とんかつとピアノ (PART 3 OF 4)
ミッチー・ブーム
![](http://www.fileden.com/files/2010/2/5/2750497/michi002.jpg)
ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。
民間人である美智子が、皇太子の「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。
これを契機にテレビが普及するなど、戦後日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。
第二次世界大戦後、1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表する。
1957年(昭和32年)に聖心女子大学英文科を卒業していた美智子は、その年の夏、皇太子と軽井沢で親善テニス・トーナメントの対戦を通じて出会い、皇太子は美智子の人柄に惹かれて自ら妃候補にと言及したと報道され、皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれる皇室の慣例を破り、財界出身とはいえ初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。
昭和天皇は「皇室に新しい血を」という意向だったとされている。
正田家は家柄が違い過ぎるとして当初、固辞の姿勢を見せたが、皇太子の「柳行李一つで来てください」との言葉が決め手となって決心を固めたと報道された。
しかしこの報道は事実ではなく(「ご学友」橋本明の創作)、のち2001年(平成13年)に行われた天皇の記者会見では「このようなことは私は一言も口にしませんでした」と強く否定、プライバシーと尊厳の重要性に言及し、報道のあり方に疑問を投げかけている。
美智子がテニスで着ていた白地のVネックセーターや白い服装、身につけていたヘアバンド、カメオのブローチ、ストール、白の長手袋などのいわゆるミッチースタイルと呼ばれたファッションが大流行し、ヘアバンドはミッチーバンドと名付けられている。
宮内庁で行われた11月27日の婚約記者会見で美智子が「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ」と皇太子の印象を述べた発言が大きな注目を集め、「ご清潔でご誠実」は、流行語になった。
マスメディアは「昭和のシンデレラ」あるいは「世紀のご成婚」と銘打ち、美智子の生い立ちや、皇太子との交際などを詳報、週刊誌は1956年(昭和31年)の『週刊新潮』創刊をきっかけに、1957年(昭和32年)創刊の『週刊女性』(主婦と生活社)、1958年(昭和33年)の『週刊女性自身』(光文社)、『週刊明星』(集英社)、『週刊大衆』(双葉社)、『週刊実話』などの創刊が相次ぐ「週刊誌ブーム」が起きており、週刊誌・女性週刊誌の報道競争が過熱していた。「ご成婚」は週刊誌メディアにとって格好の題材・素材となって週刊誌の売り上げが伸び、さらに週刊誌記事を通じて皇室情報が一般人に浸透することとなった。
これら社会現象は婚約発表のその年に、美智子の愛称「ミッチー」に由来して「ミッチー・ブーム」と名付けられ、以後、この呼称が社会的に定着。
同年12月1日に日本銀行が一万円券(いわゆる一万円札)を発行、股上が極端に短い新作パンティー「スキャンティー」を発表するなど女性下着ブームの火つけ役となって女性下着の歴史に画期をなしたファッションデザイナー鴨居羊子が『下着ぶんか論 解放された下着とその下着観』を上梓、インスタントラーメンの元祖チキンラーメンが発売され、またロカビリーブームが起こるなど、この年に多くの人々が景気の上昇を実感する時代を迎え、本格的な消費社会の入口にさしかかっていたことが、経済的にミッチー・ブームを支える背景となっていた。
また首都圏広域の電波送信を可能にする東京タワーが12月23日に完成、マスメディアの領域ではテレビ放送時代の幕開けの準備が整う。
このような時代背景の中で、ミッチーブームは、戦後の明るい話題として取り上げられた。
皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀翌1959年(昭和34年)4月10日の、いわゆる結婚式(「結婚の儀」「御成婚」)と、実況生中継されたパレード(ご成婚パレード)で、ミッチー・ブームは頂点に達する。
皇居から渋谷の東宮仮御所までの8.18キロを馬車、あるいはロールス・ロイスのオープンカーが目抜き通りを走るパレード沿道には、53万人の群衆が詰めかけた。
パレードに先立ち、テレビのメーカー各社は競って宣伝を行なったため消費者は実況生中継を見ようとし、テレビの売り上げが急伸、パレードの一週間前に NHK の受信契約数(いわゆる普及率)は、200万台を突破。またテレビ製造メーカー、週刊誌各社は大量消費社会へのテイクオフ(離陸)を果たし、テレビコマーシャルや週刊誌の消費が伸びる契機となった。
日本の経済、ファッション、マスメディアなどの変遷を語る上でエポックとなった空前のミッチー・ブームが起きたちょうどそのころ、日本の経済は岩戸景気に突入し、高度経済成長時代を迎える。
マスメディアはその後も彼女の皇太子妃としての生活(第一子「浩宮」誕生、第二子「礼宮」誕生、子育て)などの様子を頻繁に取り上げ、美智子妃は国民にとっての「象徴」としての役割、すなわちいわば「憧れ」の対象としての地位を確立してゆく。
政治学者の松下圭一は、これら一連の「ミッチー・ブーム」社会現象を切り口にして天皇制を分析した著作「大衆天皇制論」を1959年(昭和34年)に著している。
2005年(平成17年)出版のDVDブック「昭和ニッポン」(第8巻『美智子さまブームと東京タワー』など全24巻)を共同執筆した横浜市立大学助教授の古川隆久は、ミッチー・ブーム前後のメディアの皇室報道を検証して「逆説的ですが、民間人出身の皇太子妃が誕生したことで、国民は皇室との距離を実感してしまったのではないか」と分析している。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/sayuri55.gif)
つまり、美智子さんのイメージがデンマンさんのお父様にも消しがたい印象を残したのですか?
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/kato3.gif)
そうなのですよ。 僕にも驚きでしたよ。
でも、まさか美智子さんがデンマンさんのお父様とお見合いをしたわけではないでしょう!?
もちろん、そのようなことはありません。
それで、どのような事があったのですか?
あのねぇ、三島さんじゃないけれど、親父にとっても美智子さんは素晴らしい日本女性に映ったらしい。 つまり、熱烈な美智子ファンになったのですよ。
それで。。。?
当時は親父は小学校の平教員だった。 それなのに。。。、ああそれなのに。。。、こともあろうに美智子さんが書いた詩を基に作曲して、自分の受け持ちのクラスの生徒に歌わせて、それをテープに吹き込んで美智子さんに贈ったという、ちょっと信じられないような事をしたのですよ。
それで美智子さんは受け取ったのですか?
それが、受け取ってテープを聴いたようなのです。
どうして、そのような事がデンマンさんに判るのですか?
あのねぇ〜、美智子さんの自筆の手紙ではないけれど、多分、宮内省から派遣されている秘書の方だと思うのですよ。 その人が丁寧にお礼の手紙を書いて僕のオヤジに送ってよこした。 その手紙が僕の実家の床の間に飾られて“これを家宝にするんだ”とオヤジがマジで得意になっていましたよ。
マジで。。。?
小百合さんも信じられないでしょう!? でもねぇ、本当なのですよ。 多分、今でも床の間に飾られてると思います。 今度、小百合さんが行田に来た時には僕が見せますよ。
でも、デンマンさんのお父さんは小学校だけしか出てないのでしょう?
そうですよ。 独学で小学校の教員免許を取った人なのです。
。。。で、音楽も独学だったのですか?
そうなのですよ。 音楽の先生になり手がないので、音楽を取ると先生になり易かった、というような話を直接オヤジから聞いたような覚えがありますよ。
ピアノはどうしたのですか?
先生の免許を取る前に、オヤジは僕の母校でもある行田市立中央小学校の給仕をしていた。 だから講堂にあるピアノを使って独学したのですよ。 そのピアノは僕が小学校に上がった時にもありました。 しかも家に帰ってくると、印刷された鍵盤を畳の上に広げて練習していたそうです。 先生になってからも。。。僕が生まれてからも、家ではよくその印刷された鍵盤の長い紙を広げて練習していました。 僕が2歳か3歳の頃、親父の真似をしてその紙を持ち出しては、同じように指を動かしていたと、お袋が面白そうに話していましたよ。
でも、音が出ないでしょう?
もちろんですよ。 要するに、指の運び方を鍵盤が印刷された長い紙の上で練習していたのですよ。
作曲まで独学ですか?
あとで親父に尋ねたら作曲は、ある先生に師事して勉強したと言ってましたよ。 その作曲家の名前までは思い出せませんが。。。
でも、どうして美智子ファンになったのですか?
あのねぇ〜、親父にとって皇室は悪いイメージだったに違いない。 昭和天皇のために戦争しなければならなかった。 死ぬ目にあったのですよう。 小学校の先生になったけれど、赤紙で召集されて満州に飛ばされましたからね。。。、それから沖縄に転戦したのです。
あの激戦地にですか。。。? よく生きていましたわね?
沖縄本島ではなく宮古島に駐屯させられたので助かったと言ってましたよ。 その時、オヤジが戦死していれば、当然、戦後に僕は生まれなかったのですよ。 宮古島では食料が無くてカタツムリを食べて生き抜いたと言ってましたね。 それだけ苦労させられたのに皇室に対して好感を持っていられたのは、やっぱり民間人の美智子さんが皇室に入ったということが大きな理由なのだと僕には思えましたね。 美智子さんの実家は小百合さんが生まれ育った館林。。。行田とは目と鼻の先ですよ。
そう言われてみるとデンマンさんにも、お父さんの血が流れているのが良く分かりましたわ。
ほおォ〜。。。また、どうして。。。?
デンマンさんも独学でピアノを習って意中の人・恵美子さんの前で「乙女の祈り」を弾いて聞かせたと言っていたじゃありませんか!?
あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?
いやですわ。。。次の記事の中でデンマンさんは自慢そうに書いていたではありませんか!
■『クラシック興味ある?』
(2006年6月13日)
【卑弥子の独り言】
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/himiko22b.gif)
ですってぇ〜。。。
デンマンさんの“オーラ”のお話は、ちょっと考えさせられますわ。
確かに、ありますわよねぇ。
グループの中で、どう言う訳か注目される人が居るのですわよ。
実を言うと、あたくしは飛びっきりの美人ではござ〜♪〜ません。
でも、これでも、あたくしは、結構注目されるのですわ。
ええっ。。。十二単を着てるからだろうってぇ〜?
いやですわ。
あたくしが十二単を着ているのは記事の中だけですわ。
こんな格好で大学で講義できるはずもないのです。
でもねぇ、注目されても、ありがた迷惑なのがレストランへお友達と行った時なのですわよ。
どう言う訳かお店の人にあたくしは大切にされて、
お勘定の時に、ついついあたくしが払う羽目になってしまうのですわ。 んもおお〜〜!
。。。で、そのあとで喫茶店へ女の子ばかりで入ったりするでしょう。
すると、隣のテーブルの男の子のグループから代表の人があたくしに声をかけるのでござ〜♪〜ますわ。
そういう時ってぇうれしゅうございますう。
ところが、後で合コンになって、最後までカップルにならずに一人だけ残ってしまうのがあたくしなのですわ。
これってぇ、どう言う事なのでしょうか?
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。 うふふふふふ。。。
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/hand.gif)
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/surfin2.gif)
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
ためになる関連記事
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/linger65.gif)
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/house22.jpg)
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
![](http://www.fileden.com/files/2010/2/5/2750497/nagasaki8.jpg)
■『夢とロマンの横浜散歩』
■『愛とロマンの小包』
■『下つきだねって言われて…』
![](http://www.fileden.com/files/2010/2/5/2750497/hara16.jpg)
■『銀幕の愛』
![](http://members.lycos.co.uk/kato1720/images/eiffel15.jpg)
■『パリの空の下で』
■『夢の中華パン』
■『愛の進化論』
■『漫画家と平和(2011年3月6日)』
![](http://www.fileden.com/files/2010/2/5/2750497/swim10.jpg)
■『漫画家の壁(2011年3月10日)』
■『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
![](http://www.fileden.com/files/2010/2/5/2750497/swim16.jpg)
■『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』
■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』
(すぐ下のページへ続く)