愛と死のオーラ(PART 2 OF 3)
ヒトミには人のオーラが見えた。 ... ある日、むこうから歩いてくるおじさんを見てヒトミが、ああ、きれいだなあ、いいなあ、といったのだ。
えっ? となんのことかわからずぼくは聞き直した.
おじさんはたぶん50歳と60歳のあいだ、小柄で禿げかかって猫背でみすぼらしい格好をしてサンダル履きで歩いていた。
まるで「きれい」ではないが、表情はおだやかだった。
あの人はいい色、とヒトミはいった。
内側が黄色で縁がはっきりしたオレンジ色になってとげとげが元気に動いている。 すごく明るくて力がある。
ぼくとマオリはぽかんとして聞いていた。
するとヒトミが説明してくれた。
人間にはみんな色があるんだよ。 わたしには見える。
聞くとヒトミは子供のころからずっとそれが見えていて、それをあたりまえのことだと思っていたのだが、幼稚園の年長組のときにどうやら他の人たちにはそれが見えていないということに気づいてひどく驚いた。
一年生のとき、ある近所のおばあさんの色が大変に悪いので夕食のとき両親にそう告げると、両親は奇妙な顔をして、どんな色?とたずねた。
濃い緑灰色、皮蛋(ピータン)みたいな色、ただしぜんぜんつやつやしてなくて、いかにも病気の色。
おばあさんはその二日後に亡くなった。
直前までぴんぴんしていたので周囲の人は驚いた。
そのとき母親があまりに騒いで来る人ごとにその話をしたので、ヒトミは気まずく思い、見える色について誰にもいわなくなった。
それからはじめて、いま、マオリとぼくにその秘密を教えてくれたのだった。
(赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています。
写真はデンマンライブラリーより)
169 - 171ページ 『ホノルル、ブラジル』
著者: 管 啓次郎
2007年2月15日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 インスクリプト
僕はオーラを匂いとして感じるのですよ。
それは昨日デンマンさんが話しましたわ。
あのねぇ〜、愛と死のオーラを感じたのは、何を隠そう叔母に対してなのですよ。
あらっ。。。メールに出てくるデンマンさんの叔母様にですか?
そうなのですよ。
映画『禁じられた遊び』の
メインテーマ曲「愛のロマンス」を
僕がギターで弾いて、
初めて聴いてくれたのが叔母でした。
今夜(2008年7月19日)は、午後10時に、珍しい事に鴻巣市に住む叔母から電話がかかってきました。
半年振りでした。
この叔母は僕のお袋の一番下の妹で、僕よりも6歳年上です。
親戚中で僕とは最も気の合う人物です。
その叔母も暑いと言ってましたよう。
35度と言ったのかな?
なぜか35度と言う数字がオツムに残っています。
零時10分まで、つまり、2時間10分話し込みました。
現在は行田市に編入されましたが
南河原村と言うのが僕の母親の実家があったところです。
もちろん、現在でも、同じところにあります。
お袋が僕を産んで1年した頃、僕を連れて実家へ帰ると、
7歳の叔母がどうしても僕を“おんぶ”したいと言ったのだそうです。
お袋も、仕方なく“おんぶ”させたとか。。。
近所の人に見せたいと。。。
赤ん坊なのに“わかいし(若者)”のような顔をしている、と近所の人が言ったそうです。
そのような話をしていました。
もちろん、僕には記憶の無いことです。
行田女子高校に入学して初めて僕の家に来たときには、
僕を自転車の後ろに乗せて本町通りの川島本屋まで連れてゆきました。
そこで、スーパーマンか何かの消しゴムのついた鉛筆を買ってくれました。
叔母が16歳のときですから、僕は10歳。4年生ですよね。
まてよう。。。
違いますね。
僕は小学校に上がるか上がらない年頃でしたよう。
だったら、6つか7つの頃のはずです。
第一、小学校4年生ならば、スーパーマンの形の消しゴムがついている鉛筆などもらっても、うれしくも何とも無いはず。
それなのに覚えていると言うことは、小学校1年生の頃の事に違いないですよう。
だとすると、叔母は中学1年生ですよう。
セーラー服を着ていたから、まず間違いありません。
自転車に乗って僕の家まで遊びに来たのでしょう!
とにかく、この叔母とは、それ以来よく出かけました。
日光に行ったり、上高地に行ったり。。。
そう言えば帝国ホテルで食事した事もありました。
よく喫茶店にも一緒に出かけましたよう。
もちろん、バンクーバーにもやって来ました。
大学生の頃は、とりわけ叔母と良く出かけました。
叔母はちょうど結婚前で、結婚する前に思いっきり羽を伸ばしておこうと言うつもりだったのでしょうね。
知らない人が見れば、僕と叔母は、まさに恋人同士のように見えたでしょうね。
叔母にしてみれば、安心して連れて行ける“ボーイフレンド”だったのでしょう。
ずいぶんとおごってもらいました。
ある時、今でも忘れませんが、熊谷の駅の近くの“田園”と言う喫茶店に入りました。
その夜、テレビでアランドロンの主演する映画「太陽の季節」(もしかすると「太陽がいっぱい」)をぜひ見たいと言っていたのですよう。
叔母はアランドロンの熱烈なファンでした。
ところが、どう言う訳か、時間に間に合わなかった。
後で、僕のせいにされてしまったのですよう。
それ程見たければ、“これからテレビで映画を見なければならないから、もう出ようね。”
そう言えば良かったじゃないか!
なぜか、この時の事を何度も聞かされたものです。
どうして、僕が責められるのか、未だに訳が分かりませんが。。。
僕のせいじゃないよう!
電話の声を聞く限り、喫茶店“田園”で話した頃と全く変わっていません。
その声には、今でも夢とロマンを感じます。
2時間10分。
20年以上時計がタイムスリップして
熊谷駅の近くの喫茶店“田園”でダベッた2時間10分でした。
『夢とロマンの軽井沢』より
(2008年7月19日)
『杜の都のギター』にも掲載
(2009年3月14日)
デンマンさんが、この叔母様に感じた「愛と死のオーラ」ってどのようなものなのですか?
叔母は、もちろん、現在でも生きているから「死のオーラ」ではなく、「愛のオーラ」を感じたのですよ。
あらっ。。。デンマンさん。。。叔母様に感じる「愛のオーラ」ってぇ。。。、もしかして、それってぇ、危険な近親相姦のオーラになってしまうではありませんか!
やだなあああァ〜。。。、小百合さんとも思えないような事を言わないでくださいよ! それは飛躍しすぎた考えですよ。
だってぇ〜、これを読んでいる人だって、そのようにかんぐってしまう人も居ると思いますわ。
10人10色で死すからねぇ、そう考える人も居るでしょう。 でもねぇ〜、アランドロン主演のフランス映画『太陽がいっぱい』まで持ち出してきたのですよ。 格調高いのですよ。 近親相姦のオーラになるはずがないじゃありませんか!
でも、『禁じられた遊び』が出てきましたわ。 うふふふふふ。。。
やだなあああァ〜、小百合さん。。。! 笑い事じゃありませんよ。 ヤ〜らしく考えないでくださいよ。
冗談ですわよ。 (微笑)
こう言う時にヤ〜らしい冗談を言わないでくださいよう。
それで、匂いで感じた「愛のオーラ」ってぇ、いったいどのようなものだったのですか?
あのねぇ〜、僕は叔母とJR熊谷駅の近くにあった『田園』という喫茶店で初めてコーヒーを飲んだのですよ。
マジで。。。? 生まれて初めてですか?
紅茶は小学校3年生の時に同級生の小野田君の家で初めて飲んだのだけれど、コーヒーは叔母と一緒に行った『田園』で飲んだのが初めてだった。
そのような事はありませんわよ。 中学生の時か高校生の時に飲んでいますわよ。 デンマンさんの記憶に残っていないだけですわ。
だから。。。『田園』で飲んだコーヒー・モカの香りが、それ程までに「愛のオーラ」として僕の記憶に焼きついてしまったのですよ。
でも、コーヒー・モカの香りは叔母様から出ているオーラではなくて、コーヒーから出ているオーラでしょう?
あのねぇ〜、そのように言ってしまったら身も蓋(ふた)もないじゃありませんか! 「愛」というものを叔母から感じる時。。。そのような時には不思議とモカの香りを感じるのですよ。 たとえば、叔母と待ち合わせて、目が合った時に叔母がニコリと微笑む。。。そのような時に叔母の表情から、その体全体から、なんとも言えないモカの香りがにおいたつ。。。分かりますか?。。。その香りはコーヒーが無くても僕は感じるのですよ。
分かりましたわ。。。で、「死のオーラ」というのは、どのような匂いなのですか?
あのねぇ〜、これも叔母に感じたのですよ。
でも、叔母様は現在も生きているのでしょう?
もちろんですよ。 僕よりも6歳年上なだけですからね。 「死のオーラ」を感じた叔母というのは、僕のお袋のすぐ下の叔母ですよ。 つる叔母さんというのですよ。 つる叔母さんのすぐ下に年子のかめ叔母さんが居るのですよ。 この二人のおばさんたち「つる・かめ叔母さん」は年子だということもあって、二人は仲が良かった。 僕が実家に帰省する時には、たいてい二人一緒にやって来たものですよ。
つる叔母様は亡くなられたのですか?
そうなのですよ。 今から7,8年前です。 つる叔母さんという人は陽気で気さくで面白い叔母さんなのですよ。 その人が入院した。
どのような病気で。。。?
その時は病名を誰も言いませんでしたよ。 多分、ほとんどの見舞い客は知らなかったのでしょう。 でも、あとで亡くなってから知ったのだけれど、すい臓癌でしたよ。 僕がバンクーバーへ戻る予定の4,5日前でした。 だから、お袋と二人で従弟の次郎さんの運転する車で熊谷市にある病院にすぐに見舞いに行ったのです。 病室に寝ていたつる叔母さんは、男ならば次のような状態でした。
あらっ。。。つる叔母様は男であれば、このような陽気で面白い人なのですか?
そうなのですよ。 人に好かれるタイプだから、示し合わせて行ったわけではないのだけれど、僕とお袋の他にも5人ばかり親類の人たちがやって来ていた。 従弟を含めると、総勢8人の見舞い客が病室に居た。 だから一人部屋の病室は、まるでパーティーの会場のように明るく朗らかな雰囲気だったのですよ。
僕を見ると、つる叔母さんは「こんな格好でベッドに寝ていて申し訳ないわね」と言うように申し訳なさそうな表情を浮かべたけれど、見舞い客はまるでパーティーを楽しむように陽気に明るくペチャクチャと話し合っているのですよ。 もちろん、その中には、つる叔母さんと仲の良い、かめ叔母さんも居ました。 病人を元気付けるためとはいえ、その陽気さは僕には異常に見えた。
。。。で、その時にデンマンさんは、つる叔母様に「死のオーラ」を匂いで感じたのですか?
そうなのですよ。 その匂いを説明するのは難しい。 でも、僕は「死のオーラ」を直感しましたよ。 鼻の奥にツーンと来るものがあった。 それは「死の匂い」としか言いようのないものですよ。
ムンクのあの有名な"Scream"という絵があるけれど、僕はマジでこのような思いに駆られた。 "Oh my God! She's gonna die!" 僕は思わずそう叫ぼうとした。 でも声を出すのはみっともないので必死にこらえた。 だけど、叔母を見つめながら涙が溢れ出してきた。 もうどうしようもないくらい涙が溢れてきて、僕は思わずその場にしゃがむと顔をベッドカバーに埋めたのですよ。 涙が止めようも無い! 声を必死に抑えたけれど、おそらく誰が見ても僕の様子は異状だったかもしれない。
「あらっ。。。デンマンさんは何年かぶりで、
つるさんに会ったもんだから、
嬉し涙にむせんでいるじゃない!」
そばに居た、かめ叔母さんは、その場を取り繕うように、そう言って皆を笑わせようとしたのですよ。 そう長い時間ではなかったかもしれないけれど、僕はしばらく顔を上げることができなかった。 でも、ようやく涙が収まったので、顔を上げると、僕のお袋などはケロッとしている。 白けている! 僕のその悲しみは無視されているのですよ。
他の親戚の方は、つる叔母様が亡くなることを感じなかったのでしょうか?
あのねぇ〜、そこが日本人の本音と建前ですよ。 おそらく誰もが、つる叔母さんの死期が近いことを悟っていたのだろうと僕は思うのですよ。 でもねぇ、見舞いに行ったのだから病人を元気付けるのが日本人としての心構えで、僕のように素直に悲しみを表現するなんて、やってはならないことなのですよ。 黙ってはいても、僕のお袋の目は僕にそう言っていましたよ。 でもねぇ、つる叔母さんの夫の妹さんだけは僕の様子を見て感じるものがあったと見え、見舞い客の中では一人だけ僕の様子に共感して目を真っ赤にしていましたよ。
それで、つる叔母様はいつ亡くなられたのですか?
僕がバンクーバーに戻ってから4日目に亡くなったそうです。 つまり、僕が見舞いに行ってから約1週間後ですよ。
その「死のオーラ」、つまり「死の匂い」と言うのは説明できないものなのですか?
鼻の奥にツーンと来るものですからね。。。匂いと言うよりも刺激なのですよ。。。ちょっと言葉では十分に説明しきれないものですよ。
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