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寅さんの本棚 (PART 1 OF 3)

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寅さんの本棚 (PART 1 OF 3)

 


(bokshelf6b.jpg)




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デンマンさん。。。 今日は どうして本棚のことなのでござ〜♪〜ますかァ!


(kato3.gif)

あのねぇ〜、夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。


本の力


(inouye02.jpg)

本の重さを思い知ったのは建売住宅の床が抜けたときである。
八帖の仕事部屋のまわりに特注の本棚をめぐらし、その本棚からも溢れだした本を床のあちこちに積み上げているうちに、何十もの本の峰が勝手に聳(そび)え立ち、やがて連なって山脈になった。
煙草をよく吸うので煙は山脈にかかる薄い雲、機窓からスイスアルプスでも眺めているような気分、あれはすばらしい景色だった。


(bokshelf2.jpg)

わたしはその山脈のふもとに机をおいて仕事をしていたわけだが、ある日、散歩の途中で買った古本を数冊、峰の一つ天辺に乗せて、机の前で一服つけて山脈に薄雲を吹きかけていた。
だがその数冊でおそらく閾値(しきいち)を超えたのだろう、山脈全体がにわかに鳴動し、本の峰々が床の抜け落ちたところへゾロゾロと滑り落ちて行った。
手抜きの建売で床が弱かったせいもあるが、やはり本の重さを軽く見たわたしの考えのほうが甘かった。

本の増殖力はたしかに凄まじかった。
本の山脈は仕事部屋から寝室へ延び、茶の間から台所を侵し、さらに雪隠から玄関の靴箱の上へ進出していった。
前の奥さんが逐電したのも、たぶんわが身の置き場所がなくなったと思ったからにちがいない。

  (56-57ページ 井上ひさし)

(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)



『私の本棚』
編者: 新潮社 
2013年8月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




これを読んで 僕は久しぶりに僕の本棚のことを考えたのですよ。



あらっ。。。 デンマンさんも床に本の峰ができるほど たくさんの本を持っているのでござ〜ますか?

いや。。。 僕はそうならないようにカナダにやって来てからは教科書と辞典以外には本を買わない主義にしたのですよ。 だから、カナダで暮らし始めて以来 本棚を持ったためしがない。

どうして 本を買わないことに決めたのですか?

あのねぇ〜、僕は大学に入学した時に 実家から本を下宿に運んだことがある。 


(bokshelf6b.jpg)



仙台の僕の下宿の部屋にあった本棚というのはこんなものだったのですよ。。。



でも、どうして寅さんが写真に出てくるのですかァ〜?

あとで寅さんの話も出てくるからですよ。。。 とにかく、上の本棚の本を運ぶ時に、2つのボストンバックに本を詰め込んで20分ほど実家から現在の行田市駅まで歩いた時に、本がこんなに重いものだとは知らなかった。 


(traveler2b.gif)

今ならキャスターが付いたバッグを売っているけれど、当時は そんな気の利いたバッグは売ってなかった。 だから、こうして本の詰まったバッグを両手にぶら下げて運んだのだけれど、もう重いのなんのってぇ〜、腕が抜けるのではないかと思った。 苦痛で頬が引きつって、もう笑っている場合じゃない! バッグを引きずってゆきたくなったくらいですよう。 それから、下宿に着くまで、駅の階段の上り下り、電車に乗ってからバッグの網棚への上げ下ろし、仙台駅に着いてから、バス停まで歩いて、富沢金山というバス停について下宿まで運ぶ苦痛! 僕は、それで すっかり懲りてしまった。



それ以来、本を買わないようにしたのでござ〜ますか?



買わないようにしたのだけれど、つい買ってしまうのですよねぇ〜。 だから、卒業して実家に戻るときには、かなりの本が床に積み上げられた。 もちろん、バッグで運んでなどいられない。 叔父に軽トラックで来てもらって 家財道具と本を積み込んで一緒に行田に帰ったのですよ。

それ以来、本を買わないことに決めたのですか?

そうです。 僕は井上ひさしさんのような作家になろうというつもりはなかったから、特に本を買わねばならないようなことはなかった。 でも、上の小文を読んでいて、あれだけ本が溜まれば床が抜けてしまうのも納得がゆきましたよ。

。。。で、現在カナダで暮らしていて、マンションには本棚はないのでござ〜ますか?

ないのですよ。 クロゼットの中の作り付けの棚を本棚にしているのですよ。


(bokshelf5.jpg)



でも、これだけじゃ足りないでしょうに。。。



だから、クロゼットの床に積み上げてあるのですよ。 とにかく、僕はカナダで暮らし始めてから、けっこう引越しをしているので、本棚だけは持たないようにしているのですよ。 実際、本を買い始めると限(きり)がないのですよ。 卑弥子さんは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している仕事がら 本をたくさん買い込むのでしょう?

そうでござ〜ますわァ。 あたくしも 本の置き場所には ほとほと困り抜いているのでござ〜ますわよう。

あのねぇ〜、同じ大学教師をしていた鹿島 茂さんが 面白いエッセーを書いているのですよう。 読んでみてください。


愛人に少し稼いでもらう


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1980年まで、私は蔵書家とはとてもいえなかった。
大学教師だったから人よりは多く本を持ってはいたが、いまから思うとたいしたことはなかった。

この頃までわたしの主たる関心がフランス現代思想の方面に向けられていたためである。
思想が相手なら本をよく読んで自分の頭で考えるだけでいい。
本を多く買う必要もないしストックする空間も要らなかった。

 (中略)

ところがこの年、私はとんでもない出会いをしたのである。
ルイ・シュヴァリエの『歓楽と犯罪のモンマルトル』という本を翻訳する過程でパリの風俗のことを調べる必要が生まれ、神保町の田村書店に出掛けたところ、そこでバルザックなどが寄稿したパリ風俗観察集『パリの悪魔』に出会い、19世紀古書の魅力に取りつかれてしまったのだ。 (略) 以来、古書を買う金を作るための格闘が始まった。

当初は自分の文章が金になるとは思わなかったので、もっぱら翻訳に精力を注いだ。
フランス語ではたいして金にならないということでアメリカのSFものをいくつか変名で訳したりした。

しかし、それでも1984年に大学の在外研修でパリに行く前は古書の増殖はたいしたことはなかった。
だが、1年間パリに滞在し、毎日のように古書を買いまくっているうちに蔵書は等比級数的に増え、それに伴って借金の額も倍増した。

そう、いつしか私は、古書の代金を捻(ひね)りだすために借金の道にはまり込んでいたのである。
とりわけ、グランヴィルの挿絵本に出会ったのがいけなかった。
グランヴィルの挿絵を見たとたん「よし、これを全部集めよう」と決心してしまったからである。

ときあたかもバブル時代。
横浜の実家の土地を担保にすると、いくらでも銀行は金を貸してくれた。
返す当てなどまったくなかったが、とにかく買えるときに買っておけというので、買って買って買いまくった。
そして、蔵書が限界に達すると、聖蹟桜ヶ丘のマンションを売って、横浜の土地に150平米の家を建て、かなり大きな書庫をつくった。


(bokshelf3.jpg)

だが、1990年に入るや、突然のバブル崩壊。
気が付くと借金は数億円に上っていた。

ここでようやく目が覚めたが、たとえ家と土地を売却しても担保価値は下落しているので残るのは借金だけ。
ならいっそ、借金を丸ごと返すように、何か他の方法で金を稼げばいい!
かくして、そのときになって初めて、自分の筆で金を稼ぐことを思いついたのである。

こうして「書きまくり」の生活が始まった。
来た注文は高かろうが安かろうがすべて引き受けた。
そのうち、やけくそになって書いた『子供より古書が大事と思いたい』が思わぬヒットとなり、講談社エッセイ賞もいただいて、一息ついたが、しかし、そんな金も焼け石に水。

さらにそこから、書きまくり、出しまくり、返しまくり、そしてまた買いまくりの生活が10年続いたのである。
そして、こうして猛烈な生活をしているうちに、今度は和書がたまってきた。
資料として買った本、書評のために買った本、さらに寄贈本、とにかく和書の増殖もまたすさまじいものになった。

その結果、横浜の家は上から下まで空間という空間がすべて本で埋まり、生活と執筆のスペースがなくなってしまった。

 (153-156ページ 鹿島 茂)

(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



『私の本棚』
編者: 新潮社 
2013年8月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




 (すぐ下のページへ続く)




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