足袋御殿(PART 2)
忍沼のプランクトンの研究
その当時の小学校の僕の担任の先生が志保田先生だった。この先生は理科クラブの部長だった。それで、僕も理科クラブに入っていた。
何を研究したのですか?
今でもあるけれど行田市の水城公園に忍沼があるのですよう。
この忍城は1988年(昭和63年)に本丸跡に再建されたものですよう。僕が小学生の頃は、この城が建っている場所はグラウンドになっていて少年野球の会場になっていた。忍沼は、昔は城を巡る外堀だったところです。そこへ毎朝、先生が職員会議をしている自習時間に、同じクラブのメンバーの二人と3人でプランクトンを取りに行ったものですよう。
それで、そのプランクトンをどうするのですか?
放課後、理科実験室で顕微鏡で覗いてプランクトンが泳いでいる様子を写生するのですよう。そうやって研究した訳ですよう。
何か賞でももらったのですか?
もらいましたよう。当時、オリンパスが理科の全国コンクールをやっていたのですよう。
オリンパスってあのカメラのオリンパスですか?
そうですよう。オリンパスは顕微鏡も作っていたのですよう。多分、その関係で理科のコンクールを開いていたのでしょうね。
それで、入選したのですか?
そうですよう。3人(山田君、松本君、それに僕)で取り組んだ「忍沼のプランクトンの研究」が優秀賞に選ばれて、カメラ3台と顕微鏡3台をもらったものですよう。
一人それぞれ1台づつもらったのですか?
カメラと顕微鏡は学校に寄付ですよう。その代わり、当時の田高校長先生から水銀の寒暖計をもらいましたよう。
それで、その事と工学部と関係があるのですか?
志保田先生の話で電子頭脳というのが面白かった。僕が小学校5年生の頃は電子計算機と言わずに電子頭脳と呼ぶ人の方が多かった。とにかく、その電子頭脳が東京の丸ビルぐらい大きい、と志保田先生が言ったのですよう。
それで、デンマンさんは電子計算機の道へ進んだ訳ですか?
そうなのですよう。
『光さす庭 (2008年6月20日)』より
これってぇ、マジですか?
もちろん真面目な話ですよ。 嘘や“でまかせ”ではありません。 当時は、今のようにきれいな公園になっていなかった。 葦(アシ)が茂る広大な沼地だった。 その沼地の向こうに石造りの「足袋御殿」が聳(そび)え立っているように見えたものですよ。 子供の目には国会議事堂のような尊厳な建物に見えたものです。
それだけのことですか?
いや、それだけじゃない! 小学校を卒業して行田中学に入学した。 それで僕は1年2組に入ったのですよ。 そのクラス50人の中に新井久代さんという名前の頭の良い可愛い女の子が居た。
この女の子が足袋御殿と関係あるのですか?
ありますよ。。。大有りですよ。 その久代さんは「足袋御殿」に住んでいたのですよ。
あらっ。。。「足袋御殿」のお嬢様だったのですか?
そうなのですよ。
デンマンさんは、小学生の時には久代さんのことを知らなかったのですか?
僕は中央小学校だった。 久代さんは南小学校だったのですよ。 だから小学生の頃、僕は彼女に一度も会ったことがない。
。。。で、中学1年生の頃に新井久代さんの住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがあるのですか?
小百合さんも、そう考えるでしょう? でもねぇ、残念ながら一度も彼女の住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがないのですよ。 今から考えると本当に残念なことをしました。 僕がクラスの委員長で彼女がクラスの副委員長というようなこともあった。 それなのに僕は純情可憐な男の子だったから久代さんの家に遊びに行きたいなんてとても言い出せなかった。
信じられませんわ。 デンマンさんならば、何が何でも押しかけてゆきそうじゃありませんか!
だから、当時の僕は気の小さい控(ひか)えめな少年だったのですよ。
信じられませんわ。
人間は年とともに変わるものなのですよ。
そうでしょうか。。。?
(初出:2011−10−18)
【卑弥子の独り言】
ですってぇ〜。。。
小学生時代のデンマンさんは気の小さい控(ひか)えめな少年だったと、あなたは信じることができますか?
あたくしには想像もつきませんわ。(微笑)
確かに、時と共に、性格は多少は変わってゆくと思いますけれど、“三つ子の魂百までも”と申しますわ。
性格は極端には変わらないものでござ〜♪〜ます。
あなたの小学生時代を思い浮かべてくださいまし。
現在のあなた自身と性格が変わっていますか?
それほど変わってないでしょう?
ええっ。。。あたくしですか。。。?
考えて見れが、ずいぶんと性格が変わりましたわ。
どうしてかってぇ〜。。。?
だってぇ、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ〜♪〜ますわ。
ビートルズの影響だと思うのですわ。
“キャ〜 素敵ィ〜♪〜”
お分かりでしょう!?
ビートルズのファンは熱烈なのですわ。
だから、性格までも変わってしまうのですわ。
うふふふふふ。。。
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でも、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ〜♪〜ますう。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ〜♪〜ますう。
滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。
『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ〜♪〜ますゥ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?
私はデンマンさんとご一緒に
一度だけ訪れたことがあります。
この湖は“Swan Lake”という
英語名がついているのですわ。
昔、宣教師の方が軽井沢に
別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
軽井沢・雲場池の紅葉
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まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな
感じがしましたわ。
そう言えば、バンクーバーの
クイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
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あの時のチャイコフスキーの曲が
聞こえてきたものですわ。
それで、私はいつになく
感傷的になったことを覚えています。
ところで、日本に帰省してから
デンマンさんが小百合さんのことで
次のような記事を書いています。
時間があったら覗いてみてください。
■『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』
■『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』
■『日本は汚染される(2011年10月4日)』
■『おばんざい(2011年10月4日)』
■『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』
■『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』
■『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。