あえかな味@そば湯(PART 1 OF 3)
(soba80.jpg)
(soba81.jpg)
(soba82.jpg)
(himiko22b.gif)
あらっ。。。 デンマンさんは“そば湯”がお好きなのでござ〜♪〜ますかァ?
(kato3.gif)
いや。。。 特に好きだと言うわけではないのですよう。
だってぇ〜、わざわざタイトルに“そば湯”を取り上げているではござ〜ませんかァ!
あのねぇ〜、たまたま夕べ 本を読んでいたら“そば湯”が出てきたのですよう。
あたくしは お蕎麦を食べたら“そば湯”を飲まないと、なんだか物足りないような気になってしまうのでござ〜ますわァ。
あれっ。。。 卑弥子さんは、見かけによらず〜、奥深いことを言うのですねぇ〜。
あらっ。。。 お蕎麦を食べたあとで“そば湯”を飲まないと、なんだか物足りないような気になるのは“奥ゆかしい”ことなのでござ〜ますかァ?
あのねぇ〜、僕は そばを食べた後で“そば湯”を飲むと、いつでも、げっそりしてしまうのですよ。
どうして。。。?
「こんなまずいものを飲ませやがってぇ〜!」。。。 口には出さないけれど、そのような思いが どうしようもなく湧き上がってくるのですよ。 つまり、アンチクライマックス(anticlimax )なのです。 せっかく旨い蕎麦を食べた後で“そば湯”を飲むと、せっかく盛り上がったのに、あの、取り留めのない、味気ない味でげっそりしてしまうのですよ。
それは感性の問題でござ〜ますわァ。
確かに、そう言われると、そうかなあああァ〜、とも思いますよ。。。個人個人によって、これほど感受性が違うものかァ〜!?。。。 そう思って僕は次の小文を読んで考え込んでしまったのです。
そば湯
(soba81.jpg)
そば屋に行く愉しみのひとつに、そば湯がある。
そばを手繰ったあと、ひと呼吸置いてから、あたたかなそば湯を掌に取る。
とろりと白い湯をひとくち、ふたくち、静かにゆっくり啜るうち、喉もとから腹の底へひとすじの太いぬくもりが通る。
飲み終わるころには、からだじゅうにおだやかさが滲み広がっている。
そば湯の味わいに気づいたのは、旅さきの出雲だった。
地元のなんでもないそば屋の暖簾をくぐり、そば湯の入った湯桶を傾けて猪口に注いで、啜った。
(izumo02.jpg)
(soba86.jpg)
(soba85.jpg)
すると、どうだろう。
とろりと濃厚なそば湯が舌のうえに流れこむと同時に、やわらかい香りがふくよかに広がる。
ああ、そばの香り。
そばの持ち味が湯のなかに溶け出た、たっぷりふくみのある舌触り。
そのなかに腰をおろしているのは、確かな安心の気配。
おいしいとか、おいしくないとか、ありきたりの味覚を超えている。
これほどの落ち着きをひとに与える味があったのか。
それがそば湯だったとは。
すこし動揺していた。
(soba82.jpg)
そば湯は、いってみれば軽いポタージュのようなもの。
しかし、そこから先が問題だ。
そば湯を口にふくむ。
つぎに、自分の味覚を研ぎ澄ませ、こまやかに働かせる。
すると、遠くのほうからおずおずとそば湯の味わいがすがたをあらわす。
迫ってくる味ではないのだ。
丹念に自分で探し当てるあえかな味。
だから私にとって、そばとそば湯は切っても切れない関係だ。
そばをゆでた後、そば湯を捨てるなどもったいない。
少ないそばをゆでてつくるそば湯は、そば屋の味わいとは比べようもないけれど、それでもやっぱりそば湯を啜らなければものたりない。
終わらないのである。
しんとおだやかな味は、こころの波立ちもいつのまにか消し去る。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
96-98ページ 『忙しい日でも、おなかは空く』
著者: 平松洋子
2008年9月22日 第1刷発行
発行所: 日本経済新聞出版社
。。。そうですわ。。。 全く同感でござ〜♪〜ますわァ〜。。。 あたくしも、お蕎麦をいただいたあとで“そば湯”を飲むと、いつも このような感動に浸(ひた)るのでござ〜ますわァ。。。おほほほほ。。。
卑弥子さん!。。。 やだなあああァ〜。。。 便乗して調子に乗らないでくださいよう!。。。 僕が、たまたま引用した文章が 少しばかり格調が高いからといって、卑弥子さんまでが その気になるなんて可笑しいですよう。
あたくしは、何も便乗しているのではござ〜ませんわァ。。。 マジで同感したのですわ。
卑弥子さんは、あのとり止めも無いような不味い“そば湯”を飲んで、「丹念に自分で探し当てるあえかな味」を味わうことができるのですか?
そうでござ〜ますわァ!
僕には信じられません。 第一、卑弥子さんは“あえかな味”という意味を知っているのですか?
あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしを侮辱するのでござ〜ますか? これでも、あたくしは京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授でござ〜ますわァ。 “あえかな味”というのは、あたくしにとって ごく身近な言葉でござ〜ますゥ。
あえか
(aera02.jpg)
【形容動詞】 【雅語】
か弱く、頼りないさま。
きゃしゃで弱々しいさま。
【例文】
「あえかに咲く花」
「まだいと あえかなる程もうしろめたきに」(「藤裏葉」より)
(fuji002.jpg)
この折に添へたてまつりたまへ。
まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。
御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく……
【現代語訳】
この機会にお付き添わせ申しなさいませ。
まだとてもか弱くいらっしゃるのも不安なので、伺候する女房たちとしても、若々しい人ばかり多いのです。
御乳母たちなども、気をつけるといっても行き届かない所がありますから、わたし自身は、ずっとお付きできません時、安心なように……
【注釈】
「藤裏葉」(ふじのうらば)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。
第33帖。
巻名は内大臣が詠んだ和歌「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ」に因む。
ほおォ〜。。。 『源氏物語』に出てくるのですかァ〜! それは全く知りませんでした。
デンマンさんは『源氏物語』を お読みになったことがあるのでしょう?
もちろん、あそこをかじり、ここをかじり、蚕のように。。。桑の葉を食べるように。。。『源氏物語』を読み散らかしたけれど。。。 “あえか”なんてぇ〜、全く僕の記憶にありませんよう。。。 僕は上の本を読んで、生まれて初めて見る言葉に出くわしたと思って、唖然としたほどですからねぇ〜。。。
つまり、お年を召されて 記憶が抜け落ちるようになったのでござ〜ますわァ。
あのねぇ〜、僕はまだボケるような年代ではありませんよう!。。。 マジで、“あえか”という言葉を見たことも使ったことも無い!
それで、こうして記事を書く気になったのでござ〜ますかァ〜?
もちろん、それもあるけれど、さっき言ったように個人個人によって、これほど感受性が違うものかァ〜!?。。。 そう思って僕は驚いたのですよ。
それは、デンマンさんの感性が鈍いという証拠ですわ。
今度は 卑弥子さんが僕を侮辱するのですかァ〜?
いいえ。。。 あたくしは事実を申し上げているのでござ〜ますわァ。
それじゃあ、なおさら悪意があるじゃありませんかァ! 言っていい事と悪い事があるのですよ。 日本で暮らしている卑弥子さんには 僕の言う意味が解るでしょう!?
つまい、デンマンさんはご自分では感性が豊かだと思っているのでござ〜ますかァ?
そうですよう! 感性が豊かだから“そば湯”ほど不味いものはないと感じるのですよう! んもおおおォ〜!
それは違いますわ。 感性が豊かであるならば、旨い不味いを超えて、奥深い味わいを感じるのもですわ。
(すぐ下のページへ続く)