菊ちゃんと阿部忠秋(PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 どういうわけで菊ちゃんと江戸時代の忍藩主というか。。。、江戸城で老中も務(つと)めた阿部忠秋がタイトルに並ぶのですか?
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もちろん、時代が違いますからねぇ。 昭和時代の菊ちゃんと江戸時代の阿部忠秋には直接の関係はありません。
じゃあ、間接的に関係があるのですわねぇ~。。。
そういうことです。。。 小百合さんも次の記事を読んだでしょう?
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■『毘沙門堂と菊ちゃん』
ええ。。。 上の記事は読みましたわ。
阿部忠秋は、忍藩主だった寛文7年(1667年)に、念珠仏・毘沙門天を江戸屋敷より移し、立派なお堂を建てて菩提寺の大長寺に寄進したのですよ。
大露仏と毘沙門堂
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行田で唯一つの露坐の大仏で、「丈六の仏」といわれていたが、昭和19年、鉄の供出を強調され、大仏と半跏(片足だけくみ、片足は下におろす)の地蔵と金鐘とを戦争の為に、供出してしまった。
せめて、この大仏だけは、行田町の文化財として出したくはなかった。
『忍名所図会』には座像高さ“1丈2尺余”と書いてある。
今もその台石は残っているが、その上に1丈2尺の大仏であるから、子供心にすごく大きいものだと思った。
この大仏の由来について、何らの手がかりがないので、大長寺に何か記録がないかと探して貰ったが、住職が替わったばかりで、なんらの引き継ぎもなかった由である。
不思議なことには『忍名所図会』『北武八志』その他にも、何ら建立由来がない。
大仏に後背銘があったように覚えているが、今では致し方ない。
せめて拓本しておいて貰いたかった。
『忍名所図会』に「浄土宗沙門信阿和奉納す」とある。
大仏の後方、東に、西方を向いて、彫刻の沢山あった毘沙門堂があった。
昭和40年代、国道拡張の折、移築を余儀なくされた。
しかし、そのまま移転することもできないほどの荒廃で、戦中、戦後、乞食の棲家になって、失火しなかったのがせめてもの幸せという位、所々がこげていて、廃屋そのものであった。
教育委員会と交渉し、ついに取り壊し以外ない事になり、その彫刻をいかし、浅草の古物商(百万弗)に売却し、今は、奥日光の金精峠に、そのおもかげを留めている。
そもそもこの毘沙門堂は、藩主阿部豊後守忠秋が、念珠仏毘沙門天を江戸屋敷より移し、立派なお堂を菩提寺大長寺に建立寄進した。
像高37糎の毘沙門天である。
(中略)
この毘沙門堂は寛文7年(1667年)の建立なので、京都出雲寺の最澄の作った毘沙門天を江戸に移し、寛文年代、法親王が住持となり、毘沙門堂門跡というようになったという事が記録にあるから、筆頭老中が阿部忠秋であるから、時代が合うので、その故事にゆかりある毘沙門の分身ではなかろうか。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
20-22ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社
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大仏さんの前で小百合さんとツーショットの写真を撮ったけれど、この大仏さんは2代目なのです。
ええ、ええ。。。 その事はデンマンさんから聞いたことがありますわァ。
菊ちゃんが生きていた当時は、この2代目の大仏さんは まだなかった。 でも、取り壊し前の毘沙門堂はあったのですよ。
それで、どうしてこの毘沙門堂と菊ちゃんが関わりがあるのですか?
実はねぇ~、僕が小学生の頃、菊ちゃんは僕のお袋になついて、よく遊びに来たのですよ。
その頃から菊ちゃんはデンマンさんのお嫁さんになりたかったのですか?
当時の菊ちゃんは20歳を出ているか出ていないか。。。とにかく子供の僕の目には、もう大人でしたよ。
でも、精神年齢は7つぐらいだったのですか?
そうなんですよ。 でもねぇ、いくらなんでも、まだ小学生の小さな僕を見て僕のお嫁さんになろうとは思わなかったでしょうね。 菊ちゃんが僕のお嫁さんになりたくて、お母さんに頼みに帰ったのは僕が中学生の時のエピソードですよ。
それで、デンマンさんが小学生の頃、どのようなエピソードがあったのでござ~♪~ますか?
時々、僕の家に興奮して駆け込んで来たのですよ。
一体何があったのですか?
大事件が持ち上がった訳ではないのですよ。 実は、菊ちゃんは言葉がはっきりと話せないのですよ。 確か“お嫁さん”のことを“いーやん”と言っていたように思うのですよ。 毘沙門堂の方を指差して、息を切らせながら“いーやんがきたぁ~。。。いーやんがきたのよゥ”。。。そう言いながら、アイドル歌手がやって来たように、うれしそうにはしゃぎ回ったのですよ。
それで、お嫁さんが毘沙門堂にやって来たのでござ~♪~ますか?
そうなんです。 “お宮参り”なんでしょうね。 上の説明にある通り、毘沙門天は七福神の一つですからね、縁起のいい神様ですよね。 それで、大長寺の檀家の娘さんが末永く婚家で幸せで居られるようにと願(がん)をかけるために毘沙門天にお参りにやって来るのだと思いますよ。
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上の写真には男が写っているけれど、やって来るのは決まってお嫁さんだけなんですよ。 花婿が一緒に来たのを見たことがありませんでしたね。 ほぼ間違いなく付き添いの中年婦人と一緒に二人でやってくるのですよ。 多分その中年婦人は仲人さんだと思うのですよ。
それで、菊ちゃんは必ずデンマンさんの家まで知らせに飛んでゆくのですか?
そうなんです。 お袋だって忙しい時がありますからね。 菊ちゃんが来るたびに一緒に見に行けませんよ。 だから、お袋が忙しい時には、せっかく知らせに来たのだから僕に一緒に見に行くようにと言うのですよ。
それで、デンマンさんは菊ちゃんと一緒に見に行ったのでござ~♪~ますか?
小学生で暇をもてあましている事が多いからねぇ、付き合いましたよ。うへへへへ。。。1年に4,5回そう言うことがありました。 菊ちゃんは、もう、アイドル歌手がやって来たように嬉しそうにはしゃぐのですよ。“ちれいねぇ~、ちれいねぇ~” 感に耐えないような声を上げながら、うらやましそうにはしゃぎ回るのですよ。 よっぽど白無垢の衣装が素晴しいものに見えたのでしょうね。 だから、お嫁さんになる事がいつの間にか菊ちゃんの夢と言うかロマンになったのですよ。 いつか、自分もあのような白無垢の衣装を着て毘沙門堂にお参りしよう! そう思っていたのでしょうね。
そう言う“お宮参り”の風習が行田にはあるのですか?
実は、この記事を書くまで僕は良く知らなかったのですよ。 それで、ちょっと調べてみました。 つまり、“仏壇参り”の延長ですよ。 この毘沙門堂は大長寺にありますからね。 ご先祖様のお墓にお参りするついでに毘沙門天に願いをかけるのでしょう。
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でも、菊ちゃんは白無垢の衣装を着ることもなく あの世の人になってしまったのでござ~♪~ますか?
そうなんですよ。 可哀想だけれど。。。奇病にかかってねぇ、40代で亡くなってしまったのですよ。 でもねぇ、エピソードはそれだけで終わりじゃないのですよ。“馬鹿の一つ覚え”という言葉があるでしょう?
ええ。。。よく聞きますわ。うふふふふ。。。
この菊ちゃんは、同じ事を切りもなく話すのですよゥ。お嫁さんがやって来てから1週間ばかりは、その話を飽きること無く繰り返すのですよ。“いーやんがちれいなおべべを着てきたにィ~”。。。で始まって、お宮参りの様子を何べんも何べんも話すのですよ。もちろん僕だけに話すのではなく、顔見知りの人には誰にでも話すのですよ。僕はお袋から「7才のバカ」 じゃなく、「7才の女性」として付き合うのですよ、と言われているから、よほどの事が無い限り、適当に相槌を打って、うん、うん、うん。。。そうだったねぇ~。。。と聞き役になるのですよ。
子供の頃からデンマンさんは話を聞くのが好きだったのでござ~♪~ますわね?
聞き上手になったのは菊ちゃんと付き合うことが多かったからでしょうね。うしししし。。。でもねぇ、他の子供は正直ですよゥ。きりもなく同じ事を繰り返すから。。。“バカァ~!同じ事を何度も何度も言うなア!あっちへ行ってろォ~!” たいていの子供や中学生ぐらいまでは、このように怒鳴りつけますよ。大人は無視して歩き去りますよ。そうすると最後には僕のところにやってくるのですよ。
デンマンさんは、菊ちゃんの話を聞いてあげるのですか?
もちろん、内心では“んも~~ またかよウ!?”。。。と思いますよゥ。でもねぇ、菊ちゃんが怒鳴り散らされたのを知っていますからねぇ~、なんとなく可哀想じゃないですかァ~。。。だから、半分上の空(うわのそら)で相槌打ってやるのですよ。
つまり、そう言う訳で菊ちゃんに好かれるようになった訳でござ~♪~ますわね?
多分、そうだと思うのですよ。まともに相手になってあげるのはお袋を除くと僕ぐらいでしたからね。。。
納得しましたわ。 それで菊ちゃんはデンマンさんのお嫁さんになりたかったのですわね?
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おそらくそうでしょう。。。
でも、小百合さんのお話にどうして菊ちゃんのことを持ち出したのでござ~♪~ますか?
実は、大仏の前で小百合さんと会った時に白い椅子に座りながら、この話をしようと思ったのですよ。
。。。んで、お話になったのでござ~♪~ますか?
いや、途中で気が変わりましたよ。
どうしてでござ~♪~ますか?
毘沙門堂は日光に移築されて影も形も残っていないのですよ。今では、そのあたりは更地(さらち)になって駐車場になっていますよ。
それで、どうしたのでござ~♪~ますか?
上の毘沙門堂の写真をよく見てください。
上の写真がどうだとおっしゃるのですか?
よく見ると毘沙門堂の向かって左側に小さなお堂があって、その中に石像が見えるでしょう?
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ええ、ええ。。。見えますわ。。。
これはお地蔵さんなんですよ。“塩なめ地蔵”と言うのですよ。このお地蔵さんが白い椅子のすぐそばに移されたのですよ。だからねぇ、僕はそこへ小百合さんを連れて行って、“僕が小学生の頃は、このお地蔵さんがアソコにあったのですよ。” そう言って毘沙門堂がある辺りを指差したものですよ。
それで。。。?
なんだか菊ちゃんの姿が思い出されてきましてねぇ~。。。それ以上話すのがつらくなって、話題を変えましたよ。
小百合さんはデンマンさんのその時の微妙な気持ちが分かったでしょうか?
菊ちゃんの事は一言も話しませんでしたからねぇ、小百合さんは何も分からなかったでしょうね。僕は、ただ、全く関係ない話を長々と続けましたから。。。
いつものようにでござ~♪~ますか。。。?
そうですよ。。。。でもね、おそらく、この記事を小百合さんが読めば、“塩なめ地蔵”の事をなつかしく思い出すと思うのですよ。
『毘沙門堂と菊ちゃん』より
(2008年1月7日)
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