CIAの黒い手(PART 1)
下山総裁
「下山事件とは、戦後の日本に与えられた『飴玉』のようなものではなかったか」
事件を機に、労使関係は対立から協調へと転じ、翌年の朝鮮戦争による特需、その後の高度経済成長を経て、日本は経済大国へと駆け上がっていくことになる。
半世紀たったいま、バブル経済の崩壊によって停滞から凋落へと向かっているとはいえ、経済が国を支えてきたことに変わりはない。
その意味では、確かに「おいしい飴玉だった」ということができるかもしれない。
(中略)
斎藤茂男は、戦後の自由や民主主義はそもそもスタート時点から、見せかけ、まやかしの幻影だったのかと思えてくる、と『夢追い人よ』に書いている。
「戦後という時代がもし、そんな虚構から出発し、人間にとって譲り渡すことのできない自由などというものの価値を、実ははじめから知らずに過ごしてきているのだとしたら、〔人間〕ばかりがやたらと貧しくさせられていく、この効率至上主義のモノ・カネ超大国の現在は、当然の結果というべきかも知れない」
下山事件当時、国民の大半がそれとは気づかないまま巨大な力に操られていたのかもしれない。
日本の分岐点となったあの夏、やはり歴史はねじ曲げられたのではないか。
米国立公文書館別館、マッカーサー記念館の館員ゾベルは言った。
「まだ公開されていない資料がたくさんある。
参謀第2部のウィロビー部長
なかでも事件のカギを握るひとり、(G2部長の)ウィロビーのファイルだけがなぜか、まったく解禁されていないんです。
そこに真相が眠っている可能性は大きい。
いつか公開されることになるのか、それとも、その日は来ないのか。
ただ待つしかないのですが……」
あの「9.11」以来、「世界は変わった」と言われた。
しかし、実際に変わったのは「世界」ではなく「アメリカ」だった。
「正義」という錦の御旗を振りかざして独走しようとする姿に、どこかあの夏の影に似たものを感じるのは気のせいだろうか。
半世紀前、消息を絶つことになる7月5日の朝、下山は自宅を出て都心へ向かう公用車のなかで、こんな言葉を漏らしている。
「今朝は佐藤さんのところへ寄るんだった」
しかし、思い直して、そのまま車を走らせた。
轢死体で発見される16時間ほど前のことだ。
いったい、どんな用件があったのだろうか。
佐藤栄作元首相
それから15年。
佐藤栄作は奇しくも下山事件が殺人事件としての時効を迎えた1964(昭和39)年、第61代内閣総理大臣に就任した。
そして、こう繰り返すようになる。
「沖縄が祖国に還らなければ、日本の戦後は終わらない」
しかし、沖縄が返還されて30年が過ぎたいまも、日本の戦後は終わっていない。
1949年の夏が闇に葬られている限り、終わることはない。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
340-342ページ
『葬られた夏 追跡 下山事件』
著者: 諸永裕司
2002年12月30日 第1刷発行
発行所: 朝日新聞社
ケイトー、下山事件なんてずいぶんと古い事件を持ち出してきたわね。
いや。。。決して古くはない。 表面的には古いかもしれないけれど、古くて新しい事件なのですよ。
つまり、ケイトーは「下山事件」が現在でも大きな意味を持っていると信じているの?
もちろんですよ。 下山事件の背後には、まだできたばかりの CIA の魔の手が伸びていたのですよ。
どういうことよ?
同じ本に次のように書かれている。
札幌の CIC (Counter Intelligence Corp: 対敵防諜部隊)の下部組織の責任者をしていたという宮下英二郎はかつて、国鉄労組を分裂させるための工作を札幌CICの日系二世から持ちかけられたことがある、とジャーナリストの斎藤茂男に打ち明けている。
結局、未遂に終わるのだが、その工作とは次のようなものだったという。
国鉄函館本線札幌-小樽間にある朝里トンネルの小樽築港側の入り口を爆破し、同時に「革命は近い」といった趣旨の共産党の署名入りビラを札幌や小樽でバラまいて共産党の仕業と見せかける。
その前に「トンネルを爆破せよ」という共産党のニセ指令書を CIC が入手したとして警察に流し、操作の方向をつけさせる。
この工作を持ちかけたのが、当時、宮下の直属の上司にあたる二世の土山義男中尉だったという。
1948年10月ごろのことだった。
さらに斎藤が調べたところ、宮下のいう土山義男とは字が違うものの、土山善男という軍曹が札幌CIC に実在していた。
「下山事件」
「三鷹事件」
「松川事件」
さらに、当時の土山の同僚、藤浪正興によると、下山、三鷹、松川という鉄道を舞台にした怪事件が起きる1年前の1948年夏ごろから、北海道にいた米軍情報部員は続々と上京したという。
そして、この年の暮れに東京へ転出した土山軍曹を追うかのように、宮下も翌春、東京へ出てきている。
宮下は自分の状況時期について、こう話している。
「そのころ、CIC のなかでひそかに CIA(米中央情報局)要員が編成され、自分もその末端で働くことになったためだ。
しかし新たな組織の動きは CICの同僚にも秘匿して行われた」(『夢追い人よ』by斎藤茂男)
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
203ページ
『葬られた夏 追跡 下山事件』
著者: 諸永裕司
2002年12月30日 第1刷発行
発行所: 朝日新聞社
この当時から CIA にはシークレット・エージェントの手と足になる日本人が働いていたのですよ。
ちょっと信じられないわね。
現在でも、CIA のために一生懸命に働いている人たちがいるのですよ。 その氷山の一角が次の小文に出てくる。
クーデターの指令本部は、南青山と西麻布の CIA東京本部と電通と共同通信の建物の中にある。
なんと早くも、(2010年6月)6日には、いつものインチキ世論調査の発表があって、「菅直人政権への支持率が、61%に急上昇」という奇怪な報道が即座に行われた。
このあと、10日に、新聞各社の横並びで数字がそろっている新政権への支持率、61%から68%(日経新聞が68%)という、日本国民を煽動する巨大な虚構の、世論調査の結果を報じた。
デイヴィッド・ロックフェラー系統が日本テレビ・新聞をすべて上から押さえていることで私たちは制空権を握られていることに等しい。
私たちは原住民としてヒソヒソ話で、真実を伝えあわなければならない。
昨年(2009年)の12月から開始された、鳩山・小沢打倒のクーデター計画は、前述したアメリカ人の下に、テレビ・新聞11社の政治部長会議、プラス検察・警察の最高幹部たち、とオール官僚トップのアメリカの手先連合である。
。。。
自民党の執行部(谷垣禎一と大島理森)と、みんなの党(渡辺喜美が代表)も何も知らされていなかっただろう。
クーデター直後には、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
アメリカは自民党を見捨てているから、今回は相手にしていない。
マイケル・グリーンと、マイケル・シーファーとジェラルドカーティスと、カート・キャンベルが率いる100人ぐらいの CIAの日本管理・謀略実行部隊は、それぞれが、2,3人の日本人工作員を抱えている。
この者たちが前原誠司、長島昭久を筆頭とする反小沢の民主党議員たちを、背後からあやつってクーデターを決行させた。
菅と仙石(官房長官になった)は、これまでずっと貧乏で、資金がないから、アメリカから数百億円の資金をもらって転んだのだろう。
売国奴の完成である。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。)
258-260ページ
『新たなる金融危機に向かう世界』
著者: 副島隆彦
2010年7月31日 第1刷発行
発行所: 株式会社 徳間書店
でも、ちょっとこれはヤバイんじゃないの? かなり、物騒よ。 ケイトーはマジで上に書かれた事が真実であると信じているの?
もちろん、すべてが真実だと信じているわけではありませんよ。 でもねぇ、「火のない所に煙は立たず」と言うでしょう!?
そうよねぇ〜。。。全部が全部ウソだとも思えないわよね。
そうでしょう。。。 最近では、CIAは「アメリカの政治的、経済的利益を推進する」ことにも深く関わっているのですよ。 これは、もちろん、今に始まったことじゃない。 政治の世界は表面で建前を装(よそお)いながら、裏では本音で動いてますからね。 だから、本音を語らせれば、次の3人の政治家のように身も蓋も無い事を言うのですよ。
(humphrey.jpg)
人々が食糧問題でアメリカに依存するようになる可能性があるとのことである。
協力を取り付けるという観点から考えて、人々をアメリカ頼みとし、アメリカに依存するようにしたいならば、食糧の依存は最高だと思われる。
--- ヒューバート・ハンフリー上院議員 (1957年)
(kenedy.jpg)
対外援助は、アメリカが世界に影響と支配を及ぼす地位を維持するための方策である。
--- ジョン・F・ケネディ大統領 (1961年)
(nixon.jpg)
念頭におくべきは、援助の主目的が他国の支援ではなく、自国の支援であるということである。
--- リチャード・ニクソン大統領 (1968年)
しかも、そのような考え方は昔から伝統的にアメリカ政府の考え方でもあった。
その証拠でもあるの?
歴史的事実がそれを物語っていますよ。
冷戦が終わって状況が一変した。
CIA、 NSA(国家安全保障局)を中心とするアメリカの巨大情報網が、主ターゲットを対共産圏から経済戦略に切り替えたのである。
当時の世界経済は日本の一人勝ちであった。
1989年には CIA長官ウェブスターが「今後、日本を含む経済ライバル国家が、情報活動の対象となろう」と言明した。
1990年に国務長官のジェーム・ズベーカーが「冷戦での戦勝国は日本だった。 冷戦後も戦勝国にさせてはならない」と語った。
相前後して CIA が「ジャパン2000」という名のプロジェクトを著名な学者たちに委託した。
2000年までに日本を引きずり下ろす、の意であろう。
1992年には CIA長官ロバート・ゲイツが「CIA情報活動の4割を経済産業分野に振り分ける」、1995年にはCIA長官ドイッチが自らを「経済情報収集の熱烈な信奉者」と言い、同じころ、クリントン大統領は日米貿易交渉を貿易戦争と露骨に表現した。
アメリカが変貌したのである。
外交軍事では盟友であるアメリカが、経済では敵国に回ったのである。
。。。
1990年代から今日にかけて、ビッグバン、市場原理、グローバルスタンダード、小さな政府、規制緩和、構造改革、リストラ、ペイオフ、新会計基準、不良債権処理などを矢継ぎ早に登場し日本を席巻した。
それもアメリカが強く要請したものである。
これが戦略的なものであることは間違いないだろう。
この10年間の不況は、一言でいうと、経済においてアメリカが庇護者から敵に変わったことに気づかなかった、お人好し日本の悲劇であった。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。)
50-51ページ 『この国のけじめ』
著者: 藤原正彦
2006年5月10日 第4刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
(すぐ下のページへ続く)