美しい日本語再び(PART 1)
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ケイトー。。。 “美しい日本語再び”ってぇ~、どういうことなのォ~?
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だから、読んで、その言葉通りですよ。。。 美しい日本語について再び考えようということです。
でも、どうして急に日本語をとりあげたわけぇ~?
あのねぇ~、イギリスで日本語を学んでいる人が僕のブログにやって来て、『美しい日本語』という記事を読んだのですよ。
マジで。。。?
もちろんですよ。。。 僕は根拠の無い事は言わないように、書かないように最善の努力を払ってますからね。。。 嘘やデマカセは言わないようにしています。
じゃあ、マジで イギリスで日本語を学んでいる人がケイトーのブログにやって来て、『美しい日本語』を読んだ、という証拠があるのねぇ~。。。
もちろんですよ。。。
でも、ケイトーのブログってぇ~、海外の人にも読まれているのォ~。。。?
もちろんですよ。。。 例えば、Denman Blog では、現在 114ヵ国の 日本語が解るネット市民の皆様に読まれているのですよ。 次のリストを見てください。
海外からのアクセス
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■"Denman Blog"
あらっ。。。 マジで114ヵ国の 日本語が解るネット市民の皆様に読まれているのォ~?
上の記録にちゃんと出ているじゃありませんか!
上のリストはマジなのォ~?
もちろんですよ。。。 僕は ここまで手の込んだことをして、シルヴィーを騙そうなんてしませんよ。
それで、イギリスで日本語を学んでいる人がケイトーのブログにやって来て、『美しい日本語』を読んだ、という証拠もあるのォ~。。。?
もちろんです。。。 次のリストを見てください。
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■『拡大する』
赤枠で囲んだ10番に注目してください。 イギリスの日本語学校の6人の生徒が 英国版GOOGLE を使って検索して 『徒然ブログ』に掲載されている 『美しい日本語』という記事を読んだのですよ。
なるほどォ~。。。 確かに、私を説得しようとしても ここまで手の込んだことをして 証拠をでっち上げたり しないわよねぇ~。。。
そんなことをしても、何の得にもならないでしょう~!
それで、ケイトー自身は 日本語が美しいと思っているのォ~?
いや。。。 特に日本語が美しいとは思いません。
でも、“美しい日本語”という記事を書いたのでしょう!?
僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。
じゃあ、誰がそう思ったのよ?
実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。
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つまり、赤枠で囲んである本を読んだのねぇ~?
そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。
それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?
そうです。。。 いけませんか?
別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?
やっぱり、シルヴィーもそう思う?
だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。
だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。
。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?
じゃあ、次の小文を読んでみてください。
芥川龍之介 「舞踏会」
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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)
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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社
著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?
そうらしいのですよ。
私は特に美しいとは思わないけれど。。。
僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。
どういうところが。。。?
「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。
。。。で、後半は?
後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。
その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?
違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。
ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?
実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。
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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。
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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?
いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。
ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?
例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。
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I girasoli - TRAILER
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Henry Mancini
Love theme from SUNFLOWER
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Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?
違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。
日本人だったら。。。?
だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。
あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?
やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?
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どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。
でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?
とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。
その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。
それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?
いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。
どのような。。。?
「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。
ただ、それだけのことですか?
そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。
どのような。。。?
明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。
あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?
そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。
(すぐ下のページへ続く)