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きびしい暮しの中のロマン(PART 2 OF 3)

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きびしい暮しの中のロマン(PART 2 OF 3)



(waterloo2.jpg)


(lib40722.png)

『実際のカタログページ』



あらっ。。。 デンマンさんも、『哀愁』がどのような映画だろうと思って、7月22日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて観たのですわねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。 あのねぇ〜、実は、僕はかつて日本にいる頃、『哀愁』という映画を観た事があるのです。 でもねぇ〜、なんとなく わざとらしい話の筋だったので、それほど素晴らしい映画だとは思わなかった。

。。。で、今度 改めて観直したわけですか?

そうです。。。 宮松芳子さんにとってぇ、心の支えとなったという映画ですからね。。。 だから、僕も そのおばあちゃんの人生経験を想い浮かべながら、『哀愁』を改めて、じっくりと観たのですよ。


(waterloo3.jpg)

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Waterloo Bridge (哀愁)

もともとは1930年6月6日に、戯曲家ロバート・シャーウッド作の二幕の舞台劇としてブロードウェイで初演されたもので、1931年にジェームズ・ホェール監督で映画化されている。
舞台と1931年の映画化では、クローニン大尉はカナダ軍兵士である。

本作での主演のヴィヴィアン・リーは名画『風と共に去りぬ』の次の年の製作。
『風と共に去りぬ』では、乱世を生き抜く強い女性を演じたが、『哀愁』ではその反対のか弱い踊り子を見事に演じており、リーの演技力が光っている。

舞台は、第一次大戦中のイギリス・ロンドン。
イギリス軍将校のロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)とバレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)はウォータールー橋でめぐり会う。
翌日には結婚の約束をするほどに、その恋は燃え上がるが、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かうことになる。
健気にロイの帰還を待つマイラだったが、その彼女がたまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていた。

バレエ団を解雇されたマイラと友人のキティ(ヴァージニア・フィールド)は、生活の貧しさとロイの戦死の絶望感から、娼婦に身を落としてしまう。
そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死した筈のロイの姿だった。
偶然の再会を喜ぶロイ。
戸惑いと葛藤を隠せないマイラ。
しかしロイの強い説得で、マイラはロイと結婚することを決意し、ロイの故郷スコットランドへと赴くのだった。

しかし、本当のことをロイに打ち明けられないマイラは、ロイの母親マーガレット夫人(ルシル・ワトソン)に、「ロイとは結婚できない。」と言って全てを打ち明け、翌朝ロイの屋敷を発ってロンドンへ帰る。
そして思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまう。
マイラが去ったことを知ったロイは、ロンドンへ戻りマイラを探すが、彼女を見つけ出すことはできなかった。

1953年に日本で制作された『君の名は』(岸惠子、佐田啓二主演)は、この映画のウォータールー橋を数寄屋橋に置き換えて製作されたリメイク版である(但し、内容は大きく異なる)。



出典: 「哀愁」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




確かに、宮松芳子さんにとっては、素晴らしい映画のはずですよ。 なぜなら、困難にもめげずに、身を持ち崩すこともなく、姑と3人の幼い子どもたちを抱えて生き抜いたのですからね。 映画ではヒロインは自殺してしまうのですよ。 それに、戦死した旦那さんというのがロバート・テイラーのような優しい人だったというのですよ。 確かに、おばあちゃんの旦那さんは 本を読むと、その当時の日本人と比べたら、自由主義でおおらかで優しい人なのですよ。



つまり、『哀愁』は、おばあちゃんにとって“きびしい暮しの中のロマン”だったのですわねぇ〜。。。

そうですよ。。。 それに、おばあちゃんでなくとも、『哀愁』をリメイクした映画『君の名は』は、当時、日本中の女性を魅了したほどですからね。。。


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君の名は

『君の名は』(きみのなは)は、日本の昭和期に放送されたラジオドラマである。映画化、テレビドラマ化、舞台化もされている。
脚本家・菊田一夫の代表作。
1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。
「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという(ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実を基にして、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い)。

ラジオドラマの人気を受けて松竹で映画化されると、大ヒットを記録した。
氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。
これは、主演の岸惠子が北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに横浜で購入して持参していた私物のストールを肩からぐるりと一周させて耳や頭をくるんでいたことによる。
この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。
(真知子と春樹が出会い、再会した数寄屋橋のシーンでしていたとされるが、それは間違いである。)

真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。
この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。
これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。

あらすじ

第二次大戦、東京大空襲の夜。
焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命辛々銀座・数寄屋橋までたどり着く。
一夜が明けて二人はここでようやくお互いの無事を確認する。
お互いに生きていたら半年後の11月23日、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。
やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、やっと会えた時は真知子はすでに明日嫁に行くという身であった。
しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。



出典: 「君の名は」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




デンマンさんも、この『君の名は』を観たことがあるのですか?



いや。。。 僕は観たことがありません。 でもねぇ〜、僕の母親がこの映画のことを話していたことを覚えていますよ。

あらっ。。。 デンマンさんのお母さんも『君の名は』を観てシビれていたのですかァ〜?

いや。。。 観たくても観るどころではなかった。

どうして。。。?

当時は、嫁と姑の関係がすごかった。 僕の家は貧しかったし、祖母は僕を可愛がってくれたけれど、僕の母親には、ことのほか厳しく、映画など嫁が観るものじゃないと言って観させなかった。

あらっ。。。 デンマンさんのおばあちゃんは厳しい人だったのですわねぇ〜。

そうなのですよ。。。 僕が中学2年生の時に、祖母が亡くなったおかげで、僕の母親は長生きしてるのです。。。 とにかく、僕の母親だけじゃなく、宮松芳子さんも含めて、明治・大正の女の一生というのは、実に、劇的だと僕は思いますよ。



(laugh16.gif)

(すぐ下のページへ続く)


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