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ありがとうさん(PART 2)

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ありがとうさん(PART 2)





この人が論介(ノンゲ)さんですか?



そうです。 豊臣軍が「矗石楼」で祝宴の最中、論介(ノンゲ)さんもその祝宴の中に居た。 そこに俗に「加藤十六将」の一人とされる貴田孫兵衛(きだ まごべえ)という武将がいたのです。 鉄炮衆四十名を率いて従軍した。 孫兵衛の一族は、加藤家改易の後には細川藩士となっている。 この人は別名毛谷村六助の名で知られている人です。

有名な武将なのですか?

江戸時代の軍記本『豊臣鎮西軍記』に、貴田孫兵衛は前名を毛谷村六助といい、女の仇討ちを助太刀したという物語が載せられ、これが天明年間に人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』として上演されて流行した。 その後、歌舞伎の演目にもなり、大正時代には映画化もされた。

この孫兵衛さんとキーセンの論介(ノンゲ)さんが関係あるのですか?

あるのですよ。 この祝宴の席で酔った孫兵衛さんを「矗石楼」の外の岩場に連れ出し、孫兵衛さんを抱きかかえて、共に南江の川淵に身を投げたというのですよ。





復讐のためですか?



おそらく身内の者や知人が晋州城の戦いでたくさん殺されたのかもしれない。 詳しいことは書いてなかった。

でも、それは事実なのですか?

朱論介(チュ・ノンゲ)さんが加藤清正の家臣の武将を酒に酔わせて共に身を投げたというのは事実なのですよ。 その証拠に今でも朱論介(チュ・ノンゲ)を祀った「義妓祠」という祠(ほこら)が建っている。





この祠の奥に上の論介(ノンゲ)さんの絵が掛けられている。 でも、相手の武将は孫兵衛さんではない可能性がある。



どういうわけで。。。?

大分県中津市には貴田孫兵衛の前名である毛谷村六助の墓がある。 地元ではこの地で62歳で亡くなったと伝えられている。 つまり、人形浄瑠璃や歌舞伎で有名になったので、1960年代に韓国の論介(ノンゲ)伝説と結び付けられ、晋州城で殺されたことにされたのではないか!?と言われているのですよ。 しかも歌舞伎になっている「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」では、女ながらも武道の達人である吉岡家の娘お園が、許婚(いいなずけ)の毛谷村六助の助勢を得て父の敵・京極内匠(たくみ)を討つ物語になっている。 それに、六助のモデルは宮本武蔵、内匠は佐々木小次郎と言われている。

いろいろとごちゃ混ぜになっているのですわね?

そうなのですよ。 朱論介(チュ・ノンゲ)さんは実在の人物なのだけれど、そのお相手になった武将は現在では伝説の人物になっている。 歌舞伎の主人公の六助は英彦山の山里毛谷村に育ち、樵(きこり)の生活と信仰の中から剛力と武芸を豊前坊天狗から修得したというのです。 やがて加藤清正軍の武将として文禄の役に出陣し、晋州城の攻略に奮闘したが、戦勝の祝宴で妓生(キーセン)の論介(ノンゲ)さんが身を捨てて六助を掻き抱き、共に南江の川淵に沈んだことになっている。

でも、その身投げした場所ははっきりしているのですか?

はっきりしているのですよ。 今でも「矗石楼」の近くに「義岩」として残っているのです。





。。。で、デンマンさんは、その真相を突き止めるために急遽(きゅうきょ)、九州旅行から韓国旅行に切り替えたのですか?



そうなのですよ。





下関で新幹線から降りて、関釜フェリーで釜山へ行き、丸1日釜山の名所を観て回って、翌日、フェリーで普州へ行ったのですよ。



それにしても、予定も何も無しでよく韓国へ出かける気になりますね。

あのねぇ〜、僕は人生の半分以上を海外で暮らしているのですよ。 カナダから比べれば、韓国は隣町のようなものですよ。 それに僕の祖先も小百合さんの祖先も百済からやって来たのですからね。 ふるさとを訪ねるようなものです。

。。。で、普州はどのような町なのですか?





小さな町だと思っていたけれど、結構、都会なのですよ。 驚いたのは日本語を流暢に話す人とたくさん出会いました。 考えてみたら戦前、小学生だった人は学校では日本語で教えていましたからね、昭和一桁生まれの韓国人たちは日本語がぺらぺらなのですよ。



それで朱論介(チュ・ノンゲ)さんの事をその人たちに尋ねたのですか?

そうです。 普州市の人は誰でも論介(ノンゲ)さんの事を知っていました。 とにかく「義妓祠」という立派な祠(ほこら)まで建っていて、その中には論介(ノンゲ)さんの絵までが祀(まつ)られているのだから、市民で知らない人が居ないのもうなずけましたよ。

。。。で、真相は判ったのですか?

出会った人に尋ねても論介(ノンゲ)さんの事を知っていても相手の武将の事まで詳しく知っている人は誰も居なかった。 詳しい人でも豊臣秀吉と加藤清正ぐらいしか知らない。 相手の武将は加藤清正だと言った人も居て、まるで真相究明にはなりませんでしたよ。 (爆笑)

それはそうと、デンマンさんの体験と言うのはどのようなものなのですか?

あのねぇ〜、釜山に帰るのにまたフェリーではつまらないので帰りは乗り合いバスに乗ったのですよ。

そのバスが映画に出てくる伊豆の山道を走るようなクラシック・バスだったのですか?

いや。。。道路もバスも現在の日本のものとほぼ変わらなかったですよ。 高速道路を走りながらバスの中から見る風景も広島県や山口県を新幹線の車窓から見た風景とそれほど変わっていたわけじゃない。

。。。で、何が変わっていたのですか?

あのねぇ〜、僕は一番後ろの窓際の席に座ったのですよ。 釜山までの長距離高速バスで田舎のおばさんやおじさんたちが乗っていて、8割がた座席が詰まっていた。 最後部の席には僕を含めて3人。 その真ん中に年恰好は、ちょうど映画に出てくる身売りされる娘の母親と同じぐらいのおばさんが乗っていたのですよ。 

着物を着ていたのですか?

いや。。。もちろん日本の着物などは着ていませんでしたよ。 チマチョゴリでもなかった。 日本の田舎で見かけるおばさんと変わらないような服装をしていましたよ。 もんぺのようなスラックスをはいてセーターを着ていた。

それで何があったのですか?

喉が渇いたのか袋を取り出して、おばさんはみかんを食べ始めた。 僕は別に物欲しそうに見ていたわけじゃないけれど、袋いっぱいにみかんが詰まっていた。 「喉が渇いたでしょう? あなたもお一ついかがですか?」 こう言って僕にみかんをくれたのですよ。 反対側の窓際に座っていたおばあさんにも一つあげましたよ。

日本語で話しかけてきたのですか?

もちろん韓国語ですよ。 僕はちょっと疲れていたので、そのおばさんとは始発のバス停から一言も言葉を交わしていなかった。

デンマンさんは韓流ブームで韓国語も勉強したのですか?

いや。。。僕は韓流ブームとは無縁ですよ。 でも日常会話ぐらいならば、何とか話せます。

それでデンマンさんは論介(ノンゲ)さんの事も尋ねたのですか?

いや。。。どうせ尋ねても加藤清正ぐらいしか出てこないと思ったから、僕はカナダに住んでいて日本のふるさとに帰省して、九州旅行に行くつもりが論介(ノンゲ)さんの事を知り、「義妓祠」にお参りに来たと話したのですよ。 そしたら、「わざわざカナダからやって来たのですか?」と、感激されましたよ。

マジで。。。?

だから、新幹線の中で歴史の本を読んでいて論介(ノンゲ)さんの事を知ったので、カナダからわざわざ出かけてきたのではないと念を押しましたけどね。。。(微笑) そうしたら、そのおばさんは日本語で話し始めたのですよ。 ぺらぺらですよ。 日本人と変わらない日本語を話すのですよ。 その人も昭和一桁生まれでした。

面白い話でも聞けたのですか?

聞けましたよ。 そのおばさんが小学生の頃は、もちろん学校では日本語だけだけれど。。。日本人と話す時には論介(ノンゲ)さんの話は禁物だと言ってました。。。で、僕の先祖は「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐と新羅の連合軍と戦い、百済が負けてしまったので九州に落ちのび、それから奈良に行き、挙句の果てに現在、東京がある関東地方まで下って、そこに落ち着いたのですよ、と話したらビックリしていましたよ。



『デンマンの祖先は百済からやって来た』

(2010年8月4日)



デンマンさんは、また上のお話を普州のおばさんにしたのですか?



いけませんか?

だってぇ、根拠があやふやじゃありませんか!?

でもねぇ〜、根も葉もない出鱈目(でたらめ)ではないのですよ。 ちゃんと海外飛躍遺伝子というものを小百合さんも僕もDNAに持っているのですよ。

それが根拠があやふやだと言うのですわ。

とにかく、おばさんは僕の話を聞いて2度ビックリしていましたよ。 「面白い話を聞かせていただきました。 喉が渇いたでしょうから今一つどうぞ。。。」ともう一つみかんをいただきましたよ。 (微笑)

でも「有りがたうさん」という映画から、どうして韓国の論介(ノンゲ)さんの話になるのですか?

あのねぇ〜、この映画の中にも白いチョゴリを着た、きれいな韓国の娘さんが出てくるのですよ。 たぶん、そのグループは朝鮮から徴用で日本へ連れてこられたのでしょうね。 伊豆の道路工事に従事させられ、お父さんが病気で亡くなり、これから他の工事現場に行くという事を、休憩中の運転手の“有りがとうさん”に話すのですよ。 「私は他の工事現場に行って、父はすぐそこのお墓に残してゆくけれど、たまには父のためにお花を供(そな)えてあげてくださいね」 朝鮮人の娘さんは“ありがとうさん”にそう言うのですよ。

。。。で、“ありがとうさん”は娘さんの願いを聞いてあげるのですか?

上原謙が扮する運転手さんは“ありがとうさん”と呼ばれるほどだから、村人たちの人気者で心の優しい人なのですよ。 それで、娘さんの願いを聞いてやるのです。

つまり、現在の日本で忘れられている義理人情のお話が映画の中にたくさん出てくると言いたいのですか?

その通りですよ。 小百合さんもレンタルショップで探してDVDを観てみるといいですよ。

そのうち時間ができたら探してみますわ。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜
なんだか、あたくしも『有りがたうさん』を観てみたくなりましたわ。
あなたも、お近くのレンタルショップでDVDを探してみてはいかがでござ〜♪〜ましょうか?

デンマンさんの祖先が百済からやって来たというお話は眉唾物(まゆつばもの)ですけれど、面白いからぜひ次のリンクをクリックして読んでみてくださいまし。

『デンマンの祖先は百済からやって来た』

次回も面白い話題が続きそうでござ〜♪〜ますう。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちは。ジューンです。

旅は道ずれ世は情け

日本にはこのような諺がありますわね。

でも、最近の日本では危険が多すぎて

どこの馬の骨とも判らない人物とは

道ずれにはならないような雰囲気があります。

そうでしょう? うふふふふ。。。

英語にも、これにあたる諺がありますよ。

どのように言うか考えてみた事がありますか?

文字通りに英訳すれば次のようになります。

just as it is reassuring

to have a companion when traveling,

it is important for us

to care for each other

as we pass through this life.

もっと短く諺らしく言えば次のようになります。



No road is long

with good company.

あなたも、時には旅に出て

普段会えないような人たちと触れ合って

人の輪を広げてくださいね。

世界の平和と幸福のためにも。。。



ところで、デンマンさんと卑弥子さんが

宮城県鬼首(おにこうべ)温泉郷にある

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じゃあね。





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