旅行者的早餐 (PART 1)
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デンマンさん。。。 どういうわけで旅行者的早餐というようなタイトルをつけて あたくしをお呼びになったのでござ~♪~ますか?
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あのねぇ~、上海に住んでいる崔香蘭(サイ コウラン)さんが中国の検索エンジンで検索して僕の Denman Blog にやって来たのですよ。。。
マジで。。。? その証拠でもあるのでござ~ますか?
あります。。。 ちょっと次のリストを見てください。
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■『拡大する』
これは僕のDenman Blogの12月12日の「リファラ (リンク元URL)」のリストです。。。 赤枠で囲んだURLに注目してください。
あらっ。。。 このURL が中国の検索エンジンなのですか? 。。。で、クリックすると どのような検索結果が出てくるのでござ~ますか?
次のページが表示されるのですよ。。。
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
あらっ。。。 「旅行者的早餐pdf米原万里」と入れて検索したのですわねぇ~。。。
そうです。。。崔香蘭(サイ コウラン)さんは 丁寧に1ページから順々に見ていって6ページ目に 僕の記事を見つけたわけです。。。
。。。で、赤枠で囲んであるタイトルをクリックすると どのページが表示されるのでござ~ますか?
次のページです。。。
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■『拡大する』
■『実際のタグのページ』
あらっ。。。 「米原万里」さんのタグ(tag)のページなのですわねぇ~。。。
そういうことです。。。
。。。で、どのようにして上海に住んでいる崔香蘭(サイ コウラン)さんだと判ったのですか?
IPアドレスを調べたのですよ。。。
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上の写真の女性が崔香蘭(サイ コウラン)さんですか?
そうです。
。。。で、香蘭さんは米原万里さんについて 何を調べようとしたのですか?
あのねぇ~、米原万里さんは『旅行者の朝食』という本を書いたのですよ。。。 この本のタイトルが中国語では『旅行者的早餐』になるわけです。。。
でも、それは可笑しいと思いますわァ~。。。
何が可笑しいのですか?
あたくしがGOOGLEで調べたら次のように訳しましたわァ。。。
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■『拡大する』
GOOGLEでは「旅行者の朝食」を「旅游的早餐」と訳しているのでござ~ますわァ。。。
あのねぇ~、香蘭さんが「旅行者的早餐」と入れて検索しても、お目当ての目的の本に到達したわけですよ。。。
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上の箇所を香蘭さんが探し求めていたのでござ~ますか?
そうです。。。 香蘭さんはヒトラーがベジタリアンだったかどうかを調べていたのですよ。。。
。。。で、香蘭さんはマジで『ん?ヒトラーはベジタリアン?』を読んだのですか?
読みました。。。 記録に出てます。。。
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赤枠で囲んだ記事の中で 僕と卑弥子さんはヒトラーが菜食主義者だったことについて語り合ったのですよ。。。 覚えてますか?
ええ。。。覚えていますわ。。。
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ヒトラーと姪のゲリ・ラウバル
「厳格な菜食主義者」だというのはゲッベルスによる印象操作であるとしていますけれど、溺愛した姪のゲリ・ラウバルの自殺後は菜食主義者となったようですわねぇ~。。。
そうらしいのですよ。
ところで、デンマンさんはベジタリアンなのでござ~ますかァ?
僕も「厳格な菜食主義者」じゃないけれど、肉はあまり食べませんよ。 自分で豚肉だとかビーフを買ってきて料理したことは これまでに一度もありません。
あらっ。。。 じゃあ、かなりのベジタリアンではござ~ませんかァ~!?
でもねぇ~、友達の家で、食卓にビフテキとか、鳥のから揚げとかが出されれば、食べますよ。 食べられないということじゃなくて、選んで食べる場合には、肉料理はあまり食べたくないのですよ。 でも、サラミなどはスーパーで買ってきて、よく食べるし、魚類はよく食べますよ。 卑弥子さんは肉は好きですか?
あたくしは、お肉ならば なんでも好きでござ~ますわァ。 でも、最近は、四足のお肉は健康のために良くないと言われているので、なるべくならば食べないようにしているのでござ~ますわァ。
卑弥子さんには、米原万里さんのようにヒヨコを死なせてしまって、それで卵や鶏肉が食べられなくなったという経験はないのですか?
ありませんわ。 あたくしはヒヨコを飼ったことがありませんでしたから。。。 卵も鶏肉も全く抵抗なく食べられますわ。
僕は、アヒルを2匹飼っていたことがあって、ちょうど米原万里さんのように死なせてしまって、しばらくアヒルの肉や鶏肉は食べられませんでしたよ。
あらっ。。。 野良猫に食べられてしまったのですか?
いや。。。 雛から大人に成長しましたよ。 でも、1匹は車にはねられて即死したのですよ。 もう1匹は、僕の両親が密かに近所の肉屋さんに持っていって、さばいてもらったのですよ。
あらっ。。。 食べてしまったのですか?
そうなのですよ。 食卓に、そのアヒルの肉が出てきて、弟たちは旨い旨いと言って食べてしまったけれど、僕は食べることができませんでしたよ。
それはそうでしょう! 可愛がっていたアヒルの肉が「北京ダック」になってテーブルにのっていたら、誰だって食べられませんわ。 それにしても、息子が可愛がっていたアヒルを肉屋さんで解体してしまったなんて、デンマンさんのご両親は血も涙もないのですわねぇ~!?
この話をすると、たいていの人がビックリするのだけれど、でもねぇ~、親父は動物が嫌いだったけれど、母親は、動物が好きでしたよ。
それなのに、どうして肉屋さんで解体してしまったのですか?
エサを食べさせるのは子供だけで充分で、アヒルにまでエサ代を使うのがもったいないというのが、母親の本音だったようですよ。
でも、それにしても。。。??
卑弥子さんも呆れてしまうでしょう!? 僕だってぇ、両親に対して怒って抗議するというよりも、呆れてしまいましたよ。 僕がずいぶん可愛がっていたから、後ろめたい気持ちがあったのでしょうね。 僕が呆れたように母親の目を見ると、正視できずに目をそらしましたよ。
それは、そうでしょうねぇ~。。。 で、今でも「北京ダック」は食べられないのでござ~ますか?
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いや。。。 「北京ダック」は僕の好物の一つですよ。 うへへへへへ。。。
つまり、米原万里さんのヒヨコのエピソードにデンマンさんは、マジで共感したわけなのでござ~ますわねぇ~!?
そうなのですよ。 それでこの記事で取り上げる気になったのです。 でもねぇ~、ヒトラーがベジタリアンだったというのは本当に意外でしたよ。
どうして。。。?
ちょっと次のビデオクリップを見てくださいよう。
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これだけ激しくエネルギッシュに演説する人ならば、毎晩 食卓で 血の滴(したた)るようなビフテキを食べていたと思うじゃありませんかア!
言われてみれば、確かにそうですわよねぇ~。 野菜と果物だけを食べていたら、ヒトラー総統のようなエネルギーは出てかないような気がしますわァ。
。。。でしょう!? だから 僕も、いったいどうなっているのかァ? 不思議に思ってネットで調べていたら 次の面白い、興味深いビデオ・クリップに出くわしたのですよ。
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ヒトラーは自分がベジタリアンだと
言われているのを知る。
あたくしはドイツ語も英語も苦手なので、どういうことだか良く解らないのですけれど。。。
あのねぇ~。。。、ヒトラーはマジで怒っているのですよ。
だから、どうしてでござ~ますか?
ヒトラーは「自分が厳格な菜食主義者であるという噂は、国民啓蒙・宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスによる印象操作だよ!」と喚(わめ)いているのですよ。 「あのアホンダラがァ~~!」とまで罵倒しているのですよ!
つまり、「自分はベジタリアンじゃない!」と言っているのでござ~ますか?
そうなのですよ。
では、いったい、ヒトラーはどちらだったのでしょうか?
あのねぇ~、僕も不思議に思って更にバンクーバー市立図書館で調べたのですよ。 そしたら次のDVDをゲットできたのですよ。
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■『実際のカタログページ』
あらっ。。。 ヒトラーの私設秘書のうちで 最も若かった トラウデル・ユンゲ(Traudl Junge)さんのインタビューの DVD ですわね。
そうです。 トラウデルさんというのは、次のような女性なのですよ。
トラウデル・ユンゲ
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1942年12月に東プロイセンの総統大本営ヴォルフスシャンツェで、長期休暇に入るゲルダ・クリスティアンの代わりとなる秘書の採用試験を受けた。
彼女自身は舞踏家への夢を捨てきれず秘書職は一時的なものと考えていたが、そのため気楽でナーバスになっていなかったこと、そしてミュンヘン生まれであることが採用の決め手であったという。
この後、ベルヒテスガーデンの山荘ベルクホーフ、タウヌス山地のアードラーホルスト、ベルリンの総統官邸でごく身近からヒトラーの私的な時間をつぶさに目撃した。
その生活はヒトラーのスケジュールに合わせ、遅くに起きて昼食を採り、何度ものコーヒー休憩を挟んで遅い夕食をとったのちに映画を見てから仕事にかかり、深夜に仕事を続けて午前5時頃に就寝するというものだった。
1943年6月19日、ヒトラーの従卒であるハンス・ヘルマン・ユンゲ親衛隊中尉と職場結婚する。
夫は第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントの一員として1944年8月にノルマンディで戦死した。
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(夫と共に)
ベルリン市街戦のさなか、退避を勧めるヒトラーの言葉に従わず最後まで総統地下壕に残った。
4月28日、ヒトラーとエファ・ブラウンの結婚式に立ち会う。
その直後にヒトラーの遺言書をタイプした。
ヒトラーは4月30日午後3時半頃に自殺したが、そのとき彼女は隣の部屋でヨーゼフ・ゲッベルスの6人の子供たちと食事中だった。
本人はその後しばらくの記憶がないと述べているが、直後に地下壕を脱出して故郷バイエルンに逃れたものとみられる。
連合国軍に逮捕されたが、彼女が何者だったのか充分調査されることもなく、また彼女がまだ25歳と若かったため、ナチスとの共謀罪とみなされず解放された。
ナチス活動審査委員会で審問されたが罪は問われなかった。
戦後はゲルダ・アルトという変名で暮らし、フリーランスジャーナリストとして働いていた。
ホロコーストなどのナチスによるユダヤ人の迫害と自らの関係について「当時は知らなかった。でも知らなかったでは済まされない」とコメントしているものの、レニ・リーフェンシュタール同様、自身はナチズムと無関係であるという主張を生涯崩さなかった。
出典: 「トラウデル・ユンゲ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この人は今でも生きているのでござ~ますか?
2002年2月10日に癌で亡くなりましたよ。
。。。で、トラウデルさんは、ヒトラーの菜食主義について何て言っていたのでござ~ますか?
インタビューの中で、はっきりと「ヒトラーはベジタリアンだった」と言っているのですよ。 ヒトラーの主治医の勧めもあって、胃腸のためにも肉を避けていたと言うのです。 また、オーストリア人のコック、クリューメルさんはブイヨンにわずかな肉や脂をくわえヒトラーの食事に出すことがあったというのです。 でも、「ほとんどの場合 総統はそのごまかしに気づいて、ひどくいやがり、お腹を気にしていました。 けっきょくスープはそのまま片付けさせ、マッシュポテトだけ食べたのです」と言ってるのです。
つまり、身近にいた人の目から見ても、ヒトラーは肉を避けていたということなのですねぇ。。。
どうやら、ヒトラーはマジでベジタリアンに近い食事をしていたようです。
つまり、ユダヤ人を何百万人とコンセントレーション・キャンプで虐殺したので、罪の意識から肉が食べられなくなったのでござ~ましょうか?
僕は違うと思いますよ。 あのねぇ~、ドイツ人の精神分析学者エーリヒ・フロムはヒトラーにとってのベジタリアニズムは姪であったゲリ・ラウバルの死を悼むためだと言うのですよ。 またベジタリアニズムは自分が人を殺すことなどできない人間だということを自身やまわりに証明する方法でもあったと言うのです。
でも、ユダヤ人をあれほど虐殺しているではありませんか?
ヒトラー自身はアドルフ・アイヒマンに丸投げして 虐殺をやらせていただけだから、自分では「殺していない」つもりでいたんでしょうね。
でも、普通の人の目にはヒトラーは“殺人鬼”のように映るでしょう!?
ところが、驚いたことに、トラウデルさん自身もインタビューで意外な事実として話しているのだけれど、ヒトラーは身近な人たちに対しては実に優しくて紳士的だったと言うのですよ。 演説の様子から受け取っていたイメージとは全く違っていたので、トラウデルさん自身も、初めの頃はそのギャップに戸惑ったほどだと言うのです。
あらっ。。。 じゃあ、米原万里さんは皮肉を込めて次のように書いたのでしょうけれど。。。、
もっと心優しく意志の強い人々は
ベジタリアンになるのだろう。
ヒトラーもベジタリアンだった。
身近に接すると、ヒトラーはマジで心の優しいおじ様だったのかもしれませんわねぇ~。 うふふふふふ。。。
『ん?ヒトラーはベジタリアン?』より
(2015年3月17日)
ところで、崔香蘭(サイ コウラン)さんは日本語が読めるのですか?
もちろんですよ。。。 香蘭さんは上海にある復旦大学(ふくたんだいがく)の外文学院で日本語を専攻しましたから。。。
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。。。んで、デンマンさんに記事の感想を書いてメールしたのですか?
そうです。。。 大変面白く読ませていただきましたと書いてありました。
信じられませんわ。。。
あのねぇ~、何度も言うことだけれど、“信じる者は救われる!”と言うでしょう!。。。 だから、卑弥子さんも深く考えないで 素直に僕の言う事を信じて救われて幸せになってねぇ~。。。。
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(すぐ下のページへ続く)