もっとゴーマンかませ!(PART 2 OF 3)
950 :名無しかましてよかですか?:2014/02/07(金) 22:38:33.84 ID:55sLLx/W
平成攘夷論とか読んでみたら絶句するぞ
今と正反対の主張してるから
951 :名無しかましてよかですか?:2014/02/08(土) 13:42:21.36 ID:v0UAIs+u
「わし」は極右のレッテルの包囲網ね砲弾に耐えきれなくなり
左に再転向したのでしょう。
952 :名無しかましてよかですか?:2014/02/08(土) 16:02:26.61 ID:v0UAIs+u
「わし」は右からも左からも挟み撃ち攻撃を受け
作家、論客としての生命は終焉する運命。
953 :名無しかましてよかですか?:2014/02/08(土) 20:06:42.74 ID:JP7jwhbt
>>950 評価がガタ落ちの2001年以降の主張とすら、もはや真逆になってるしな
954 :名無しかましてよかですか?:2014/02/08(土) 21:44:10.95 ID:9z1nunks
まあでもポストとか朝日新聞とか大手の仕事受けてんだから一応は成功してんじゃないの?
ただ、小林のアホぶりはいつものこととしても、載せてる側の方はプライドないのかって思う
それはそうと大東亜論ってつい最近出たんだよね?
まるで話題に出ないけどあれってどうなの?
955 :名無しかましてよかですか?:2014/02/09(日) 15:06:39.13 ID:B5TbqCfh
「わし」は2月から静かに貝になった。
961 :名無しかましてよかですか?:2014/02/10(月) 19:54:27.93 ID:Jd6IxMNr
「わし」は結局
今度はどちらへ行くのだ?
中道か?
964 :名無しかましてよかですか?:2014/02/12(水) 16:37:21.93 ID:pozjJk5i
小林よしのりってまだいたの?
965 :名無しかましてよかですか?:2014/02/13(木) 22:33:44.79 ID:ONXfZAq8
シャーリー・テンプルの代わりに小林が死ねばよかったのにな
967 :名無しかましてよかですか?:2014/02/14(金) 10:15:41.73 ID:T+NLGF7T
>>954
とうとうネタが尽きて、とうとう政治的に影響の無い右翼の大物とやらの
礼賛漫画まで描かざるを得ない状況にまで追い込まれたのかと言う感じ。
はっきり言って評価する点なんぞ、どこにも無い。 ただ、テロリズムを
礼賛していることだけはよく分かる。 昔からそうだったっけ?
968 :名無しかましてよかですか?:2014/02/14(金) 10:21:14.23 ID:T+NLGF7T
あと頭山に関して言えば、小林が言うほどバランス感覚の有る人間
だとは到底思えない。 まさに極右 反欧米人の極致。 時代が時代
なんだから仕方なかったんだろうが。 レイシストそのもの。
とある戦時中の様子を描いた文庫本に、書いてあった。 右翼の大物
のコメントとして。
971 :名無しかましてよかですか?:2014/02/15(土) 08:14:57.35 ID:hpaotvZF
小林氏本人曰く
「終わった仕事の内容はどんどん忘れる体質」
とのことです。
972 :名無しかましてよかですか?:2014/02/16(日) 02:02:24.25 ID:0alWUK3P
わしの頭の中の消しゴム とでもいう新しい漫画を描けばいい
977 :名無しかましてよかですか?:2014/02/19(水) 03:19:47.35 ID:mXo262RP
貶した相手を持ち上げるというのは今回の小泉が初めてか
978 :名無しかましてよかですか?:2014/02/19(水) 10:15:02.50 ID:MuWXfSJo
いやいや道場の切通さんとも昔仲違いしたよ
よしりん「お前の顔のイラスト、あれでもわしが大分美化して描いてやってるんだぜ」
よしりん「文句あるなら、もっと写実的にお前の顔を描くよ、リアルなお前の醜悪不細工面を」
喧嘩してたときに上記の様な切通氏の容姿を馬鹿にする文章をSAPIOの欄外に書いてた
あと西部は何回も罵ったり持ち上げたりを繰り返してる。
979 :名無しかましてよかですか?:2014/02/19(水) 10:22:51.87 ID:MuWXfSJo
今さ小林よしのりでググると
小林よしのりWikipediaの次にこのスレが表示される
やっぱりおこっちゃまくんや旧ゴー宣時代からの古参読者の多くも
今の小林よしのりは変だと思ってるんだな。
981 :名無しかましてよかですか?:2014/02/20(木) 02:49:39.98 ID:bR74yXd3
ついに自分の意見が全く支持されない事を
国民の劣化が止まらないからと言い出した。
よしりん1991「それから小林(2013)な、国民が愚民なのはあたりまえやねーけ!
てめーらみたいに本と情報にうもれておまんま食ってるヒマはねーんじゃバカヤロー!
この愚漫画家!わしは頭いいとぬかすんなら、愚民にわかる言葉でしゃべりやがれ!
何が大衆は愚民じゃ!役にも立たん、楽しめもしない戯れ言をもってまわった言い回しで
垂れ流すんじゃねーーーーー!!」
982 :名無しかましてよかですか?:2014/02/20(木) 03:08:29.25 ID:bR74yXd3
よしりん1994「小林よしのり(2014)もうトシだ。年齢の問題ではなく
その精神が老いている。後はもう『愚民と伝統』を念仏のように唱えながら
ネトウヨガー、アメポチガーを連呼する隈の濃いギョロ目小太り2重アゴになって
ハゲさらばえてゆくしかない。恐らく金森嬢がやめた時に
おまえ自信の精神の立ち腐れが始まっていたのだ。
ぐみんぐみんと人の世を…嘆く小林に品位なし」
985 :名無しかましてよかですか?:2014/02/21(金) 09:45:19.41 ID:RxM2i9BS
>>978
相手の容姿を罵倒することほど、人間として最低最悪な行為は無い。
小林は、漫画家以前に、人間としてとっくの昔に終わっている。
しかし、この男は、周りからそう言われただけでも逆上するんだろうなあ。
自分以外の人間は、みんなカスばかりと言う考えの持ち主だから。
986 :名無しかましてよかですか?:2014/02/22(土) 00:48:19.38 ID:0sHk6uQN
金儲けのために国家に対して莫大な損失や人命を奪った反社会的な人間を持ち上げた大東亜論
まあ苦しんで地獄に落ちるわな
『最近の小林よしのりはおかしい!』より
これを読むと最近のオマエの動向がよく解る。
ちっとも質が高くありませんよ〜! この上のスレッドも、オイラに言わせてもらえば、「便所の落書き」ですよう!
気になったのは上のスレッドにも書いてあるけれど、西部は何回も罵ったり持ち上げたりを繰り返してるという箇所だよ。
デンマンさんも わしが西部邁さんを何回も罵ったり持ち上げたりを繰り返してる、と言うのですか?
オマエの本の187ベージには次のように書いてあったぞ。
西部邁氏と今のところ3か月に1冊の割合で、『本日の雑談』という本を出している。
これは日々世の中を騒がず事件から、ベストセラー本までを雑談として論じながら、世の大勢を占める安易な言葉や気分に寄り添わない、すなわち俗情と結託しない会話を楽しむというコンセプトで続けている。
(略) 熱心なしファンがいるらしく、毎号増刷されているから、しばらく続くだろう。
187ページ 『新・ゴーマニズム宣言14』
著者: 小林よしのり
2004(平成16)年12月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館
それが どうだと言うのですか?
かつてオマエは次のように西部さんを手ひどく批判していたのだよ。
(pal001.jpg)
渡部(昇一)は、日本の戦後には先の大戦を悪と決め付けた「東京裁判史観」と、これに反対した「パール判事の史観」があったと書いた。 これに対して西部は、この両者が対立する構図は成り立たないとして、パールは東京裁判史観に対立する史観、すなわち大東亜戦争を自衛戦争とする歴史観ではないと批判する。 そしてその根拠をこう書く。
「ガンジー『主義者』(にすぎなかった)パール判事がそんな見方をするはずがない」
なぜ「そんな見方をしていない」ではなく「するはずがない」と書くのか?
西部がパール判決書を読んでいないからである。
読みもせず、パールが「ガンジー『主義者』(にすぎなかった)」という印象だけで、「ガンジー主義者の史観に立つと、大東亜戦争を(基本的に)肯定することなどできない」はずだと、憶測だけで語っているのである。 これがあの周到で緻密な文章を書いていた西部邁か?
ネットおたくのウヨ言論じゃあるまいし、信じられないほど杜撰で不誠実な文章である。
渡部はパール判決書の内容を紹介しながら論を展開しているのに、それを一瞥もせず「ガンジー主義者が書いたものだから」だけで切り捨てて批判している!
今回の西部の文章はすべてがこのように杜撰な論理で成り立っている。
つまり、「パールは平和主義者で、ガンジー主義者で、世界連邦主義者だった。そんな者が書いた判決書は保守思想とは無縁だ。それなのに、都合よくパールを利用している自称保守派がいる」というのだ。
(中略)
その根拠が、何一つ史料に基づかない、西部が勝手に頭の中だけで偏見を元に作り上げた妄想でしかないのだから、わしは一読して呆然としてしまった。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
74 - 75ページ 『パール真論』
2008(平成20)年6月28日 初版第1刷発行
著者: 小林よしのり
発行所: 株式会社 小学館
このように、オマエは何一つ史料に基づかない、西部が勝手に頭の中だけで偏見を元に作り上げた妄想でしかないのだから、わしは一読して呆然としてしまったと、書いているのだよ。
だから、どうだと言うのですか?
あのさァ〜、僕は個人的に西部さんとの付き合いはない。 しかし、彼が書いた本を読んでいると、“文は人なり”と昔の人が言ったように、西部さんの人間性が実によく表れているのだよ。
どのようなところにですか?
次の部分だよ。
秦野章氏と一緒に、大蔵省の二人の幹部と酒を飲んでいたとき、その二人のうちのいずれかから「小沢さんと会ってみませんか」といわれ、私はすぐオッケーと答えた。 結局、秦野氏はつい先ごろまで政治家であったから小沢氏が遠慮するかもしれないので、そのかわりに慶応大学で小沢氏と同期生であった(らしい)栗本慎一郎を呼ぼう、というふうに大蔵省のがわが按配した。
(中略)
築地の料亭に赴くと、その部屋には大蔵省の方々と栗本氏のほかに店の女将(おかみ)をはじめとする女たちが4,5人入り込んでいた。 女たちがいるのはかまわないが、彼女たち、いささか興奮気味とみえた。 女将みずからがいうに、「小沢さんはプロの女たちに大人気なのよ」ということなのであった。 少し遅れて小沢登場となるや、室内にキャアーキャアーと嬌声が挙がった。
小沢氏が私の隣に座してからも、女たちは「スキッ」といってそろって笑い、小沢氏も「こんな顔なのに、アッハッハッハ」と上を向いて大笑いする。 女たちが「女にもてるんでしょっ、ずいぶん遊んだんでしょっ」といって、こぞってキャッキャッと笑い、小沢氏が「そんなことないよ、アッハッハッハ」と大口を開けて大笑いする。 その間、心臓疾患ありと新聞で噂されていたのに、コップの冷酒が次々と小沢氏の口に運ばれていく。 思わず私は「そんな急ピッチで大丈夫ですか」と小声で口を挟んだが、小沢氏は「これくらい、なんてことありませんよ」といって、また大笑いである。
(ozawa006.jpg)
(中略)
政治家の大笑いも私にはみっともないものにみえる。 豪快さを演出するものであるらしいその大口笑いは、むしろ臆病さの現われとみえてならない。 大口を開けて笑うほどの話題や話の展開がそうあるはずもない。 それなのに、政治家たちは選挙民の前、記者たちの前、政敵の前で、ひっきりなしにガハハハッと笑っている。 それは、心底から朗(ほが)らかな、あるいは何もかも見通した炯眼(けいがん)の持ち主の、哄笑(こうしょう)とは異なる。
笑いは、たしかに、人間関係の潤滑油ではある。 しかし、のべつまくなし大笑いとなれば、油を差しすぎた車と同じく、言葉が空回りする、さらには言葉が停止する。 皆して勇気や聡明そして自信や信頼を異常に大量に喪失しながら、異常に大きくかつ異常に高く笑っている、それが日本政治の水準の低さを示す風景だとつねづね思ってきた。 (中略) 私は、時計を見て、「ああ、もう1時間も経ったなあ」と確認したのをはっきり覚えている。
(中略)
「皆さん、ちょっくら待って下さいな。私もまったくの暇人というんじゃない。 小沢さんがせっかくきて下さったんだ。 下らない話をこれ以上続けるのはよしましょうよ」
座が一瞬にしてシラケ、栗本氏が「まあ、まあ」とあわてているのがみえた。 そのとき、誰かが「そうだ、天下国家についてそろそろ語りましょうや」と軽口を叩いてくれればよかったのだが、そんな機転の利く者がいないから、座が乱れっ放しとなっていたのである。 逆に、皆が黙ってくれていれば、私が「小沢氏の謦咳(けいがい)に触れたんですから、ついでに経綸(けいりん)にも触れてみたいですねえ」ということもできた。 ところが、女将が「ああっ、全学連が怒った」と間髪(かんぱつ)を入れずに茶々を入れてきた。 その声質も顔付きも、私には、どう感じてみたとて、品が悪いとしかいえなかった。 「ウルセエ、クソッタレ女、俺は帰るぞ」といって、私はその場から姿を消した。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
131 - 135ページ
『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』
2010年8月14日 第2刷発行
著者: 西部邁
発行所: 株式会社 飛鳥新社
この「私」というのが本の著者の西部邁さんだよ。 この西部さんは日本では、結構名前が知られているらしい。 本の「著者略歴」には次のように書いてあった。
著者略歴
西部邁(にしべ・すすむ)
1939(昭和14)年、北海道生まれ。
東京大学経済学部卒。 評論家。
東大在学中は東大自治委員会長、全学連の中央執行委員として「60年安保闘争」で指導的役割を果たす。
1961(昭和36)年、左翼過激派と決別。 横浜国立大学助教授、東大助教授を経て、1986(昭和61)年、東大教授(社会経済学専攻)に就任するも、1988(昭和63)年、辞任。
旧来の経済学を批判して経済行為の象徴的意味の解釈を思考する「ソシオ・エコノミックス」で注目され、社会経済学の構築をめざした。
また、高度大衆社会・アメリカニズム批判と西洋流保守思想の提唱とを基軸にした評論活動を活発に行った。
つまり、西部さんは60年安保の時の全学連のリーダーの一人だったのだよ。 それで料亭の女将が「全学連が怒った」とからかったわけなのだよ。
だから、どうだと言うのですか?
あのなァ〜。。。 上のエピソードには まだ続きがあるのだよ。 ついでだから次の小文も読んでみてごらんよ。
(すぐ下のページへ続く)