すはま(PART 1)
Subj:小百合さんの風邪が全快するように
バンクーバーの空からマリア様に
お願いいたしますよ。
Date: 19/12/2007 12:39:12 AM
Pacific Standard Time
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
少し 頭痛が残ってますが薬を飲むほどでなく
今日は母のところに行くつもりです。
健康第一ですよ。
無理しないようにね。
ヽ(´ー`)ノ
健全な心は
健全な体に宿る。
幸せを感じる心は
健全な体に宿る、ですからね。
日曜の納骨はとても遠いところでした。
朝はやく8時半に家をでて、実家の仏壇に父の遺骨を
迎えにいき、群馬の榛名山まで午後の供養に
間に合うよう連れて行きました。
榛名山ですか。。。
懐かしいですよ。
僕の親父がまだ生きていた頃だから、
(亡くなったのが1999年の1月でした。)
確か1998年の11月か1997年の11月でしたよ。
僕が運転して家族で水上へ行き
その帰りに榛名山までドライブしました。
榛名湖が凍っていて公魚釣り(わかさぎつり)をしている人がたくさん居ましたよ。
なぜ水上(みなかみ)だったのか?
今思い出したら、親父が小学校の校長先生をしていたので、退職後も共済会で安く泊まれる旅館が水上にあったのです。
その旅館を利用するために水上にしたのでした。
親父がビデオ撮影に凝っていて、
カメラを始終動かしていましたよ。
その時のビデオもあるはずです。
家族旅行のビデオを得意げに見せる愚か者が多いのですが、あれを面白がるのは写っている家族だけですよ。(微笑)
でも、いつか機会があったら小百合さんにも見せますよ。(爆笑)
うへへへへ。。。
\(@_@)/
その日はとても風が冷たく
屋根に雪の積もった車がずいぶん走ってました。
うん、うん、うん。。。
分かりますよ。
“赤城おろし”は寒いですからねぇ〜。
“榛名おろし”と言うのは、(なぜか?)聞いた事がないですが。。。
帰りの途中 前橋、伊勢崎は
ここ佐野市より大きな町で
子供の好きな本屋 おもちゃ屋 かわったレストラン(外見)があり、せっかく遠くまできたからあちこち寄り道して…
家につくと夜7時。
1日中私の運転でずーっと つかれて
帰り道 頭痛がはじまって風邪をぶり返しました。
そうですよ。
うちの家族も、ドライブインに寄って山菜そばやうどんを食べるのが何よりの楽しみでしたね。
あれは、前橋の近くだったか?
名物の“黒豚”のトンカツ屋を探しても見つからず、
前橋警察署まで聞きにいったのですよ。
(前橋だったか?はっきりと覚えていませんが。。。)
父はどんな風景を毎日をみていくのかな〜?
と思い、墓石のうしろにまわり正面をみました。
何もさまたげる物もなく180度いっぱい
大地と空だけでした。
大地なんておおげさで 普段使わない言葉です。
榛名山の裾のように広がる だだっ広い高原です。
子供達も「ここに納骨するの?」と寂しそうでした。
うん、うん、うん。。。
榛名山のあたりは、なぜか、寂しそうですよね。
群馬の寒々とした空風(からっかぜ)のイメージですよね。
父の好きだった、ビールや どらやき りんご 赤飯
手ずくりしたクッキー、すはま(ピンクのもち)を備えて
しばらく一緒に冷たい風の中にいたのです。
うん、うん、うん。。。
小百合さんは父親思いですねぇ〜
父と娘のほのぼのとした家族ドラマが思い浮かぶようですよ。
(#´ー`) フッ
ん。。。? “すはま”? 初めて聞きました。
ピンクと白のもちは、お供えなどで、よく僕の母の実家でも目にしますが。。。
私の祖母、祖父も先にはいってます。
父はやっと病気に開放されて、親の元に戻っていきました。
うん、うん、うん。。。
そうでしょう。。。そうでしょう!
一緒に仲良く眠っている事でしょう!
来春、暖かい日にお弁当でも持っていきます。
そうですよ。
亡くなってからでも親孝行は大切ですよね。
そう言う僕は墓参りなど全くしない新人類ですよ。うしししし。。。
でも、カナダの空の下から、いつも亡くなった父親の冥福を祈願しています。
小百合さんのお父さんも、小百合さんの心温まる墓参を草葉の陰で、きっと喜んでいると思いますよ!
軽井沢の“山の家”をお父さんに見せる事ができないので残念でしょうが、でも、軽井沢の“幸福の谷”はお父さんの眠る榛名山の裾に続いていますからねぇ〜。
バーナビーとは違いますよねぇ。
ヽ(´ー`)ノ
そう言う訳で、いつか、“幸福の谷”を小百合さんと歩きながら、亡くなった人の冥福を祈りたいですね。
そして、このメールの話もしたいものですよね。
(・_・;)
これは、全く脇道にそれてしまいましたア。
(#´ー`) フッ
ところで、今日(日本時間の19日)は“レンゲ物語”の記事を書きました。
H系のすっご〜♪〜いレンゲさんの恋愛詩が載せてあります。
時間があったら小百合さんもぜひ読んでみてくださいね。
風邪がすっかり治りますよ!(^ー^*)
僕が保証いたします。
(^_-)
■ 『恋心とロマンがムカつかせるのよ』
(2007年12月19日)
では、風邪を治すために上のリンクをクリックしてくださいね。
僕も小百合さんの風邪が全快するようにバンクーバーの空からマリア様にお願いいたしますよ。
では。。。 \(^-^)/
『榛名山の小百合さん』より
(2007年12月20日)
『実家の思い出』に掲載
(2011年3月16日)
デンマンさん...また同じメールを持ち出してきましたわね?
あのねぇ~...確かに、ちょっとくどいけれど、「すはま」が今日の記事のタイトルなのですよ。 その「すはま」を僕の人生で初めて見たのが小百合さんからもらったメールだったのですよ。 上のメールはそのメールに対する僕の返信です。
でも、マジで「すはま」って、それまでに聞いたことも目にしたこともなかったのですか?
ありません。 「すはま」ってぇ、群馬県や栃木県ではありふれた呼び名なのですか?
私にとって、とっても身近な呼び名ですわ。
あのねぇ、群馬県と栃木県に隣り合わせている埼玉県の行田市で僕は18歳まで暮らしたのですよ。でも、「すはま」ってマジで聞いたことがなかったのです。 弁天様に誓って。。。、お稲荷様に誓って、これはウソではありません。
埼玉県では「すはま」って言わないのですか?
マジで聞いたことがありません。 僕の実家では誰も「すはま」って言ったことがなかった。 僕の母親に尋ねても、多分知らないと言いますよ。 今度電話した時に訊いてみます。
デンマンさんのお母さんは「すはま」を買ってきたことがなかったのですか?
あのねぇ、ぼくは「すはま」って、神棚などに上げるピンクと白いお供え用の餅だと思っていたのだけれど、念のために調べてみたのですよ。
州浜(すはま)
州浜(すはま)は、大豆、青豆を煎って挽いた州浜粉に砂糖と水飴を加えてよく練りあわせた和菓子の一種。
「すあま」とは名前が似ているが、米粉を使った全く別の食品である。
江戸時代、作られた当初は、「豆飴」と呼ばれ、後、京都の老舗によって作られた「すはま」の断面が州浜紋にそっくりなので、「州浜(すはま)」という名前になったとされている。
現在では、州浜粉を使った菓子全体を「州浜」「すはま」と呼ぶようになっている。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このように書いてあるのですよ。
でも、ピンクに色付けされていることが書いてありませんわね。
色のことには触れてないし、断面が州浜紋にそっくりなのでと書いてあるけれど、僕は「州浜紋」という言葉も初めて目にするのですよ。
「州浜紋」って、どういう家紋なのかしら?
僕も初めて見るから分からない。 調べてみましたよ。
洲浜紋
洲浜は三角洲など、浜辺にできる島形の洲。水の流れでいろんな恰好に変わる、それを柔軟なフォルムで捉えたまるみをおびたラインが特徴。
また洲浜は、飾りや調度品としての洲浜台の意味もあり、平安時代から慶賀の式などに使用された。
江戸時代には婚礼の飾りものとして用いられた。
基本形は丸を三つ組み合わせて「品」の字のように重ねたものだが、バリエーションも多い。いずれも女体を彷彿させる柔らかで、なまめかしい形が面白い。
【主な使用家】
「関東幕注紋」などを見ると、この紋を使用した家がかなりある。
そして関東地方に多いことがわかる。
たとえば宍戸・小田・筑波・柿岡・岡見の諸氏は常陸国、本田・市場・大屋・岩下の諸氏は下野国、薗田・津布久・阿久津の諸氏は上野国である。
これは巴紋の分布と一致している。
州浜紋使用のこれらの諸氏が、巴紋を用いる宇都宮氏と祖を同じくするからである。
このことから、州浜は巴くずしとも考えられている。
州浜紋の代表的な使用家は小田氏である。
小田氏は宇都宮座主宗円の曽孫である知重が常陸の小田に居を構えて小田氏を名乗った。
知重の弟家政は常陸の宍戸に住んで宍戸氏を称している。
(注: イラストはデンマン・ライブラリーより貼り付けました)
『家紋の由来 - 州浜紋』より
あらっ。。。「州浜紋」ってぇたくさんあるのですわね。
僕もこれほどたくさんあるとは思いませんでしたよ。
「すはま」の説明の中にはお団子のような写真が貼ってありますけれど、「州浜紋」のような形のものもあるのでしょうか?
あるのですよ。 小百合さんが見て喜ぶような形のものを発見しましたよ。
あらっ。。。まるでジンジャーブレッドですわね。
そうでしょう!。。。ジンジャーブレッドにハマッている小百合さんなら泣いて喜ぶと思ったのですよ。
それはオーバーですわ。 それ程ジンジャーブレッドにハマッてませんわ。 ところで、「すあま」とは名前が似ているけれど、米粉を使った全く別の食品である、と書いてありますわね。
そうですよ。。。それで「すあま」についても僕は調べてみました。
すあま
すあま(寿甘、素甘)は東日本で一般的な餅菓子の一種。
関東地方では縁起を担ぎ「寿甘」という字をあてたり紅白のすあまを詰め合わせて、祝い事の席で配る習慣がある地域もある。
上新粉(うるち米の粉)を湯でこねて蒸し、砂糖を加えて熱いうちにつきあげて作る。
上新粉のモチモチとした弾力の食感と、餡などを入れない控えめの甘さが特徴。
かつては固くなりにくい餅として重宝されることもあった。
江戸時代に木場で誕生したとも言われる。
巻きすで巻いて凹凸のある蒲鉾のようなきれいな形に整える。
近代化され箱の中で成形されることもある。
形状は、板カマボコ状の物が多いが、店や地方によっては丸型のすあまも作られる。
素材そのままで未着色のものは白い色をしているが、外側を食紅でピンク色に着色したものも作られ、縁起物として紅白のセットにする事がある。
クチナシの実などで黄色に着色したものもある。
卵型のすあまは、ツルの卵に見立てて「つるのこ(鶴の子)」または「つるのこ餅」と呼ばれる。
鶴を表しているので縁起がよいとされ、高級な祝儀菓子や贈答品に使う地域もある。
普段使いのすあまと差別化するため、より柔らかく作られたり、材料に高級な上新粉や上白糖、和三盆を用いたりする。
中に甘い餡を入れたものを作る店もある。
類似の菓子
「鳥の子餅」も「つるのこ」と同様に縁起を担いだものであるが、餅米で作られている。
「しんこ餅」は上新粉で作った菓子を指す総称で、すあまやつるのこを指して用いることもある。
新潟県魚沼市浦佐など、しんこ餅の名称の菓子を地元の銘菓として売り出している地域もある。
浦佐などの地方銘菓のしんこ餅は、関東地方の餡が入らない蒲鉾型のすあまとは異なる。
大福餅のような丸い形をしており、中に小豆餡などを入れて作る。
上新粉で作られた菓子で「しんこ」と呼ぶ同様の商品がある。
かつての「ういろう」は黒砂糖で作られる事が多かったが、現在では上白糖を使うことも多い。
原材料が上新粉と上白糖となって、すあまと同じになることがあるが、製造方法は異なり、食感などが異なる別種の菓子となるため、分類上、同一視されることはない。
「州浜」(すはま)という名前の似た和菓子があるが、大豆の粉を原料に作られるもので、すあまとは別の菓子である。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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