悔恨の気おくれ (PART 2 OF 4)
うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ〜♪〜ますか?
卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?
確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ〜♪〜ませんわ。
そうですかぁ〜。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?
う〜♪〜ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。
なるほどねぇ〜。。。そういうものですかぁ〜。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。
“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ〜”
「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。
そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。
つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。
その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。
また、女性のお尻でござ〜♪〜ますか?
いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。
クレオパトラでござ〜♪〜ますか?
いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。
つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ〜♪〜ますわね?
そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。
デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ〜♪〜ますか?
大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。
どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ〜♪〜ますか?
この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?
もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ〜♪〜ますから、中国文学はイマイチでござ〜♪〜ますわ。おほほほほ。。。
長恨歌(ちょうごんか)
華清池は秦の時代(前221〜前207年)から続く温泉地で、唐代(618〜907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)
九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。
中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。
華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。
【解説】
長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。
【あらすじ】
漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。
その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。
反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。
太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。
【史実との相違】
時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。
【楊貴妃の美】
■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」
温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。
■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」
ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。
■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」
侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?
デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ〜♪〜ますか?
そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。
それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ〜♪〜ますか?
そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。
つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご〜♪〜く惹かれたのでござ〜♪〜ますか?
そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。
『あっちかち (2008年3月25日)』より
面白いユニークな先生がいたのですわね。 うふふふふ。。。でも、タイトルには「悔恨の気おくれ」と書いてありますけれど、いったい何が「悔恨の気おくれ」なのですか?
あのねぇ〜、実は熊谷高校に在学している時に、ほろ苦(にが)いような、後悔が未だに心の片隅に残っている思い出があるのですよ。
もしかして。。。デンマンさんも教室から外を眺めている時に素敵なお尻に目が留まったのですか?
まさか!。。。素敵な尻とは関係ないのです。 確か1年生の時だと思いました。 このページの冒頭に現在の熊谷高校の正面玄関の写真を貼り出したけれど、僕が1年生の時にはまだ古い2階建ての校舎だったのですよ。 1年生時代の教室は大正時代に建てられたようなマジで古い校舎で、1階建てだったのです。 本館とは離れていて僕の居たホームルームの教室は一番西側にあった。 そこから本館の一番東側の脇玄関が見えたのです。
玄関が重要な意味があるのですか?
そうなのですよ。 休み時間だと思ったけれど、僕はぶらりと教室から出て本館の脇玄関が見えるところで日向(ひなた)ぼっこをしていた。
一人でですか?
他にクラスメートが居たという記憶がない。
それで。。。?
一人のお母さんが脇玄関の前で入ろうかどうしようかと迷っているのが目に入った。
その日は、父兄参観日でしたの?
いや。。。違いますよ。 なぜなら他に父兄は誰も居ないのですよ。 そのお母さん一人でした。 どうやら子供のことで先生に何か相談があるというような風情なのですよ。
でもどうして、そのお母さんの事が気になったのですか?
あのねぇ〜、かなり上品な和服を着ていた。 しかも、その姿には気品があった。 ちょうど原節子さんが和服を着ているような姿ですよ。
(すぐ下のページへ続く)