ビルマからの手紙(PART 1 OF 3)
表現の自由がない国から
人々と出来事を記録しようとする人間の情熱はどこからわき出てくるのだろうか。 洞窟の住人たちは暇つぶしに狩猟の光景を描いたのか、それともそれは、自分たちの行為を子孫のために不滅にしておきたいという無意識の欲求の充足だったのか。 あるいは、身のまわりの生活に関する自分たちの考え方をほかの人たちに伝えようとする試み、メディア活動の萌芽的形態だったのか。
新聞・ラジオ・テレビ・その他のマスコミ機関はいったいなんだろうか。 コミュニケーションよりマス(大衆)に重きを置くものは、これらのメディアは大衆のセンセーショナリズムとスキャンダル趣味に迎合して金もうけをしようとしているにすぎない、と冷笑的に言うかもしれない。 しかし本物のコミュニケーションは、単なるニュース・意見・情報のやりとりにとどまらない、はるかに多くの構成要素をそなえている。
自宅軟禁からの開放以来、この1年間に、私は何百ものプロとアマチュア双方のジャーナリストに会った。 あまりに多くのインタビューに矢継ぎ早に応じなければならなくて、頭が少しぼうっとなった日々もあった。 疲れきっていて、同じ質問に同じ回答を繰り返す以上のことはあまりできず、すっかり授業の復習をする女子生徒のような気分になったときもあった。 言語の障害から、インタビューする人と私が互いに意思を疎通させようとして苦闘する場面もあった。 さらには、言語よりはむしろ認識が問題で、質問に頭をしぼるのだが回答が誤解され、ときにはしゃべったことと活字になるものとの間に共通点がないほどにゆがめられて伝えられてしまうような会見もある。 これはすべて、人間同士のコミュニケーションが興味を引き起こし、がっかりさせ、陽気にし、激怒させ、込み入り、心身を疲れさせーーーそして不可欠なものであることを示している。
経験豊かなプロのジャーナリストの手にかかると、へとへとに疲れている1日の最後のインタビューでさえ、苦難よりもくつろぎとなる。 彼らは古い状況から新しい側面を引き出すような設問の仕方を心得ており、彼らと話していると勉強になる。 彼らは粘り強く、探究心に富む精神と誠実さ、人間的温かさを併せ持っており、それが彼らとの会話を刺激的で楽しいものにしてくれる。 すぐれたカメラマンとすぐれたジャーナリストはコミュニケーション術の達人であり、世界の一部で起きていることを地球の他の地域にできるだけ正確に送り届ける才能をそなえている。 彼らは、われわれのように表現の自由がない国に生きているものにとって恵みである。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
177 - 178ページ
『ビルマからの手紙』
著者: アウンサンスーチー
1996年12月25日 初版発行
発行所: 毎日新聞社
ケイトー。。。どうしてビルマからの手紙など持ち出してきたの? インドネシアの動乱と関係あるの?
いや。。。インドネシアとは直接関係ないのですよ。
だから、どうして急にビルマなの?
たまたまアウンサンスーチーの『ビルマからの手紙』を読んだのですよ。
つまり、ビルマからの手紙を読んでケイトーは感動したとでも言うの?
まあねぇ。。。、感動したと言うほどではないけれど、上に引用した文章を読んだだけでもネットが重要な役割を果たしているのがシルヴィーにも分かるでしょう!?
世界の市民の知る権利のためにネットが大きな役割を果たしているとケイトーは言いたいのね。
そうですよ。
でも、ビルマは言論の自由・表現の自由がない異例の国でしょう?
いや。。。決して異例ではありませんよ。 例えばアメリカには言論の自由があり、表現の自由があるようだけれど現実にはアメリカ市民の知る権利が侵されている。
その証拠でもあるの?
ありますよ。 ちょっと次の小文を読んでみてくださいよ。
ジョン・F・ケネディ
ケネディは1963年11月22日に、遊説先のテキサス州ダラスの市内をオープンカーでのパレード中に狙撃され、暗殺される。
まさにその日行われた初の日本とアメリカ間のテレビ中継実験(衛星通信)を通じ、日本にも即座に報じられた。
暗殺者と暗殺理由は多くの説があり、以下のように有力な説はあるものの、いまだに結論が得られていない。
その主な原因は、証拠物件の公開が政府によって2039年まで不自然に制限されたり、また大規模な証拠隠滅が行われたと推測できる事象が多くあるためである。
衣料販売店を経営するエイブラハム・ザプルーダーによって撮られた暗殺の瞬間の8ミリ映像(「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれている)は、映画『JFK』(オリバー・ストーン監督)、インターネットなどで容易に見ることができる。ケネディの頭部は致命的と見られる射撃によってひどく破壊され、後方に動いている。その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、この映像はオズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。直後にケネディ夫人が動揺した様子で後方に目を移し、オープンカーの後方部分に這い出て、護衛にすぐ引き戻されている映像が独立した複数の映像から確認できる。
ケネディ夫人自身はその行動を認め、後方に吹き飛んだケネディの頭部破片を拾うために這い出たことを後に裁判で証言している。
実際、彼女はケネディの頭部の骨片を医師に渡している。また、ケネディが撃たれた場所の前方の丘の上(グラシー・ノール grassy knoll)での不審な事象について複数の一般人の証言がある。
これらは、射撃はすべて「後方から」リー・ハーヴェイ・オズワルド一人によって行われたとする暗殺真相究明委員会(ウォーレン委員会)による政府側報告書と矛盾しており、陰謀の存在が指摘される理由となっている。
ケネディの急進的なベトナム戦争撤退の方針が政府側もしくは軍産複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという説など、様々な主張が存在する。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『シルヴィーとケネディ夫人』に掲載
(2011年6月15日)
ケネディ大統領暗殺にかかわる重要なファイルがアメリカ政府によって2039年まで非公開にされている。 つまりねぇ、国家が国民の知る権利を侵しているのですよ。
どうして2039年なのォ〜?
暗殺が起こったのが1963年ですよ。 重要な暗殺関連ファイルを非公開にする法案ができたのが確か翌年、1964年でしたよ。 要するに法案が可決されてから75年間は世界の市民に情報が公開されないようにしたのですよ。
なぜ75年間なのォ?
あのねぇ、平均寿命ですよ。 要するに、2039年に情報が公開される時にはケネディ大統領暗殺にかかわった人物はすべて死んでいるのですよ。
もしかしてケイトーはアメリカ政府の中にもケネディ大統領暗殺にかかわった人物が居ると見ているの?
そうでもなければ、上のような見え見えの法律を作らないでしょう?!
そうかもね。。。!? でも、そのような非常識な法律ができたのは50年近く前の話でしょう? 現在では、そのようなことは起こらないと思うわ。 アメリカ国民が猛反対すると思うのよ。
もし現在、同じよな法律ができて、アメリカ国民がマジでムカつくのであれば、上の法律を今すぐにでも破棄して暗殺ファイルを公開するような法律が作られると思うのですよ。 でも、アメリカ国民にそのような動きがない。 無関心なのですよ。
1963年の暗殺事件を今更蒸し返しても仕方がないでしょう?
歴史を学ばない者は失敗を繰り返す!
アメリカ政府が国民に歴史を学ばせないようにするために暗殺関連ファイルを非公開にする法律を作ったとケイトーは言うつもりなの?
それ以外に考えられないでしょう!
その根拠でもあるの?
ありますよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。
アメリカ政府の拷問技術開発
1950年代に米国陸軍の研究所は2本のフィルムを製作した。 「静かなる暴行(In Silence The Atack)」と「魂に鎧を(Armor for the Inner Man)」である。 この2本をはじめとする同研究所のフィルムには、LSDを投与された兵士が混乱したり、怒ったり、興奮したり、おびえたりする様子が収められている。 こうした実験では1000人以上の兵士がモルモットにされ、その多くが長期的な影響を訴え、少なくとも2人の死亡が報告されている。
(中略)
資金提供を受けた総合大学、医大、研究所で、185人の人体実験プロジェクトが行われた。 皮肉なことに、当時はロシアも中国も、尋問の際に身体能力を奪う薬物を利用していなかった。 思い上がった(アメリカ)政府の犠牲者となった米国民が最大の被害者だった。
(中略)
米国の政府や科学者が、拷問技術の開発に貢献してしまったことはきわめて遺憾である。 その過程で国民の命が失われたのだ。 人間の記憶力などあてにならない。 米国は拷問を加える人間を支援し、要請さえした---無法行為としか言いようがない。 断じて認められるものではない。 米国は、外国でこのような拷問技術が利用されるのを容認しない。 ならば、わが国が自らこのような残虐行為を行うことも許してはならない---絶対に。 だからこそ、われわれは過去を振り返らなければならないのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
344 - 345ページ 『CIA洗脳実験室』
著者:ハービー・M・ワインスタイン 訳者: 苫米地英人
2010年5月4日 初版第1刷発行
発行所: WAVE出版
つまり、このような事実があったにもかかわらずアメリカ国民は過去の忌まわしい歴史的事実から学んでいないとケイトーは主張するの?
その通りですよ。
その根拠でもあるの?
ありますよ。 あのねぇ、ブッシュ政権のトップスタッフの一人のスーザン・クロフォード(Susan J. Crawford)さんがワシントンポストの記者に事情を漏らしたのですよ。
なんて。。。?
9.11アタックに参加したと疑われてキューバのガンタナモ・ベー(Guantanamo Bay)の収容所に収監されたサウジアラビア人が拷問にあっていると。。。
マジで。。。?
実際、この拷問が上院で問題になって当時、国防総省の長官だったラムズフェルド氏が査問委員会に呼ばれて、かつて北ベトナムで捕虜になったことがある上院議員のマッケイン氏から質問を受けたのですよ。
そのような拷問した事実があるかと。。。?
そうですよ。
それでラムズフェルドさんは、なんて答えたのですか?
ラムズフェルド長官は否定したのですよ。 その時の模様を次のYouTubeで見ることができますよ。
Rumsfeld rejects allegations
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拷問をしていないと言っているのだから、そのような事実はなかったのでしょう!?
ところが拷問している写真をラムズフェルド長官は見ているし、それを隠していた。 ブッシュ大統領にも見せていなかった。
ケイトーはどうしてそのような事まで知ってるの?
世界のネット市民の知る権利があるからですよ。 (微笑)
その証拠でもあるの?
ちゃんと、その事実が報道されたのですよ。 その一部がYouTubeで流れていますよ。 見てください。
Bush's War part 1 (Preview)
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ラムズフェルドさんはウソをついていたのね!
そう言う事になりますよ。
ブッシュ大統領は何と言ったの?
ムカついたらしい。
そうでしょうね!? 。。。でクビにしたの?
いや。。。クビにしなかった。。。と言うよりもクビにできなかった。
どうして。。。?
ラムズフェルドさんは、言わばブッシュ政権の要(かなめ)なのですよ。 ラムズフェルドさんの居ないブッシュ政権はクリープが入らないコーヒーのようなもので。。。コーヒーとは言えないのですよ。 (微笑)
マジで。。。?
ラムズフェルドさんはフォード大統領時代の首席補佐官でした。 左の人がラムズフェルドさんですよ。
右の人は。。。?
ブッシュ政権の副大統領のチェイニーさんです。 フォード時代には首席補佐官補でした。
つまり、ラムズフェルドさんとチェイニーさんは良かれ悪しかれ共和党の重鎮(じゅうちん)なのですよ。 つまり、エスタブリッシュメントの代表です。 クビにするわけにはゆかないのですよ。
でも、「ビルマからの手紙」の話がどうしてラムズフェルドさんとチェイニーさんの話になるの?
アウンサンスーチーさんの手紙を訳した人が次のように書いていたのですよ。
(すぐ下のページへ続く)