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女に冷たい女(PART 2 OF 3)

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女に冷たい女(PART 2 OF 3)



つまり、塩野さんは人間を書いていると言うけれど、実は「人間不在の歴史」を書いている、とデンマンさんは見ているのですか?



その通りですよ。 

“文は人なり”

昔の人はこのような事を言ったのですよ。 塩野さんの本を読むと個人的なエピソードはほとんど書いてない。 歴史の本を読んだり、歴史資料を読んだりして塩野さんのオツムの中で人間を書いている。 でも、現実の人間関係、つまり、血の通っている人間が塩野さんの歴史の中には、ほとんど感じられないのですよ。 だから、共感するものが少ない。

例えば、どのようなところですか?

ちょっと次の小文を読んでください。


クレオパトラは浅薄な女



クレオパトラは、世界史上の有名人である。 当代きっての権力者二人までも、モノにした女であるということで。 そのうえ、強大なローマ帝国に刃向かったということでも。
だが私には、勝負に打って出るという度胸に対してならば共感しても、それ以外では浅薄な女にしか見えなかった。

しかし、歴史に名を残した女たちの多くはバカな女である。 その理由は、記録を残すのが男たちであったからではないかとさえ思っている。
男は、女としては魅力豊かでもオツムの中は浅薄な女を書いているほうが、安心できるからではないだろうか。
キャリアウーマンを自認する女たちは覚えておいたほうがよい、これが人間性の現実なのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



34ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




この上の文章がどうだと言うのですか?



あのねぇ〜、“文は人なり”と書いたけれど、上の文章だけでなく、僕は塩野さんの他の本も5冊ほど読んでみた。 特に『日本人へ (国家と歴史篇)』を2度読んで感じたのは、塩野さんは離婚しているに違いないということだったのですよ。 なぜなら、「これが人間性の現実なのである」と書いている。 塩野さんは「女」や「男」にこだわっているけれど、「人間」を理解しているようには思えなかった。 本を読む限り結婚して子供が居るようだけれど離婚したとは書いてない。 それで、僕は『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみた。


塩野七生 (ななみ)

生誕 1937年7月7日
東京市滝野川区
出身校 学習院大学

日本の小説家である。
歴史小説 『ローマ人の物語』の著者として知られる。
名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。

東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905-84)、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。
日比谷高校時代は庄司薫、古井由吉らが同級生だった。
学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた。
1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが、後に保守派に転向している。
1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。
『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。
ローマ名誉市民を経てイタリア人医師と結婚(後に離婚)。
息子は、後に共著を書くアントニオ・シモーネ。イタリア永住権を得ており、ローマに在住。イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。
チェーザレ・ボルジアやネロ、ドミティアヌスのような血統と魅力、能力に恵まれた男性権力者、特にカエサルを支持しており、政治家としての理想像はカエサルであると公言している。

また、現代の政治家として(血統に恵まれてはいないが)トニー・ブレアを高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている。
ローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していた。

1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。
『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。

(注: 赤字はデンマンが強調)



出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




案の定、離婚しているのですよ。



つまり、離婚しているから塩野さんは「人間」を理解していないとデンマンさんは断定するのですか?

いや。。。そのような事を言うつもりはない。 ただ「人間」を深く理解していないことが離婚した一つの原因になったのだと僕には思えたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ〜、感性と共感の問題ですよ。 塩野さんは次のようにも書いていた。


二度と負け戦はしない



憲法では戦争をしないと宣言しています、なんてことも言って欲しくない。
一方的に宣言したくらいで実現するほど、世界は甘くないのである。
多くの国が集まって宣言しても実現にほど遠いのは、国連の実態を見ればわかる。 ここはもう、自国のことは自国で解決する、で行くしかない。 
また、多くの国が自国のことは自国で解決する気になれば、かえって国連の調整力もより良く発揮されるようになるだろう。

二度と負け戦はしない、という考えを実現に向かって進めるのは、思うほどは容易ではない。
もっとも容易なのは、戦争すると負けるかもしれないから初めからしない、という考え方だが、これもこちらがそう思っているだけで相手も同意してくれるとはかぎらないから有効度も低い。

また、自分で自分を守ろうとしないものを誰が助ける気になるか、という五百年昔のマキアヴェッリの言葉を思い出すまでもなく、日米安保条約に頼りきるのも不安である。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



221 - 222ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『地球の平和』に掲載
(2011年8月9日)




あのねぇ〜、僕は個人的には塩野さんに恨みだとか憎しみの感情は持っていないのですよ。 むしろ、彼女の出世作とも言える『ルネッサンスの女たち』はマジで楽しく読んだ記憶があります。



。。で、「二度と負け戦はしない」が問題なのですか?

そうですよ。 人生経験から起因する感性の違いだと思うのですよ。 こればかりは十人十色だからどうしようもない。

。。。で、デンマンさんの感性とは。。。?

次の小文を読んでみてください。


終戦時の悲話



アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。
おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。
物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。
おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。



1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。

「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。
作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。

「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。
「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。
杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。


私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」
といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。
伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。



…しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」

私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。

少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」
…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。 帰る途中で私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」
…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?


(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)



84 - 88ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月3日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社



『漫画家の壁』に掲載
(2011年3月10日)


 (すぐ下のページへ続く)

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