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心のクオリア(PART 1)

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心のクオリア(PART 1)




脳科学者・茂木健一郎は

NHKの番組を降板すべきではないか

「仕事に追われて」は理由にならない



たまげた人が多かったはずだ。
脳科学者の茂木健一郎(47)が、東京国税局に約4億円の申告漏れを指摘された件だ。

茂木の一般的なイメージは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で見せる柔和な笑顔か。
NHKで知名度が全国区となり、最近は「世界一受けたい授業」(日テレ)などバラエティーの出演も増えている。


「茂木のギャラはNHKで1本50万円前後です。
民放はゲスト出演で15万円以上、ゴールデンなら50万円程度。
テレビだけで年間5000万円以上稼いでいる計算です」

(マスコミ関係者)


NHKの売れっ子は講演会でも引っ張りダコ。
ある講演会運営会社によると、昨年の茂木のギャラは1回あたり約90分の講演で90万円。
月3回なら年間の稼ぎは3000万円以上になる。

驚くのはまだ早い。
最大の“ドル箱”は出版である。
2007年の「脳を活かす勉強法」、2008年の「脳を活かす仕事術」は、それぞれ100万部を突破し、茂木は2億円以上の印税を手にした計算だ。


「茂木の執筆ペースの速さは西村京太郎や赤川次郎らベストセラー作家も顔負けです。
共著を含めて今年6月、8月、9月にそれぞれ4冊出版しました」

(出版関係者)


勤務先のソニー関連会社の給与の他にこれだけ雑所得があれば、「確定申告しなきゃ」と焦るのが普通の感覚だろう。
しかし、茂木は「日々の仕事に追われて」4億円をほったらかしにしていた。
多忙なら税理士に税務処理を依頼すれば済む話で、このルーズさはどういうことか。

茂木は番組のHPで「深くお詫び申し上げます」としているが、手厳しい意見もある。
芸能評論家の肥留間正明氏がこう言う。


「茂木はNHKで番組を持ち、NHKの受信料の中で育てられた脳科学者で、今やタレントです。
“時間がない”なんて理由で、申告漏れが許されるわけがない。
そもそも納税は国民の義務。
時間があるないの問題ではない。
NHKは即刻、茂木を降板させるか、番組を打ち切るべきです」


脳科学者の頭の中をのぞいてみたいものだ。



出典: 日刊ゲンダイ (2009年11月12日)

『専門馬鹿にならないように』に掲載
(2009年11月24日)




デンマンさん。。。あんさんはどうして古い記事などを持ち出してきやはったん?



たまたまバンクーバー市立中央図書館の日本語の本棚を見ていたら茂木さんの本があったのやがなァ。

なんというタイトルやったのォ〜?

『脳で旅する 日本のクオリア』という題名やァ。

あんさんのことやから、もう読んだのですやろう?

そうやァ。

それで、あんさんはまた茂木さんを個人攻撃しやはるのォ〜?

めれちゃん!。。。人聞きの悪いことを言うたらあっか〜ん! わては茂木さんを個人攻撃するのとちゃうねん。

そやかて、上の日刊ゲンダイの記事は個人攻撃ですやん。

あのなァ〜、何度も言うようやけど、わてには座右の銘があるねん。


批判のないところに進歩なし。

愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり。


そやけど、個人を批判することは悪いこととちゃいますのォ〜?

あのなァ〜、人間は誰もが完璧ではあらへん。 失敗や過ちを犯すのが人間やないかいなァ。 人は神さんではないからなァ。

そやから、茂木さんを個人攻撃してもいいと、あんさんは言わはるのォ〜?

個人攻撃やないと言うてるやんかァ〜! わては批判の矛先を茂木さんに向けてるのとちゃうねん。 わてとめれちゃんと、それに、この記事を読んでいるネット市民の皆様に向けてるのやないかいなァ。 つまり、茂木さんと同じ過ちを、わてもするかもしれへん、 めれちゃんもするかも知れへん。。。、それに、この記事を読みはってるネット市民の皆様もするかも知れへん。 そやから、他人事ではないと、わては言うてるのやァ。

それで、あんさんは何が言いたいねん?

茂木さんはの本の中で次のように書いてるねん。


かつて、18世紀のフランスの哲学者ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーは、唯物論的な立場から、『人間機械論』という名の名著を出版した。
当時は物議を醸した論も、徐々にその当否を疑うことはできなくなった。
20世紀になり、相対性理論で私たちの世界観を革命したアインシュタインは、アルコールが脳に及ぼす作用を見れば、複雑とはいえ私たちも物質に過ぎないことは明らかであると論じた。



私たちの見る夢は有機分子の機械の夢であり、抱く哀しみは有機分子の機械の哀しみである。
人間がもし分子機械だとすれば、私たちの魂の問題は一体どうなるのか?
「いかに生きるか」、「他者に対してどう接すべきか」といった倫理問題の基礎はどこに求められるのか?
答えは容易にはわからない。

クオリアは、現在における人類の世界観に開いた穴である。
解決できなくても、問い続けるしかない。
深い謎に向き合うことで私たちの中で何かが触発される。
生命が動かされ、やがて開いてゆく。
私たちがクオリアに満ちた意識を持つ存在であるという事実が、未だ見知らぬ私たちの魂の故郷へと誘ってくれる。

 (中略)

時は過ぎ、還らない。
振り返ることすらできない「心理的現在」が、サヨウナラを言いながら私たちの魂に残していくかすかな痛みと甘美な残響。
それがクオリアである。

こんなことを書くと、もはや通常の科学主義の枠をはみ出してしまっていることはわかっている。
知ったことではない。
最近ベルクソンを読み返していて、近代合理主義の無反省な適用が、いかに私たちの魂の躍動を狭きに閉じこめているかということを改めて悟った。

日本のクオリアの妙(たえ)なる調べを知らなかった青年期の私は繭(まゆ)の中に入っていたのだろう。
突き破って飛び出してみたら、そこには古来綿々と続く母なるものが両手を広げて待っていた。

その大切な「母」を、凝り固まった文脈の中で風化させたくない。
それが私の現在の偽りのないありったけの思いである。



(赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)



13-14ページ、149ページ
『脳で旅する 日本のクオリア』
著者: 茂木健一郎
2009年7月13日 第1版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館




あんさんは上の部分を読みはって感動しやはったん?



ちゃうねん。。。上の本が出版されたのは2009年の7月やから、申告漏れ事件の直前に書いたのやがなァ。

だから、どうだと言わはるのォ〜?

茂木さんが本を書くのに忙しかった時期やろなァ。

それで、茂木さんは「仕事に追われて」申告するのを忘れやはったと、あんさんは思いはったん?

いや、ちゃうねん。 「仕事に追われて」いたからと言うのは言い訳にはならへん。 それは上の日刊ゲンダイの記事が言う通りやァ。 わてが『脳で旅する 日本のクオリア』を読んで感じたのは、この本も「仕事に追われて」書いたようで、読んでいて、わての心に直接響いてくるものがあらへん。 つまり、持って回ったような、言葉を手のひらに載せて弄(もてあそ)んでいるような、汗と埃と涙で書いたのではなく、手垢のついてない、衒学的で見てくれを意識して書いた奇麗事で始終した紀行文。 そういう印象をわての心に残したのやァ。

それは、あんさんが茂木さんが税金を申告しなかったという先入観を持って読んださかいに、そないに感じたのですやん。

ちゃうねん。 わては先入観に左右されて本を読むようなことはしやへん。 もしも、そうであるなら、端(はな)から馬鹿にして茂木さんの本など手に取らへん。

要するに、『脳で旅する 日本のクオリア』という本は「クリープの入らないコーヒーのようなものや」と、あんさんは言わはるのォ〜?


(creap2.jpg)





めれちゃんは、おもろい例えを持ち出してきよったなァ〜。 (微笑) そやけど、そのキャッチコピーはずいぶん古いでぇ〜。 それを言うなら、「ミルクの入らないカフェオレのようや」と言うて欲しいねん。



それで、あんさんの言うホンマもんのカフェオレのような紀行文とはどういうものやのォ〜?


(cafe901.jpg)



次のような文章やないかいなァ。



(tochigi80.jpg)


(tochigi82.gif)

ガイドブックによると、栃木市はなかなか風情のある町のようである。
よし行ってみよう。
上野駅から普通電車に乗車し、途中、小山で乗り換え、栃木駅に向かう。


(tochigi81.jpg)

電車の隣の席では、ふたりの女子高生が大きな声でしゃべっていた。

女子A 「ハウルの動く城ってさぁ、お婆さんになるけど、最終的には女の子になんのね。 でも髪の色は変わらないんだよね、グレー」
女子B 「えービミョー」
という会話。
女子Bの「ビミョー」がなんか可笑しくて、わたしも「ビミョー」って使ってみたくなってしまった。

 (中略)

塚田歴史伝説館には、人間そっくりの動きをするハイテクロボットが設置されているが、展示の構成は学園祭みたいでキッチュである。
三味線を弾くおばあさんのロボットがリアルでちょっと怖かった。
売店の人が、
「田楽おいしい店がありますよ」
と教えてくれたので、行ってみることにする。


(dengaku4.jpg)
油伝商店


(dengaku5.jpg)

油伝(あぶでん)味噌という、コクと甘味のある黒い味噌を使った田楽が食べられるというお店は、なんだか歴史がありそう。


(dengaku3.jpg)

店内は観光客らしき人たちで混んでいた。
おばあさんと、その娘さん(60歳くらい)という客と同じテーブルになり、おばあさんに「学生さん?」などと聞かれる。

ふたりは群馬県に住んでいるらしいのだが、ここの田楽が大好きでわざわざ食べにきたのだそう。
わたしはというと、改めてわかったけど、田楽というものがあまり好きではないかも。
甘い味噌がビミョーというか。
だけど、頼んだこんにゃく田楽は全部食べたし、田楽の中では、ここのはかなり美味しいんだと思う。


(dengaku2.jpg)

店を出て、ふたたび自転車で街をぶらぶらしていると、さきほどのおばあさんたちが車でわたしを追いこしながら「お元気でー!」と手を振ってくれた。
お元気で。
きっと、もう会うことはない。 少し切ない気持ちになる。



着いたのが夕方だったので、ぶらっと高崎駅周辺を散歩し、適当に惣菜を買ってホテルでテレビを見ながらの夕食。
楽しい。
店を探したり、かってのわからないところで緊張しながら食べるのが、最近ますます嫌になってきた。
旅先で何を食べたってわたしの勝手だもーん、と開き直りたいが、まだ「これでいいのか?」という思いもある。
わたしは普段から保守的な人間だと思う。
「いつも食べに行く店で、どんどん友達が増えちゃって!」
などというオープンな生活スタイルなど、絶対に考えられない。
知らない客同士がしゃべるなんて、想像しただけで疲れる……。
嫌。
うらやましくない。
いろんな人に会って、人脈を広げ、自分を高めるチャンスをつかむ。
わたしにもやればできるのだろうか?
なんか寿命が縮まりそうだなぁ。
チャンスと寿命だったら、やっぱり寿命のほうが大事だよなぁ。
などと、群馬県と関係ないことばかり書くなっつーの!

 (中略)

去年、栃木県にひとり旅したとき、田楽屋で相席になったおばあさんたちが、
「群馬県の館林のつつじは、とってもきれいですよ」
とわたしに一生懸命、説明してくれたのだ。
わたしは、ほんの社交辞令で、
「じゃあ、ぜひ見に行きます!」
と答えていたんだけど、本当に行ってみる気になった。
知らない客同士が店で話すのなんか嫌い、と書いたものの、去年の栃木旅行では、初対面のおばあさんたちとわたしはおしゃべりをしていた。
適当に愛想よくしておけばよいという気持ちだったのだが、わたしは、そのおばあさんたちとの約束を果たすため館林に向かう。


(tateba90.jpg)

高崎から両毛線で伊勢崎まで行き、乗り換えて館林へ。
つつじが岡公園のつつじは、きれいに咲いていた。
人が多くてゆっくり見られなかったけど、おばあさんたちとの約束を守ったと思うと、つつじは、もうどうでもよかった。

(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



130-132ページ、154-156ページ
『47都道府県女ひとりで行ってみよう』
著者: 益田ミリ
2008年6月25日第1刷発行
発行所: 幻冬舎

『味噌がビミョーな田楽』に掲載
(2012年1月19日)


 (すぐ下のページへ続く)



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