愛とロマンの昔話 (PART 2 OF 3)
法事の使い
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むかし、ばか息子があって、母子二人っきりで暮らしてた。ある日お母さんが、
「今日は、父親の追善するんだから、お前和尚さん頼んでこいよ」って。で、早速お寺へ行ったら、屋根にカラスがとまってた。
「今日はおら家(え)で親の追善すっだから、和尚様来てくだせえ」ちゅうたらば、カラスが、
「コカァ」って鳴いた。
「子でねえ、親の追善すっだ。こんなばか坊主にはもう頼まねえ」って、引き返してきただ。
で、二回目に来たときには牛がいた。
「和尚さん、和尚さん、おら家で親の追善すっだから、今日は来てくだせえ」ちゅうたらば、牛が、
「ボー」って鳴いた。
「坊でねえ。親の追善すっだ。こんなばか坊主にはもう頼まねえ」って、またひきかえしちゃった。そうしたらお母さんが、
「おらが行って頼んでくる」って、和尚さんを連れてきた。
それから、
「追善の甘酒を作ったから、瓶の尻(けつ)をしっかりと押さえてろ」って、二階から瓶に綱をつけておろすと、息子はわが尻しっかり押さえていて、瓶は落ちて甘酒はみんな流れ出したと。
【原話語り手】 阿部アイ 栃木県塩谷郡栗山村湯西川
【出典】 『栗山村の民話』 19ページ
【解説】 もっぱら本土に伝わる愚人譚。朝鮮族では兄弟譚の形で、賢い弟が愚かな兄に坊さんを連れてこいと頼む。兄は山で黒いカラスや黄色い鶯に声をかける。しまいに弟が粥を兄に渡し、「くぼんだ物にうつせ」と言うと、兄は雨垂れでうがたれたくぼみに流す。日本本土と朝鮮半島の昔話は、国内の沖縄やアイヌより良く似ていることがある。
【編者紹介】 稲田浩二(いなだ こうじ) 1925年生まれ。広島文理科大学文学部卒業。京都女子大学名誉教授。国文学、民俗学を専攻。
昔話の調査・採集に携わり40数年、6万話にのぼる話に通暁(つうぎょう)する。その成果は、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。
214-215ページ
『日本の昔話 (下)』 編者・稲田浩二
発行・筑摩書房 1999年7月8日 第一刷発行
つまり、この昔話に登場する「ばか息子」がデンマンさんでござ~♪~ますか?
違いますよう。僕が赤字にした箇所を注目してくださいよう。
このお話は栃木県の昔話でござ~♪~ますか?
そうですよう。ちょっと地図を見てください。
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小百合さんがこのページのトップで書いているメールの中で佐野の山小屋と言うのは、佐野市の熊鷹山の麓(ふもと)ににある“山の家”ですよう。
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上の写真の山小屋が、その“山の家”でござ~♪~ますか?
そうですよう。小百合さんの“山の家”から南へ向かって行田市の僕の実家まで行くには車で1時間。“山の家”から北へ向かって車で1時間行くと、上の昔話が伝わる栃木県の栗山村へ行くのですよう。
つまり、デンマンさんのご実家から栗山村へは、車で2時間の距離にあるのでござ~♪~ますわね?
その通りですよう。
それでデンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?
解説の中の次の箇所に注目してください。
日本本土と朝鮮半島の昔話は、
国内の沖縄やアイヌより良く似ていることがある。
これが、どうだと言うのでござ~♪~ますか?
つまり、栃木県の栗山村に伝わる昔話が、国内の他の土地やアイヌに伝わる昔話よりも朝鮮半島の昔話に良く似ていることがある。こう言っているのですよう。
つまり、上の昔話は朝鮮半島から伝わってきたとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。僕の祖先の騎馬武者と卑弥子さんの遠い親戚の女の子が武蔵野の原野で出会った。
13歳の少女と「武士」の出会い
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旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。
たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。
「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。
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さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。
それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。
「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)
日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。
(84-87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行
『セレブと碓氷峠』より
(2008年9月7日)
司馬さんが『街道をゆく 1』の中で言っているように、僕も「東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える」のですよう。
でも、小百合さんがどのように関わってくるのでござ~♪~ますか?
実は、小百合さんの祖先も僕の祖先と一緒に百済からやって来たのですよう。ちょっと読んでみてください。
デンマンの祖先は百済からやって来た
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僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。
それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。
『セレブと碓氷峠 (2008年9月7日)』より
。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?
そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。
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バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
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この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。
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この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。
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これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。
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