均質的思考は日本人のクセなの?(PART 1)
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デンマンさん。。。 どういうわけで急に“均質的思考”を持ち出したのですか?
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あのねぇ〜、夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。
子供を持つなら女の子
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もう一人忘れられないのは、おしゃべりのジョーおばさん。
「たまたまダウンタウンに行くときに一緒になったりしたらもう大変!
バスの中だって地下鉄の中だって、別れるまで辺りはばからず大声でしゃべりまくるから、一緒にいるのがちょっと恥ずかしいの」と母。
引越しの日、「さよなら」を言うと、
「あなたはいいわ、娘さんがいて……。
私は息子だから全然駄目よ!
いつもワイフの言うなりで私の頼みなんてちっとも聞いてくれないのよ。
子どもを持つんなら女の子に限るわ。
もうこれは絶対に真実よ」
としみじみと言うではないか。
過日、こちら(トロント)の新聞に載っていた日本に関する記事で、若い夫婦の四組のうち三組は子どもは女の子を望んでいる、という話を思い出した。
「あれ? ここは日本だったかしら?」
と私と母は思わず顔を見合わせてしまった。
そう言えばもうだいぶ前に亡くなったが、以前母の隣のアパートに住んでいた日系1世の方も、白人女性と結婚して市内に住む息子が訪ねてくることはめったになく、
「お嬢さんが近くにいるから宮松さんは幸せね」
と口癖のように言い、他州に住んでいた自分の娘を盛んに恋しがっていた。
中には息子より娘との確執のほうが大きいという人もいれば、息子のほうがべたべたした関係がなくてよいという人もいるが、日本でよく言われる「マスオさん現象」のように、ここでも娘の家族とのほうが、なんとなくしっくりいくという人は少なくないようだ。
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(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
116-117ページ 『カナダ生き生き老い暮らし』
著者: サンダース・宮松敬子
2000年12月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社
あらっ。。。 面白そうな本じゃありませんかァ!
いやあああァ〜。。。 実に面白いというか。。。 愉快というか。。。 気丈で、前向きに生きている おばあちゃんの話ですよ。 一晩で、一気に読んでしまいました。
上の本は本人が書いているのですか?
いや。。。 本の著者は上の写真に写っている宮松芳子さんというおばあちゃんじゃありません。 彼女の次女、つまり、トロントに住む白人のカナダ人と結婚したサンダース・宮松敬子さんが書いているのですよ。 とにかく、興味深い本で、一気に読ませる内容ですよ。
このおばあちゃんは 1000CC の BMW のオートバイを乗り回しているのですか?
いや。。。 おどけて敬子さんのご主人のオートバイにまたがって写真を撮ったということです。 このおばあちゃん自身は オートバイも車も運転しないようです。
。。。で、デンマンさんは“子供を持つなら女の子”という意見に違和感を持ったのですか?
いや。。。 特に違和感を持ったわけではありません。 僕は、もう そういう考え方をしなくなっていますからねぇ。。。 子どもを持つなら女の子がいいか?男の子がいいか? それは極めて個人的な問題だと僕は考えているのですよ。 だから、日本人だから子どもを持つなら男の子だと考えているとか、カナダ人だから子どもを持つなら女の子だと考えているとか。。。そういう考え方は、もう しなくなってしまいましたよ。
どうして。。。?
だってねぇ、実際に日本人と話していても、全くマチマチですよ。 男の子がいいと言う人もいれば、女の子がいいという人もいる。 それはねぇ〜、個人的な経験とか、社会的な環境とか。。。その人が生きてきた人生経験によってマチマチですよ。 バンクーバーにいると、とりわけ、そう感じます。 鎖国をしていた江戸時代の農村で大家族で暮らしていた人ならば、老後は長男に面倒を見てもらいたいと思うから、当然のように男の子を欲しがったでしょうね。 中国では、まだそういう風習があって、女の子が産まれると“間引き”をするということを聞いたことがありますよ。 「一人っ子政策」になってから、その傾向が強くなったとか。。。
今でも中国ではそうなのですか?
あのねぇ〜、「一人っ子政策」で、中国では男の子のほうがいいという人が多くて、統計的には女の子のほうが少なく、このまま結婚適齢期になると、結婚できない男が何十万人と出てくる。。。そういう本を半年ほど前に読みましたよ。
確かに、「一人っ子政策」というのは、問題があるようですわねぇ〜。。。 ところで、「マスオさん現象」ってぇ、どういうこと。。。?
そうかァ〜。。。 ジューンさんは、かなり日本語が達者だけれど、「マスオさん現象」までは知らないのかァ〜。。。 あのねぇ〜、「マスオ」というのは日本では誰もが知っている『サザエさん』に登場する人物ですよ。
フグ田マスオ
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サザエの夫でタラオの父。
波平とフネの娘婿で、さらにカツオとワカメの義兄(姉婿)、ノリスケの義いとこ、海平・なぎえ・鯛造の姪婿、サケオの弟でノリオの叔父。
原作では、誕生年は1917年(大正6年)。32歳(アニメでは28歳)。
サザエとの結婚と同居生活
原作では2巻でサザエと結婚。
公開見合スピード結婚であり「サザエの全てに惚れ込んで」と理由を挙げていた。
結婚当初はサザエとタラオとのフグ田家3人で磯野家の近所にある借家に住んでいた。
しかし、マスオが家の囲い(木製)を勝手にのこぎりで切って薪(まき)にしようとしたのが原因で、大家とケンカして追い出されたため磯野家と同居することになり現在に至る。
マスオは婿養子ではなく、サザエ、タラオ共にフグ田姓を名乗っており、フグ田家として磯野家に同居している形である(二世代住宅)。
ただし、マスオの「周りに気を遣う優しい性格」も相まって、アニメの視聴者などからは、「マスオは婿養子」のように思われることもある。
なお、妻の家族と同居している男性を「マスオさん」と呼ぶが、語源はフグ田マスオからきている。
バブル期には「マスオさん現象」という言葉まで生まれた(「知恵蔵2007年版」)。
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出典: 「サザエさんの登場人物」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『サザエさん』なら知ってるわ。 日本では妻の家族と同居する男性って少ないから「マスオさん現象」という言葉が生まれたのでしょうね。
確かに、そうかもしれない。
カナダやアメリカでは、妻の家族と同居する男性ってぇ、けっこう多いわ。
うん、うん、うん。。。 でも、バンクーバーのダウンタウンに住んでいる人たちを見ていると、まず ほとんどが核家族だよね。
そうなってしまったわねぇ〜。。。 郊外にでも行かないと妻の家族と同居する男性ってぇ、見つからないと思うわァ。。。で、デンマンさんは、この事を言うために“均質的思考”を持ち出したのですか?
いや。。。、もちろん、それだけではありません。 実は、上の本を読む前に、次の本を読んでいたのですよ。
均質的思考
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Jさん:
アメリカに行っていちばんよかったのは、いろいろな人がいる、価値観がいろいろあるということでした。
日本だと、まだまだ同じ価値観を押し付けようとしてくる。
両親が押し付けてくるのは成功体験があるからでしょう。
戦後、自分たちは日本をここまで復活させてきたという自信があるから、余計に押し付けてくる。
でも、世の中ずいぶん変わって、会社ももうどんなに勤めても先が限られているのに、いまだにものの見方が変わらない。
アメリカではいろいろな価値観が許されて、すごくほっとした。
それから、もう日本でもアメリカでもどこでも私はやっていけるかなという気がしているんです。
内田:
(略) 均質性さえ維持していれば、どんな社会であっても構わないというのが日本人の「本音」なんだから。
だから、社会全体の舵取りがある意味簡単なんです。
レバレッジ一つで、社会の向かう方向がころりと変わる。
「付和雷同」というのは悪い意味でしか使われない言葉ですけれど、これはもう国民性なのだと諦めて、その「付和雷同体質」をどう効果的に、よい結果をもたらすように活用するか、というふうに頭を切り換えた方がいいんじゃないかと僕は思うんです。
あの、申し訳ないんですけれど、今の方のされた「日本社会は均質で、アメリカ社会は価値観が多様である」というような言い方って、それ自体が日本人の均質的なものの見方の「見本」みたいな言葉づかいだと思うんです。
失礼ですけど。
「だったら均質的な社会でいいじゃないか」というような横着な物言いの方にまだしも多様性の目があるわけで、「均質的だから多様化しよう」という発想そのものがすでにしにて絶望的なまでに均質的なんです。
(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
218-219ページ 『下流志向』
著者: 内田樹
2007年2月20日 第5刷発行
発行所: 株式会社 講談社
これは本の最後の方に出てくる対話なのだけれど、著者と講演会にやってきていた参加者の一人(Jさん)との対話を取り上げたのですよ。
上の対話が気になったのですか?
そうですよ。 Jさんが 次のように言っている。
アメリカではいろいろな価値観が許されて、
すごくほっとした。
それから、もう日本でもアメリカでもどこでも
私はやっていけるかな
という気がしているんです。
僕にはこの気持ちが実によく解る。 実際、カナダで20年以上暮らしてきて、僕にとって、日本は“外国”になってしまった。 もちろん、行田市にある実家に帰省すると“ふるさと”はいいなあああァ〜、と思う。 でも、3週間もすると、窮屈に感じる。 肩が凝る。。。
どうして。。。?
上の本の著者・内田さんは次のように言っている。
均質性さえ維持していれば、
どんな社会であっても
構わないというのが
日本人の「本音」なんだから。
つまり、同じような考えを持っていないと、疎外感を感じる。 だから、本当は違う意見なんだけれど、表面的には相槌を打って「はい、そうですね。。。」とか、何とか言って、その場の雰囲気に合わせている。 “事なかれ主義”に徹するような雰囲気がある。 波風を立てず、「皆が“右向け右”すれば、じゃあ、私も。。。」 そんな雰囲気がある。
デンマンさんも日本に居ると、自分の意見を自信を持って言わないのですか?
僕の性格を良く知っている人とは本音で話すけれど、知らない人とは本音では話せない。 いつだったか母親のお供をしてバスで熊谷市にある「循環器・呼吸器病センター」へ行ったのですよ。 たまたまバスの中で乗り合わせた話好きなおばさんと話が弾(はずん)だのです。 そしたら、僕の母親が耳元で囁(ささや)くんだよね。 「話を止めなさい」ってぇ〜。。。
どうして。。。?
だから、僕も母親に「どうして。。。?」と訊きましたよう。 そしたら、「バスの中で大きな声で話したらみっともないんだよ」と言うんだよね。 僕は別に大きな声で話していたわけじゃないんだけれど、考えてみたら、山手線などに乗ると、乗客は静かにしているよね。 話しているのは女学生ぐらいですよ。 67歳でトロントへ移住した明治生まれの宮松芳子ばあちゃんも次のように言っている。
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もう一人忘れられないのは、おしゃべりのジョーおばさん。
「たまたまダウンタウンに行くときに一緒になったりしたらもう大変!
バスの中だって地下鉄の中だって、別れるまで辺りはばからず大声でしゃべりまくるから、一緒にいるのがちょっと恥ずかしいの」と母。
僕はジューンさんも知っての通り、辺りはばからず大声でしゃべりまくるタイプじゃないのですよ。 でもねぇ、平均的な日本人から比べると どこでも話をするらしい。 だから僕の母親にとって「一緒にいるのがちょっと恥ずかしい」らしいのですよ。
分かります。。。分かります。。。。わたしも日本に居るときにはなるべく自己主張はしないようにしているのですわ。 もちろん、嫌な事はイヤだと、なるべく波風を立てないように言いますけれど。。。
でしょう。。。!? 日本では自分の意見を本音で話すと角が立つのですよ。 波風が立つのですよ。 だから、3週間も日本にいると、窮屈で、肩が凝ってくる。 でもねぇ、自分の意見を主張したい人が、最近の日本でも増えている。 当然のことですよ。 今の日本は江戸時代のように鎖国してない。 封建的な農村の大家族の中で生まれ育ったわけではないのですよ。 だから、宮松さんの本にも書いてある。。。
(すぐ下のページへ続く)