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白痴と同窓会(PART 1 OF 3)

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白痴と同窓会(PART 1 OF 3)



『冷し中華と思い出堂』

 (2011年7月9日)



デンマンさん。。。上の記事の中に出てくる島澤さんという女の子も、白いドレスに身を包んで、パリで生まれ育ったようなハイカラな雰囲気をかもし出していたのですか?



そうなのですよ。 僕は行田でも、どちらかといえば下町の庶民暮らしの中で育った。 だいたい、単行本を読むなんて柄(がら)じゃなかったのですよ。 それだけに、なぜか島澤さんの存在が気になった。 つまり、僕には小さい頃から海外志向があったのですよ。 パリとかロンドンとかニューヨークといった言葉に妙に惹かれたのです。

でも、「三省堂」はパリとかロンドンとかニューヨークと関係ないじゃありませんか?

だけど、パリで生まれ育ったような島澤さんが「三省堂」の包み紙でカバーをして単行本を読んでいるのですよ。 要するに連想ですよ。

つまり、島澤さんを介して、デンマンさんのオツムの中で「三省堂」の包み紙がパリとかロンドンとかニューヨークといったハイカラな雰囲気と結びついたわけなのですわね?

その通りですよ。 それで僕も、そのハイカラな雰囲気を身に着けようとして高校1年生の夏に「三省堂」の本店へ行ってPenguin Booksの単行本、つまり、ペーパーバックのドフトエフスキー原作・英語版の『白痴(Idiot)』を買ってきた。





どうしてドフトエフスキーの『白痴』なのですか? ドフトエフスキーはパリ、ロンドン、ニューヨークとは全く関係ないロシアの作家ではありませんか!



とにかく、日本以外の有名な海外の作家であれば誰でもよかったのですよ。 ドフトエフスキーという有名な作家の名前は僕にとってハイカラな雰囲気と充分に結びついていた。 違和感がなかった。

それで英語で『白痴(Idiot)』を読んだのですか?

夏休みに読むつもりだったのですよ。

それで読みきったのですか?

それがねぇ〜。。。とても僕の英語力で読めるような作品ではなかったのですよ。 とにかく、400ページ近くあったと思うのですよ。 普通の単行本を3冊ぐらい合わせたほどの分厚い本だったのです。

でも、高校1年生でそれにチャレンジするなんて、すごいではありませんか!

そうなのですよ。 意気込みだけはすごかったのですよ。 ところが読み始めたのはいいけれど、初めの1ページに知らない単語がズラズラと出てきて訳語をページに書き込んでいたら、やがて、もう足の踏み場もないというようにページが真っ黒になってしまったのですよ。 言葉を逐語訳するだけにエネルギーを使い果たして、段落の意味を理解するだけの気持ちのゆとりもなかった。 5ページか6ページを辞書と首っ引きで訳したら、もう、それ以上読む気がなくなってしまって、ウンザリしてしまったのですよ。

そのまま投げ出してしまったのですか?

高校2年生になれば英語力が格段についているだろうから、「来年の夏休みに読もう」というわけで、本箱の片隅にしまったのです。

それで翌年の夏に読みきったのですか?

それがねぇ〜、ウンザリした気持ちがあまりにも強すぎて翌年の夏になってもPenguin Booksの単行本を手に取る気持ちが起こらない。

結局、2度と手に取らなかったのですか?

その通りですよ。 実家の物置小屋の中に埃をかぶったまま今でも眠っていると思うのですよ。

つまり、それ以来、英語版の『白痴(Idiot)』を読んでないのですか?

英語版であろうが日本語版であろうが僕のオツムは『白痴(Idiot)』に拒否反応を示すのですよう。

でも、Charlotte Brontë の "Jane Eyre"を原語で読んでDiane さんと本の内容について英語で意見の交換をしているではありませんか?



"Complicated Love"

(Tues. July 5, 2011)



そうです。 今ならば『白痴(Idiot)』を3日あれば読めますよ。



でも、もう読まないのですか?

あのねぇ〜、実はバンクーバーの図書館でDVDを借りて『白痴(Idiot)』を観てしまった。

英語版のDVDですか?

いや、黒澤明監督が作った『白痴(Idiot)』ですよ。


白痴 (The Idiot)



監督: 黒澤明
製作: 小出孝
脚本: 久板栄二郎
出演者: 森雅之、三船敏郎、原節子
配給: 松竹
公開: 1951年5月23日
上映時間: 166分

『白痴』(はくち)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。
監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開された。
原作はロシア文学であるが、本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。
当初4時間だった作品であるが、松竹の意向で大幅にカットされた。

あらすじ

亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会った。
亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症で癲癇性の白痴にかかってしまったのだった。
札幌へ帰ってきた亀田は狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。
しかし彼女は愛人として政治家に囲われていた。

逸話

キネマ旬報で、珍しくベストテンに入らなかった作品。
ドストエフスキーを敬愛する黒澤にとっては、念願の仕事であったと同時にプレッシャーも非常に大きかった。
撮影がなかなか思うように進まず、精神的重圧のあまり近くにあったナイフで手首を切ろうとしたところ、三船敏郎にナイフを取り上げられたという。



原節子(那須妙子役)

(デンマン注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




黒澤監督が作った『白痴(Idiot)』を観たといっても、映画と小説では違うでしょう?



もちろん違うでしょう。 でもねぇ、大筋で大きな違いがあるはずがないし、大して面白い話ではなかったのですよ。

期待はずれだったのですか?

その通りですよ。 原節子さんが出ているのを知って、かなり期待して観たのだけれど期待はずれでした。

どうして。。。?

小津安二郎監督作品に出ている原さんのイメージがあったから、『白痴(Idiot)』の中の原さんがまるで別人のように感じられたのですよ。

なにも原さんという女優さんにこだわらなくてもよいではありませんか? 物語として楽しめばいいのですわ。

あのねぇ〜、あの映画に原さんを起用したのは失敗だったと思いますよ。

どうしてですか?

小津安二郎監督が作った『東京物語』と『晩春』を観て原節子さんの性格女優の素晴らしさを観た後で、黒澤明監督の『白痴』を観るのは、まるで真冬に「冷し中華」を食べさせられたようなウンザリした気分になりましたよ。 消化不良を起こしたのです。 原さんに無理やり嫌な性格を出させたような演出ですよ。 あの役は原さんではなく、京マチコさんがふさわしと僕は思いましたね。

デンマンさんは原節子さんにハマッているのではありませんか!?

そうかもしれません。 でもねぇ、黒澤明監督の作品はほとんど好きだけれど、僕にとって『白痴』だけはダメですね。 真冬の冷し中華です。 消化不良を起こすのですよ。 うししししし。。。

。。。で、その後、島澤さんとデンマンさんはどうなったのですか?

いや。。。どうなったってぇ、別に何もなかったのですよ。

いいえ。。。そのような事は信じられませんわ。

どうして。。。?

島澤さんとは行田中学の2年生のときに一緒のクラスだったのでしょう?

そうですよ。

中学生の時に聴いた「乙女の祈り」にハマッてしまい、デンマンさんが大学の1年生の時にピアノを独習して、その演奏を恵美子さんに聴いてもらいたくって、実家まで押しかけて行ったのでしょう?

小百合さんはよく覚えていますね?

次の小文を読みましたもの。。。




中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、全校生徒が体育館に集まった時に同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。
僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。
曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。



小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。
しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。
とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。

そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。
当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。



『ん? クラシック興味ある?』より
(2006年6月13日)


 (すぐ下のページへ続く)




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