真理とは狸とイタチの化かし合い(PART 1 OF 4)
真理とは何か?
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絶対の真理というものは
あるのだろうか?
おそらくないでしょう。
真理というのは、ある現象を最もよく、つまり、誰もがより容易に納得の行くように説明できる仮説だ、と私は信じています。
要するに絶対というものはないでしょう。
時代と共に新しい仮説が出て、それが、これまでの真理と思われていた仮説よりも、よりうまくその現象を説明できるならば、新しい仮説が真理として受け入れられることになります。
しかし、その認められた仮説でさえも、さらにその時代が過ぎると、新しい仮説が現れて、もっとよく、もっと広範囲の現象をより簡単に説明することができるかもしれません。
ニュートンの法則がアインシュタインの相対性理論によって修正されたのはこのよい例です。
そうなると、絶対の真理というものはないことになります。
科学技術の進歩に伴って新しい仮説が時代と共に現れてきます。
アインシュタインは特殊相対性理論を発表してから、さらに一般相対性理論を一応完成しました。
しかしアインシュタインでさえ、一般相対性理論が絶対だとは考えていませんでした。
彼はさらに重力と電磁力が同じものではないかと考え、これを証明するために「統一場の理論」を構想しました。
現在では、この2つの「力」の他にさらにもう2つの「力」(原子核と電子を結びつけている弱い力と原子核を結びつけている強い力)を含めた「統一場の理論」が構築されつつあります。
要するに、宇宙の現象をもっとよく説明できる仮説があるはずだということで理論物理学者がしのぎを削っているわけです。
最近話題になっていることでは、光より速く走るものがあるか?ということがあります。
アインシュタインによれば、光よりも速く走るものは「絶対にない」のです。
しかし、これも絶対ではないとイギリスのスティーブン・ホーキング博士が新しい宇宙論を展開しています。
光さえも抜け出せないはずのブラックホールから電磁波が出ているということでホーキング博士は相対性理論に不確定性原理を持ち込んだのです。
そうすることによって、一時的に光の速度を超えることは可能であると主張しています。
このように、絶対と信じられていた真理が新しい仮説によって覆されたり修正されたりしたことは、歴史を振り返ってみると、しばしば目にすることができます。
例えば、天動説と地動説は最もよい例です。天動説はずいぶん長いこと「真理」として受け入れられていました。
もちろん、地動説を唱える人はかなり居ました。
古代ギリシャにも居たのです。
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あまりに早く生まれすぎた
アリスタルコス
(紀元前310?〜前230?)
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古代ギリシャで展開された宇宙に関する議論の中で、最も驚くべきものは、アリスタルコスによって唱えられた地動説でしょう。
このサモス生まれのアリスタルコスの地動説は後にアルキメデスによって紹介されています。
アリスタルコスは、三角測量の技法に基づいて、地球から太陽までの距離が月までの距離の19倍になることをつきとめたのです。
(実際には、2つの距離の比は400なのですが、この差は結論を導くまでの障害にはなりませんでした。)
これほど離れているにもかかわらず、地球上から太陽と月がほぼ同じ大きさに見えるのは、太陽が月の19倍の直径を持ち、
大きさ・質量ともに地球などとは比べ物にならないほど大きいからだ、とアリスタルコスは考えたのです。
「そんな大きなものが、地球のように小さなものの周りを回るということがありうるだろうか?」
三角測量の技法に基づいて、地球から太陽までの距離を割り出すほど頭のよい人でしたから、当然そのような新たな疑問が頭をもたげます。
確かに、巨大な太陽が小さな地球の回りをまわるのは不自然です。
アリスタルコスも、むしろ地球の方が太陽の周囲を回っているはずだと考えたのです。
これが彼の地動説です。
アリスタルコスはさらに、地球が大きな円を描いて運動しているのに、恒星の見かけの明るさや方位に季節ごとの変化が見られないことに疑問を抱きました。
結論として、アリスタルコスは、これらの星が、人々が想像しているよりも遥か遠くにあるからだと考えたのです。
しかし彼のこのような考えは、当時あまりにも奇抜だと考えられたようです。
彼の上のような説明を聞けば、現在の我われには、よーく納得が行くのですが、当時の人はそのような科学的な知識を持っていません。
アルキメデスといえども、アリスタルコスの考えを荒唐無稽として斥けてしまったのです。
しかし、上のエピソードからも分かるように、精密な観測機器を持たない時代にあっても、人間の知性は物事の本質に迫ることができたのです。
地動説が認められるまで、
なぜ1700年以上
かかったのか?
地球が丸いことも、どうやら地球が太陽の周りを回っていることも、古代ギリシャ人の中には知っている人も居たわけです。
しかし、これほど長い間天動説が真理として通用していたのは、キリスト教が地動説を認めようとしなかったことが大きく影響していました。
地動説を改めて見出したコペルニクス、ガリレイ、ケプラーは、いずれも熱心なクリスチャンでした。
しかし、キリスト教団の組織を動かしていたローマ法王や彼を取り巻く人たちが、地動説を異端視したのです。
「神は、あなた方が言うように地球が回っているというような宇宙を、お造りにはならなかったのだ!」
と言うわけです。
中世にあっては特に宗教が、そして現代にあっては政治が、科学技術の発展に大きな影響を与えています。
最近の例では、冷戦時代の月ロケット開発競争が上げられます。
冷戦がなかったら、人間はまだ月に足跡を残していなかったでしょう。
歴史の中の真理とは?
歴史の中の真理も、原則として科学の中の真理と全く同じものだと考えられます。
つまり、絶対の真理というものはありません。
日本には『古事記』と『日本書紀』という歴史書が存在しています。
古代史を研究する者にとって、この両書は聖書のようなものです。
いわば、『日本古代史』教の『聖書』です。
キリスト教団の幹部たちが、地動説を異端視したことは上に述べました。
「神は、あなたが言うように地球が回っているというような宇宙を、お造りにはならなかったのだ!」とガリレオに向かってしかりつけたのでした。
『古事記』と『日本書紀』も、いわば、このような宗教的と呼ぶに等しい「思想」に基づいて書かれた書物です。
『古事記』には『日本創世記』と呼ぶにふさわしい記事が見えます。
つまり、イザナミ・イザナギの『国生み神話』です。
これこそ、ピタゴラスが聞いたなら荒唐無稽と言って笑い出すでしょう。
もちろん、皇国史観が全盛だった太平洋戦争中も、この『国生み神話』を本当のことだと考えた人は居なかったでしょう。
それでは、なぜ『国生み神話』を作らねばならなかったのでしょう?(なぜ、伝承の昔話から取り上げねばならなかったのか?)
それはごく簡単な理由です。
他の国の神話が多くそうであるように、日本という国は独自に出来上がったんだということを言いたいがためです。
『古事記』が成立したのが712年、『日本書紀』が完成したのは720年です。
この辺の事情については、このページ (日本で一番古い書は?) で説明しています。
実はこの両書が成立するまでの100余年という期間は、次に示す簡単な年表に見るように激動の時代でした。
592年
蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺する。
645年
中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原鎌足)と共に蘇我入鹿を討つ。
蘇我氏(本宗家)滅びる
(詳しいことはこのページ【藤原鎌足は、どのように六韜を実践したのか?】を読んでください。新しいウィンドーが開きます。)
663年
白村江の戦い
百済滅びる。
百済の貴族・官僚などが大挙して日本へ亡命する。
この人たちは政府の役職に付く。中には現在の大臣に当たる役職に付く者まで出てくる。
671年
天智天皇、大海人皇子(天武天皇)に暗殺される。
(詳しいことはこのページ【天智天皇は暗殺された】を読んでください)
672年
壬申の乱
天武天皇実権を握る。
この政権交代で注意する必要があるのは、藤原氏がこの政変で滅びていないということです。
むしろ、ますます栄えてゆくことに注目する必要があります。
686年
大津皇子、持統天皇に殺される。
上の一連の事件に関わりを持ち、結局実権を握ったのは誰か?という事を考えれば、ごく自然にいろいろな疑問が解決します。
もちろんそれは藤原氏に他なりません。
(すぐ下のページへ続く)