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女に冷たい女(PART 1 OF 3)

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女に冷たい女(PART 1 OF 3)
  





デンマンさん、上の写真のジューンさんが「女に冷たい女」だと言うのですか?



いや。。。違いますよ。 氷河を背景にジューンさんが写っているので上のタイトルの写真としてふさわしいと直感的に思って貼り付けたまでです。 ジューンさんは女に対しても男に対してもあったか〜い女です。

。。。で、「女に冷たい女」って、いったい誰のことですか?

次の小文を読んでみてください。


女に冷たい女性作家

歴史を書いて40年になるが、昔から非難されてきたことが一つある。 それは、私という作家は同性に対して冷淡で、女の立場になって書かないというのだ。...女の作家ともなれば同性を書くほうが商業的に有利であるというのは、出版界の常識であるらしい。 実際、そう主張する編集者の意見を容れて書いた最初の作品は『ルネッサンスの女たち』だから、女が女を書くのが私のデビュー作ではあったわけだ。 だが、商業的には有利であろうと、その路線は第一作のみで捨てた。

なにしろ、中世のイタリアも古代のローマも、男たちの時代なのである。 男の世界での女は所詮は脇役で、歴史の脇役を書きつづけているといずれはゴシップに落ちる。 処女作だけは女たちを書く理由を、歴史の脇役を通して時代を書く、ということに見つけて自分を納得させたが、それで以後もつづけるにはやはり限界があった。
というわけで二作目からは男に乗り換えたのだが、その理由は、男の時代だから男たちを通してそれを書く、ということに加えてもう一つ、あまり自慢にならない本音もあったのである。

それは、女の胸のうちを巧みに書くという評判の男性作家がいるんだから、男の思いに迫る女性作家がいたっていいんじゃない、というものだ。
とはいえ所詮は女の世界に興味がもてないというにすぎなく、一億円出すといわれても、女たちの間で繰り広げられる嫉妬や羨望やその他もろもろの感情について書くことだけは、私には無縁でありつづけるだろう。

作家は絶対に、書く対象に影響される。 対象に乗り移るくらいの想いで対さないかぎり、それを書ききることはできない。 私の場合は、自分自身が女なのに、わざわざ他の女に乗り移るほどの情熱を感じないということなのかもしれない。 また、男たちは業績で評価している以上、女に対してもそれと同じ基準で評価したい、というのが私の考え方でもある。
というわけで私が下した評価が冷淡だったと非難された歴史上の女たちの中での典型が、クレオパトラだった。



(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



29 - 31ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




つまり、塩野七生さんが「女に冷たい女」だと言うのですか?



いや。。。僕が言っているのではなくて、塩野さんの読者や批評家の中に、そのように言っている人が居るということですよ。 それに対して塩野さんが弁解のために書いたのが上のエッセーですよ。

それで、デンマンさんは、どう思っているのですか?

塩野さんは女に対しても男に対しても冷たい女ではないかと僕は思っているのですよ。 うへへへへへへ。。。。

このような時に笑っている場合ではないでしょう!? どうして男性にも冷たいと思うのですか?

いや。。。僕がそう思っているというよりも次の小文を読むと、そう思いたくなるのですよ。


叩かれる塩野七生



塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。 塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。いくら叩かれても全然めげないから叩く側はよけい憎悪を募らせていたんだろうけど。なんかこういうところは日本人の本当につまらない情けない部分だなと思う。

塩野によると、デビュー当時は哲学なら田中美知太郎、歴史学なら林健太郎、会田雄次といった大先生方に認められていて彼らがいる間は大丈夫だったのだが、80年代から90年代にかけて、その下の世代が学会に主流になったら大変だったのだという。『マキャベッリ全集』を出すので月報を書いてほしいと依頼が来て、OKを出したら訳者の学者たちが塩野が書くなら我々は書かないと言い出して、結局塩野が降りたのだという。

またNHKでウフィッツィを取り上げるときに案内役をしてくれと頼まれてこれも引き受けたら、ルネサンス関係の学者たちが塩野が案内役なら自分たちは以後協力しないと言い出したのだそうだ。あまりのケツの穴の小ささに腹を抱えて笑い飛ばしたくなる。(卑語失礼)

 (中略)

マルクス主義が影響力を持つ時代が終わってしまって、学者としてのアイデンティティが研究方法の次元で問われる時代に突入した。
結局、そのアイデンティティは研究のディテールに認めるほかなくなってしまった。だから、研究対象をなるべく細分化して、他の領域には手を出さないという、一言で言ってしまえば、タコツボ型がはびこったということだと思います。

これは、ルネサンスとかローマ史とか、つまり学者自身のイデオロギーがほとんど問われない分野においては全くその通りだと思う。
近現代史ではまだまだマルクス主義とは言わないまでもイデオロギー的な部分が幅を利かせているが、それ以前の歴史学では趣味オタクの世界に近づきつつある一面は否定できない。そうなるとオタクの特性であるディテールへの異常なこだわり、異分子への排他性などが悪い形で噴出し、実社会においてもてはやされる塩野七生など最も叩きごろの存在になるだろう。

もう一つ三浦の指摘で面白いと思ったのは、塩野が小林秀雄の影響を受けているといっていることだ。塩野自身は「?」という感じだが、小林が「歴史は神話である」、と言っているのを受けて塩野が「歴史は娯楽である」と言っている、と三浦は解釈しているわけだ。

 (中略)

塩野は確かにそういうふうに歴史と言うものを書いているから、逆に学者からすれば自分たちのやっていることの存在意義を脅かされるような、馬鹿にされているような感じがしてしまうのも分らなくはない。

しかし、その違いを制度としての学問にこだわるか、人間存在そのものを問うために学問を使うと言う立場に立つかの違いだとするならば、私はやはり後者の立場に立ちたい。その方が生きてて面白いと思うんだけどなあ。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)



出典: 『塩野七生が叩かれる理由』
    (2008年4月4日)

『イタリア夫人』に掲載
(2011年8月16日)




つまり、塩野七生さんが文学の方面や歴史学の方面の男性から叩かれているのは塩野さんが「男にも冷たい女」だからだとデンマンさんは断定なさるのですか?



いや。。。僕は断定していませんよ。 上の文章を書いたブロガーがそのように示唆している。 僕も上の文章を読んでからネットでいろいろと調べてみたのですよ。

何か確証になるようなものでも見つけたのですか?

見つけましたよ。 YouTubeに興味深いクリップがあったので、ここに貼り出します。 小百合さんもじっくりと観てください。

<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/sX6I-fJBwxw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



これを見ると分かるのだけれど、塩野さんにインタヴューしている男性の解説者が「今までインタヴューしたうちで最も緊張した」と言っているのですよ。 つまり、インタヴューした解説者は「塩野さんは男を身構えさせるだけの理論武装をしている」と言おうとしたと思うのですよ。 




塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。
塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。




要するに、インタビューした解説者も塩野さんが日本で文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれている人だと知っていたのだと思いますよ。



それで塩野さんにインタヴューする時に、解説者は今まで以上に緊張したとデンマンさんは思うのですか?

その通りです。

それで、デンマンさん自身は、どう思っているのですか?

あのねぇ〜、上の新潮文庫の宣伝写真の中に「歴史は所詮は人間だ」と書いてある。 まず間違いなく塩野さんも、そう考えて歴史を書いているのだと僕は信じている。 でもねぇ〜、塩野さんはそう考えているかもしれないけれど、僕には彼女が本の中で人間を書いているとは思えない。

人間を書いていないということは、塩野さんは歴史の本の中で何を書いているのですか?

実は、僕は以前、戦争と平和の記事の中で次のように書いていた。






みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。 ごぶじにおかえりになったでしょうか。 それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。 また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。 いまやっと戦争はおわりました、 二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。



1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。

こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。 何もありません。 ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

 (中略)

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。 (中略) しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。 日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分の言い分をとおそうとしないということをきめたのです。 なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。 また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。


ここでは、「日本はただしいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と述べられている。 つまり、当時は、第九条をはじめとする日本国憲法は、「日本の誇り」とされていたといっていい。 戦争に負けて、科学力でも経済力でもアメリカに勝てない国だけど、憲法だけは自慢できる、というふうに。

たとえば1947年5月3日に日本国憲法が施行されたとき、各新聞の社説はこんなふうに述べている。
「敗戦後の現在にあって、われら国民が自信を持って内外に示しうるものが果たしていくつあるか。 新憲法こそややもすれば目標を見失いがちな国民にはっきりと行先を教え、世界に偽りもひけめも感じることなしに示し得る最大のものであろう」(日本経済新聞)、「(第九条は)決して単なる“敗戦の結果”ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」(読売新聞)、「これからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理である」(毎日新聞)。 ざっとこんなぐあいだ。



107 - 110ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社

デンマン注:写真とイラストはデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。




これを読むと僕などは当然のことじゃないか! と思うのですよ。 でもねぇ、最近では自分の国を武装して自分の国を守ろうとしない日本人を「自虐史観に縛られている国民」だと考える人が増えてきているらしい。





要するに「自虐史観」に陥(おちい)ると陸軍も海軍も空軍も捨ててしまう。 それではいけないと言って、武器を取ってみんなで日本の国を守るんだという考え方をする人が増えていると言う訳ですよ。





あらっ。。。こういうポスターまで作って日本を再軍備しようとする人たちが居るのね?



そうなのですよ。 しかも戦争中の苦しみを知っている作家の中にも戦争放棄を考えない人もかなり居る。 例えば僕が「戦争の箱庭作家」と呼ぶ塩野七生さんは次のように書いている。



『地球の平和』より
(2011年8月9日)



 (すぐ下のページへ続く)



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