから、彼の個人としての成長をうかがい知ることもできるが、同時に彼がさまざまな「頭の体操」を自分に課して意図的に成長を促そうと努力していた様子も見受けられる。 「無学の人」であたレオナルドは、己を向上させようと苦労を重ねる独学者の姿勢そのままに、知らない単語にでくわすと、あとで調べるためにそれをノートに書き続けたのである。
(中略)
レオナルドは絶えず物事のつながりを見いだすことにいそしんだ。 それを後押ししたのは、年齢を重ねてもまったく衰えを見せなかった子どものような飽くなき好奇心であった。 大人になっても好奇心が失せないという性格的な特徴は、ニュートンやアインシュタイン、そしてモーツァルトなど、それぞれの分野の最高峰で活躍した人たちの多くがもち合わせていたものである。
アインシュタインの「私たちが体験できる最も美しいものは、自分にとって謎めいていて神秘的な存在のものである。その神秘性こそがあらゆる真の芸術と科学の源である」という発言には、彼が生涯もち続けた好奇心が現れているといえよう。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人
デンマンさん。。。あんさんはレオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていたと思ってはるのォ〜?
上の文章を読むと、そんな気がしてくるねん。 めれちゃんもそう思わんか?
なんだか、嫌な予感がしてきますねん。
どないな訳で。。。?
あんさんは、わたしのことでかつてADHDの記事を書きましたやんかア。
めれちゃんは、よう覚えておるなァ〜。。。
どうせ、わたしのことをまた書きますのやろう?
あのなァ〜。。。レオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていた。。。そして、めれちゃんも過去にADHDを患っていた。。。つまり、それがレオナルド・ダ・ヴィンチとめれちゃんの共通点なのやがなァ〜。。。要するに、めれちゃんにもレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能があるねん。
そんな事を言ったらADHDを患ってる人は、すべてレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能を持っていることになりますやん。
わては、そこまで敷衍(ふえん)して言うつもりはないねん。 ただ、ADHDと芸術的な才能は、もしかすると関係があるのではないか? そう思うたのやァ。 めれちゃんも次のように書いてたやんかァ。
愛の行為に熱中するのは
わたしのADHDと
関係あるようです。
2007-03-09 04:29
わたしは境界性人格障害をほぼ克服しましたよ!
まだまだ、努力の余地は大いにありますが、
「もう、ボダとは呼ばせないわ!」って感じです。
そして、過去の自分の未熟さを痛感しています。
しかし...
検査の結果わかったのですが、
わたしは、幼児期からのADHD患者だということです。
あれって、治らないらしいんですよね...
でも脳の器質的疾患ですので、
わたしは現在、精神的にはいたって健全であります!
ADHDのおかげで、プラスになっていることもあります。
ある分野での、集中力と記憶力が
過剰なほどに突出しているそうです。
でも、困ることのほうが多いかなあ...
有名な「片付けられない」「飽きっぽい」など、
ADHDの典型的な症状も、
しっかり持ち合わせてますー(泣)
セックスがわたしにとって重要であるというのは、
性行為においては、注意力、集中力の持続がしやすい、ということにあるようなのです。
ADHDであるということが、判明する前からわたしは、本能的にそのことを、知っていたのかもしれませんね。
by レンゲ
ADHD (attention-deficit hyperactivity disorder) とは、注意欠陥/多動性障害のことで、注意力の障害と多動・衝動性を特徴とする行動の障害です。
具体的な症状としては 以下の症状があると言われています。
1) 注意障害
注意が持続できない、必要なものをなくす、注意がそれやすい、毎日の活動を忘れてしまう、など
2) 多動性
手足をそわそわ動かす、離席が多い、走り回ったり高いところへ上がったりする、じっとしていない、しゃべりすぎる、など
3) 衝動性
質問が終わらないうちに答えてしまう、順番を待つことが苦手、他人にちょっかいを出す、など
これらの症状が少なくとも6か月以上続き、集団や家庭の中で、あるいは友達関係において不適応を起こしていて、まわりも本人も困り、生活上なんらかのサポートが必要な場合を指すといわれています。 しかし、もともと子どもは好奇心にあふれ行動的です。以上の状況だけで安易にADHDと診断されるものではありません。専門医によって診断されるものです。
SOURSE: 『東京都福祉保健局』
『愛と性とADHD』より
(2007年4月25日)
デンマンさん。。。このような手記を公開して欲しくないわ。
あのなァ〜、わてはめれちゃんのプライバシーを尊重しているでぇ〜。 そやけど、このような手記はADHDを患っている人の心の助けになると思うねん。
それで、わたしの意志に無関係に、こうして公開してしまうのォ〜?
めれちゃんの気持ちが分からんことはないねん。 そやけど、すでに2007年に上の手記は公開されてるねん。
つまり、あんさんはわたしのADHDを蒸し返しやはるのォ〜?
いや。。。蒸し返すのではのうてADHDと芸術との関係を解き明かそうとしてるねん。
そやけど、レオナルドの芸術は「モナリザ」や「最後の晩餐」ですやろう。。。
つまり絵画ですやん。 わたしとは関係あらへんと思うわ。
どうして。。。?
そやかてぇ、レオナルドは詩や小説や散文を書いてへんでぇ〜。。。
それは、めれちゃんの独断と偏見というものやァ。 確かにレオナルドは小説を書いてへん。 そやけど、驚くほどの手稿を残しておるねん。
レオナルドの手稿
国王に即位したばかりのフランソワ一世の招きで、1526年、レオナルドは二人の弟子を引きつれて人生最後の3年間を過ごすことになるアンボワーズへと旅だった。 このときの荷物のなかには、レオナルドが大事にしていた本のコレクション、《モナ・リザ》を含む2,3点の絵画、そしてはちきれそうなほど手書き原稿ををつめこんだ箱があった。 彼は生涯に 13,000枚から 14,000枚ほどの紙葉を書きつづったと推測されているが、現存するものはその3分の1以下である。
一部はミラノやフィレンツェに置き忘れた可能性もある。 しかし、レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を語っていることから、おそらく大部分はフランスまでもっていったはずである。 これらの紙葉はノートとして綴られていたり、大ざっぱに束ねられていたりしたが、どれもレオナルドの思考の奥深さ、とくに科学・数学・技術への関心の幅広さを浮き彫りにする内容となっている。
また、彼が自然の本質に迫る疑問を見いだし、実験を的確に計画してそれを解決する才能に秀でていたことがありありと見てとれる。 さらに、科学研究に取り組むものにとって不可欠な「偏見のない柔軟な思考」と「知的な正直さ」を、彼は徹底して実践していたこともうかがえる。 レオナルドの探求に制限や限界はなく、彼の書き残した原稿は、それまでの科学と技術が到達しえなかった未開の領域の詳細な地図だといえる。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人
分かるやろう? こうして多数の手稿を残しておるねん。 レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を持っていたのやでぇ。。。
。。。で、その事とわたしがどないな訳で関係していると、あんさんは言わはるのォ〜?
めれちゃんはレオナルドのように集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向があるねん。
その証拠でもあるのォ〜?
もちろんやァ。。。めれちゃんの作品と、わてとのやり取りをちょっと読んでみィ〜なァ。
くちづけ
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
by めれんげ
2009.01.14 Wednesday 14:21
『即興の詩 冬枯れ』より
う〜♪〜ん。。。
ええなあああぁ〜
北京ダックのご馳走を見て
ヨダレがたれてくるぐらいに
ええやんかあぁ〜〜
奥深いところにあって、
くすぶり続けている
めれちゃんの愛欲と情欲が
あふれてくるんやなあああぁ〜♪〜
あああぁ〜。。。悩ましいなあああぁ〜
しかも、めれちゃんのビキニ姿は
軽井沢のプリンスホテル・スキー場で
ビキニ姿でスノボする小百合さんに
匹敵するぐらいに、すっげぇ〜♪〜やないかいなぁ〜♪〜
うへへへへ。。。
めれちゃんのビキニ姿を見ると
わては南米のリオのカーニバルを思いだすでぇ〜
めれちゃんの情熱的な妖艶さと豊満さを感じるんやがなぁ〜
ほんに、悩ましいなあああぁ〜〜
短歌にも、ビキニ姿にも
表現者・めれちゃんの表現力が遺憾なく発揮されてるがなぁ〜
2009年は出だしから、めれちゃんは突っ走ってるでぇ〜〜
ええやんかぁ〜♪〜
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。
めれちゃんのビキニ姿から
わては、しばらく目が離せなかったでぇ〜
この調子だと、年が明けるまでに
めれちゃんは子供を9人産んで
10年後には阪神タイガーズ・ジュニアの野球チームが作れるでぇ〜
うへへへへ。。。
すごいなあああぁ〜
でもなぁ〜、マジになって、
めれちゃんの短歌を
もう一度じっくりと読めば
現代版・源氏物語のエロい雰囲気が漂ってくるでぇ〜♪〜
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
そうやがなぁ〜。。。そうやがなぁ〜。。。
あの源氏物語の「六条の御息所(みやすどころ)」が思い出されてくるのやがなあああぁ〜
わてが『エロい女と六条の御息所』を書いたんは
もう2年前になるんやなあああぁ〜
月日の経つのは、ホンに、早いなあああぁ〜
めれちゃんと仲直りしたのは2006年のクリスマスやったなああぁ〜。
懐かしいなあああぁ〜
めれちゃんとの付き合いも2004年の7月に初めて出会ってからやから
2009年に入って、足掛け6年にもなるんやなあああぁ〜
うん、うん、うん。。。感慨深いなあああぁ〜
ところで、2007年の1月19日に、
わては次のような事を書いてたんやでぇ〜
(すぐ下のページへ続く)