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ヌードと写真狩り(PART 1)
 
 

 
 


ケイトー。。。どうしてジューンさんのおばさんパンツ姿を貼り出したの?



あのねぇ〜、実は、ジューンさんはナチュリスト(Naturist)なのですよ。

あらっ。。。マジで。。。?

上の写真のオリジナルは一糸まとわぬ裸なのですよ。 その写真に僕がブラとパンツを穿かせたのですよ。

つまり、ケイトーもジューンさんのようにナチュリスト(Naturist)なの?

いや。。。僕は純粋なナチュリストではないけれど、ジューンさんと一緒にしばしばバンクーバーのWreck Beach(ヌードビーチ)に行きましたよう。

つまり、ジューンさんの裸が見たかったのね?

やだなあああァ〜、シルヴィーは、そのようにヤらしく考えてしまうの?

だってぇ、私はキリスト教にどっぷりと浸(つ)かっている敬虔な信者なのよ。。。公衆の面前で裸になるなんて退廃的な行為なのだわ。 キリスト教徒としては絶対に許すことができないのよ。

マジで。。。?

もちろんよ。。。ケイトーは知らなかったの?

いや。。。知ってましたよ。

知っていながらナチュリスト(Naturist)の話題を取り上げたの?

いや。。。別にシルヴィーをムカつかせるためにナチュリスト(Naturist)の話題を取り上げた訳ではないのですよ。

でも、こうして私をムカつかせているじゃない!?

あのねぇ〜、実は、シルヴィーも知っているように僕は『裸はいつから恥ずかしくなったか』という本を読んでいた。 その本の中に次のようなことが書いてあった。


パンツをはこうとしない女性たち



そもそも日本人は、現代で言うパンツをはく習慣はなかった。 ましてやブラジャーをや、である。 男性は褌、女性は腰巻である。 ...明治も過ぎて1919(大正8)年5月にお茶の水附属女学校が全生徒に下穿(したばき:ズロース)の着用を強制した記事が見える。 ...ただ、女学校を卒業した女生徒たちは、卒業すると90数パーセントは「ノーズロ」に戻ったという。 ...パンツが普及する要因のひとつに大災害があった。 たとえば1923(大正12)年に起こった関東大震災もそのひとつである。 ...1932(昭和7)年12月16日に東京日本橋の百貨店白木屋で起こった火災事故も、パンツ着用が常識化する過程の中で忘れられない事件である。 ...事故に巻き込まれた人々は帯や救助ロープを用いて、ビルの外壁伝いに脱出しようとした。 しかし、脱出する女性の出で立ちは和服が主体でパンツは着けていない。 ビルの下からは大勢の野次馬が見上げている。 着物の裾がまくれ上がれば、下半身が野次馬に丸見えである。 それを気にして裾の乱れを直そうとして墜落した女性が多数いたというのである。 そして、この事件がきっかけになって、下半身を隠すパンツは女性にとって不可欠だと考えられ、パンツをはく女性が増えたといわれる。

 (中略)

「彼女たちは、陰部の露出がはずかしくて、パンツをはきだしたのではない。 はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした。 陰部をかくすパンツが、それまでにないはずかしさを、学習させたのだ」。 そして、「性器を見られたときに感じるだろう羞恥心も、前よりふくらみだす」。 先の鴨居羊子氏は「局部を冒涜するような気がして恥ずかしがった」ため、世の女性はパンツをはくのをためらったと述べた。 

 (中略)

鑑賞の対象となる下着

女性たちが下着をつけることでより羞恥を感じるようになると、男女における性的興味の非対称性はますます進展することになる。 そしてそれは、女性の隠された裸体、すなわち「見るなの座敷」を覗きたいという気持ちをいたく刺激するばかりか、その座敷を隠す下着自体にも関心が高まる。

 (中略)

1930(昭和5)年に「エロ演芸取締規則」が設けられ、演劇や演芸における所作や服装などについて規制されるようになる。 この中に、「ヅロースはまた下2寸未満のもの及び肉色のものはこれを禁ず」というものがある。 さらに1932(昭和7)年には、浅草のレビュー劇場でダンサーのズロースが盗まれるという事件がおきて新聞沙汰になっている。 これも下着に対する興味が高まっていた証拠のひとつと言えよう。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)



206 - 217ページ
『裸はいつから恥ずかしくなったか』
著者: 中野明
2010年5月25日
発行所:株式会社 新潮社

『生パンツと床上手』に掲載
(2011年8月25日)




要するに、日本人の女性は昔パンツを穿こうとしなかったのでナチュリスト(Naturist)の傾向があるとケイトーは言いたいの?



そうなのですよ。

その根拠でもあるの?

あるのですよ。 ちょっと次の写真を見てください。





あらっ。。。混浴の場面じゃないの! こういうのってぇ退廃的なのよ。 だからアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんにケイトーの記事は写真狩りされるのよ!



シルヴィーもそう思う?。。。実はねぇ、この絵を描いたのはシルヴィーのようにキリスト教にどっぷりと浸(つ)かっていたドイツ人の画家だった。 ヴィルヘルム・ハイネ(Wilhelm Heine)という人で、ドイツのドレスデンで革命に参加したのだけれど失敗して1894年にアメリカに移住したのですよ。 アメリカで画才が認められてペリーの日本遠征に随行画家としてやって来た。 この絵を描いたのは今から150数年前の1854(安政元)年だと言われているのですよ。 「下田の公衆浴場」というタイトルがついている。 つまり、この当時の日本では混浴は日本全国で、ごく普通に見られたのです。

マジで。。。?

僕は真面目ですよ。 このような時にウソや「でまかせ」を書けませんよ。 これを目にした外国人の驚きが次のように書いてあった。


入浴に対する外国人の偏見

来日した外国人は、日本の混浴風景を目撃して驚嘆した。 その驚きがいかばかりだったかを知るには、当時の外国人、中でも西洋人の常識について理解しておくべきであろう。

まず、裸体に対する考え方である。 たとえば当時のイギリス人の場合、厳しい社会規範とお上品さをモットーとするヴィクトリア時代のまっただ中である。 この時代、裸体を人目にさらすなど非常識もはなはだしかった。 たとえば、「初めて見る新妻の恥毛に腰を抜かした」という男 ...が、この時代には存在したともいわれる。 ...そんな彼らが、裸体ばかりか男女が一緒に入浴する様子を目撃したのだから、驚かないはずがない。

加えてこの入浴というものに対する西洋人の考え方も、当時の日本とは全く異なっていた。 古くはヨーロッパでも頻繁にお湯につかっていた。 混浴も見られた。 ところが、中世の末期からペストが猛威をふるうと、「熱と水のために皮膚に裂け目が生じ、そこからペストが身体内に滑りこむ」という迷信がはびこる。 このためたくさんあった街の風呂屋は一気にすたれてしまう。 ...「18世紀のカトリック諸国では、たいていの女性が一度も入浴することもなく死んだ」という、信じられない指摘もある。 そうしてこうした偏見は、日本が幕末の頃にも根強く残っていた。 1897年になってもフランス女性は、一生に一度も風呂に入らなかったともいう。

(注: 赤字はデンマンが強調)



30 - 31ページ
『裸はいつから恥ずかしくなったか』
著者: 中野明
2010年5月25日
発行所:株式会社 新潮社




ちょっと信じられないわ。 私は敬虔なキリスト教徒のつもりだけれど、お風呂には少なくとも一週間に一度は入っているわよ。



でも、日本人と比べたら、それでも少ないよ。

どうして。。。?

日本では毎日風呂に入る人も多いよ。

マジで。。?

このような時にウソや「でまかせ」を言えませんよ。 僕だって毎朝シャワーを必ず浴びていますよ。

それで。。。ヌードと写真狩りが関係あるとケイトーは言うの?

もちろんですよ。 本の中では次のように書いてあった。


裸体と春画の関係

当時(1854年)の日本にとって裸体は、顔の延長のようなものであり、日常品化されていた。 そのためセックスとの結びつきが極めて緩(ゆる)やかであった。

 (中略)

現代の我々は裸体を見て性欲を覚える。 しかし、そもそも裸体が日常品化した社会では、裸体以外に性欲を喚起する要素が不可欠になる。 ...性交を描く場合、いずれが男女かを明確に示す必要がある。 ここにも性器を誇大表現した理由があるのではないか。 同様の理由で、春画の多くが全裸でないことにも注目すべきである。 着物を着せることで、男女の別をはっきりと明示できる。



 (中略)

さらに宮下氏は、「性愛は、裸体になるかどうかではなく、場面や状況によって生ずるものであった」と指摘する。 ...春画は宮下氏の言うまさにその場面や状況を描いたものと言えよう。 その場面や状況を強調したものがデフォルメされた性器や性行為、そして衣服や髪型であった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



110 - 112ページ
『裸はいつから恥ずかしくなったか』
著者: 中野明
2010年5月25日
発行所:株式会社 新潮社




上の文章を引用してケイトーは何が言いたいの?



あのねぇ〜、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人が写真狩りをしている理由に春画を取り締まろうと言う意図が見えている。

その根拠は。。。?

次の引用の中の「蛸と海女」のイラストがアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人によって写真狩りにあったのですよ。


とんかつの聖地へ



あともどりがきかない味がある。 いったん思い出すと困り果てる。 たとえば、とんかつ、焼き鳥、鮨。
この三つばかりはいったんスイッチがはいってしまうと代替えがきかず、軌道修正がむずかしい。
きょうはとんかつのスイッチがはいった。 いや、予感はあった。

 (中略)

空腹のとき電車に乗っていると、おなじような現象に襲われることがある。
(とんかつ、食べたい……)
三つ四つさきの駅に、好みのとんかつ屋がある。 その味が舌のうえに飛来する。 ぐーっと耐えたのち、辛抱たまらん。

電車が止まった瞬間に腰が浮き、開きかけたドアのあいだをすり抜けて息も荒くホームに降りたつ。

ひとまず動悸をしずめると、つぎつぎやってくる味の記憶。 まず喉の奥のほうに香ばしい匂い、はげしい熱、ちくちく舌を刺す感触。 喉の奥、舌のつけ根、まんなか、舌の先。 歯ぐき、歯の裏側。 いじわるに滲み広がっていき、ひたひた、ひたひた伝染してゆく。 こんがり金いろの衣。 ピンク色の肉。 揚げたてのふくよかな香り……

身をよじりながら責め苦に悦ぶわたしは、巨大な蛸に吸いつかれた北斎漫画の主人公だろうか。



とはいえ、そんな歓喜の渦に巻きこんでくれる味にはおいそれと出合えない。 だからこそ、掃除機片手に喉をかきむしったり、電車からホームに飛び出してみたりする。

 (中略)



「燕楽(えんらく)」のとんかつはラードで揚げる。 それも、内臓のまわり、腸間膜から抽出されたふわふわまっしろの新鮮なラード。 それを鍋いっぱいに溶かしてつくった揚げ油なのだ。
豚肉は山形の三元豚(さんげんぶた)の霜降り。 パン粉は、ホテル仕様の食パンでつくる生パン粉。卵は宮城県栗駒高原の自然卵……

いや、「燕楽」のとんかつにこんなうんちくなどかえって失礼というものだ。 たとえおなじ素材を使っていたとしても、この店のこの揚げかたでなければ、あの味になるはずもない。



カウンターの外から、一部始終を眺める。 ふわりと生パン粉をまぶされた厚い肉が、てらてら光って揺れるラード油のなけへ滑りこむ。 ずん、と爆(は)ぜる重い音。 しかし、あわてず低めの低温のなかでそのまんま。

触らずいじらず、こちらが心配するほど放置する。 3分は経ったろうか、ようやくひっくり返されたその片面は、うっすら優しげなきつね色に染まっている。



(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)



57 - 60ページ 『焼き餃子と名画座』
著者: 平松洋子
2009年10月13日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 アスペクト

『蛸と表現の自由』(AMEBLO)に掲載
『蛸と表現の自由』(Denman Blog)に掲載
(2011年7月29日)




しかし、この「蛸と海女」のイラストは決して春画ではない。



その根拠は。。。?

「春画は宮下氏の言うまさにその場面や状況を描いたもの」と言うことですよ。 上の文章の中に出てくる「蛸と海女」のイラストは決して性行為を強調しているものではない。 僕はちゃんとパンツを穿かせている。 しかも文脈から考えれば、トンカツの味わいにすっかり恍惚とした女を表現している。 その事がアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人には理解できない。 芸術と文芸を全く理解していない。 要するに、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は文字離れして国語の読解力が全く失われてしまっている。 マジで悲しいことですよ。 哀れむべきことです。

そうかしら。。。?

あのねぇ〜。。。しかも次のGOOGLEの画像検索結果を見てくださいよ。





分かるでしょう!?  「蛸と海女」に関する写真やイラストがこれだけネットで公開されている。



つまり、ネット市民の皆様が受け入れていると言うことォ〜?

その通りですよ。 上の画面の下の方に不快な画像や未公開にしたい画像を報告するリンクがあるのですよ。

赤枠で囲んであるリンクのこと?

その通りですよ。 要するに上の画面に表示されているたくさんの画像はネット市民の皆様に受け入れられていると言う何よりの証拠ですよ。 それなのに、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は独善的で、しかも身勝手な基準を設けて太平洋戦争中の大日本帝国政府のような時代錯誤の愚劣な言葉狩り・写真狩りをしている。 この愚かさに未だに気づかない。

マジで。。。?

あのねぇ〜、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の会員数は3百万人近く居るのですよ。 でもねぇ〜、実際に毎日ブログを更新しているのは 5%以下ですよ。

つまり、毎日更新している会員は15万人以下だとケイトーは言うのね?

そうですよ。

その証拠でもあるの?

ありますよ。 次の記事を読めば分かります。

 (すぐ下のページへ続く)



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