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どですかブログ(PART 1)

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どですかブログ(PART 1)




どですかでん



『どですかでん』は、黒澤明監督の映画作品。
原作は、山本周五郎の『季節のない街』。
黒澤映画初のカラー作品である。

『赤ひげ』以来、5年ぶりの監督作品。
この間、『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動などで神経を削ったこともあってか、本作ではそれまでの三船敏郎とのコンビによる重厚な作品路線から一転、貧しくも精一杯生きている小市民の日常を明るいタッチで描いている。

撮影は東京都江戸川区南葛西の1万坪もあるゴミ捨て場で、廃材を使って行われた。
当時のシナリオには、黒澤自身の手による、画家のマルク・シャガール風の、死んだ乞食の子供が天に昇っていく絵コンテが描かれている。

当時の興行成績は明らかな失敗で、以降、黒澤は『デルス・ウザーラ』を挟んで10年間にわたって日本映画界の中心から遠ざかることになる。
企画・製作にある「四騎の会」とは、黒澤、木下惠介、市川崑、小林正樹の4人からなる芸術家集団で、邦画低迷の時代に4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成されたが、うまく機能せず、製作映画は本作と『化石』(1975年、小林正樹監督)に留まった。
脚本家・俳優の宮藤官九郎は、本作を「すべての映画で一番好き」と語っている。

あらすじ

とある郊外の街の貧しい地域。知的障害のある六ちゃんは、毎日近所に出かけては、他人には見えない電車を運転している。
内職職人の良太郎は、妻が浮気性なため、子供をたくさん背負っている。
穏やかな性格の島さんは、会社の同僚を家に連れてくるが、無愛想な妻の文句を言われて激怒する。
乞食の父親は、いつも息子に夢想話を語っている。
平さんは物静かで謎の多い人物。
街の長老・たんばさんは、家に押し入った泥棒に金を恵む。

ここに暮らす人たちは、変わった人ばかりである。
六ちゃんはその中で電車を走らせ、日は暮れてゆく。

キャスト



•六ちゃん:頭師佳孝
•おくにさん:菅井きん



•島悠吉:伴淳三郎
•ワイフ:丹下キヨ子




•沢上良太郎:三波伸介
•沢上みさお:楠侑子



•平さん:芥川比呂志
•お蝶:奈良岡朋子



•乞食の父親:三谷昇
•その子:川瀬裕之



•益夫:井川比佐志
•たつ:沖山秀子
•初太郎:田中邦衛
•良江:吉村実子



•綿中京太:松村達雄
•妻・おたね :辻伊万里



•姪・かつ子 :山崎知子
•岡部少年(酒店員):亀谷雅彦



•たんばさん:渡辺篤
•老人:藤原釜足

•絵描き:加藤和夫
•野本:下川辰平
•くまん蜂の吉:ジェリー藤尾
•くまん蜂の女房:園佳也子
•渋皮のむけた女:根岸明美
•屋台のおやじ:三井弘次
•小料理屋の女将:荒木道子
•レストランの主人:桑山正一
•ウェイトレス:塩沢とき
•泥棒:小島三児
•刑事:江角英明
•みさおに声をかける男:人見明
•みさおに声をかける男:二瓶正也
•みさおに声をかける男:江波多寛児



出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリーより




デンマンさんは『どですかでん』にハマッているのですか?



いや。。。別にハマッているわけではないけれど、『どですかでん』はマジで印象に残っている映画ですよ。

それほど感動を受けたのですか?

感動と言うほどではないけれど、いろいろと考えさせる映画でしたよ。

どういう所が。。。?

六ちゃんは知的障害のある少年なんだけれど「六ちゃんの世界」はマジで「今一つの世界」ですよ。


今一つの世界



ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。

でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。

ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。

暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。

もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。

古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。

ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。



江戸川乱歩(左)と三島由紀夫



130 − 132ページ
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行

『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載




実はねぇ、僕も六ちゃんのような“電車バカ”だったのですよ。



あらっ。。。デンマンさんも知的障害者なのですか?。。。知りませんでしたわ。

やだなあああァ〜。。。僕は知的障害者じゃありませんよ。

でも、デンマンさんも架空の電車を走らせていたのでしょう?

そうなのですよ。。。でもねぇ、僕は知的障害者ではありません。 架空の電車を走らせていたのは幼稚園に入る前の頃だけでした。 確か、3つか4つの頃でしたよ。

架空の電車ってぇ、どんな電車だったのですか?

六ちゃんの電車は普通の人には見えないのですよ。 多分六ちゃん以外には見えない。



まったくの空想の電車です。 運転している六ちゃんにしか見えないのですよ。 でもねぇ、僕の電車は誰にでも見えるのですよ。





あらっ。。。デンマンさんは公園にダンボールの箱を並べて電車にしたのですか!?



そうなのですよ。 近所の子供たちに乗客になってもらったのですよ。

皆おとなしく乗っていたのですか?

初めのうちは言うことを聞いておとなしく乗ってたのだけれど、何度も何度もやっていると、馬鹿らしくなるのか僕が何度誘っても乗ってくれないのですよ。

そうですわよねぇ〜。。。私だって嫌ですわ。 それで、電車ごっこは止めにしたのですか?

いや。。。近所の子供が乗客にならなくても僕はダンボール箱を持ち出して並べるだけ並べて、先頭の機関車に乗って1時間ぐらい運転していましたよ。

でも、ダンボールの電車は動かないのでしょう?

もちろん動いていますよ。

だってぇ、ダンボールの箱じゃ動かないでしょうに。。。

あのねぇ、僕のオツムの中では遊園地の豆電車のように公園の中を動き回っているのですよ。 だから、1時間じっとダンボール箱の中に座っていても僕は全く飽きませんでしたよ。 その点では六ちゃんと同じでしたよ。 とにかく六ちゃんは一日中、朝から晩まで空想の電車を走らせるのですからね。 凡人には真似ができませんよ。 うへへへへへ。。。

やっぱり、デンマンさんも六ちゃんのように小さな頃には知的な障害があったのではありませんか?

やだなあああァ〜。。。僕は幼児のころも正常でしたよ。 あのねぇ〜、小さな頃って誰だって同じような経験をすると思うのですよ。

そう言われてみれば、確かに私も小さな頃に電車ごっこをしましたけれど。。。、でも、ちゃんと動きましたわ。





うん、うん、うん。。。こういう電車ごっこをしているのを僕も見かけたことがありますよ。



デンマンさんは、こういう電車ごっこはしなかったのですか?

あのねぇ〜。。。そういうのは平凡すぎて面白くないのですよ。 ただ紐の中に入って走るだけじゃないですか!

でも、ダンボール箱の中にじっとして座っているのは、つまらないでしょうに。。。

あのねぇ〜、先頭のダンボール箱が機関車になるのですよ。。。僕は運転手になって、オツムの中では走っているのですよ。 だから目の前の風景がどんどん後ろに流れてゆく。。。つまり、僕のオツムの中では本当の機関車の運転手になっているのですよ。。。つまり、空想が広がるのですよ。

だから、そこの所が六ちゃんと共通しているのですわ。 つまり、デンマンさんも知的障害があったのですわよ。

それは知的障害とは言わないのですよう。 創造性というのですよ。 うへへへへへ。。。 要するに、六ちゃんにとっては、電車バカの「今一つの世界」こそが現実の世界に勝る現実だったのですよ。

デンマンさんにとってもダンボールの電車の世界が「今一つの世界」だったのでしょう!?

もちろん、そうなのだけれど、六ちゃんと僕の違いは、ダンボールの電車の世界は現実の世界ではないと幼心(おさなごころ)に自覚がありましたよ。

六ちゃんは「電車バカの世界」が現実だったのですか?

そうなのですよ。 だから、世間では六ちゃんを知的障害者と見なしていた。 でもねぇ〜、考えてみると、六ちゃんは幸せですよ。

どうしてですか?

考えても見てください。 正常で常識があると世間で見なされている人が日本では1年に3万人以上も自殺するのですよ。 それに比べたら六ちゃんは「電車バカの世界」で一生を幸せに送ることができたのですよ。

でも幸せだったのでしょうか?

小百合さんも『どですかでん』を観たのでしょう?

ええ。。。観ましたわ。

あの映画の中の六ちゃんが不幸せそうに見えましたか? 六ちゃんは一度でも自殺するような態度を見せましたか?

いいえ。。。いたって満足そうでしたわ。 ただ、電車整備の人たちのことはボロクソに言ってましたけれど。。。うふふふふふ。。。

そうでしょう!? むしろ平凡な常識人の世界こそ六ちゃんの目には怠惰でバカバカしい世界に見えていたのですよ。

つまり、自殺するような人は六ちゃん以上に知的障害者だとデンマンさんは見ているのですか?

あのねぇ〜。。。「自殺の世界」は僕にとって「今一つの世界」なんですよ。 つまり、現実ではない空想に近い世界ですよ。 その「自殺の世界」を現実と間違えて自殺することは僕にとっては、あってはならないことなのです! 無意味なことなのですよ。 六ちゃんの「電車バカの世界」は自殺のない世界なんですよ。 六ちゃんは知的障害者かもしれないけれど、自殺のない「電車バカの世界」で幸せな一生を本人が送っていたと思っていたことに僕は意味があると思うのですよ。 そう言う意味で六ちゃんは自殺する人たちよりも幸せな人生を歩むことができたと僕は信じることができる。

でも、自殺する人には自殺することが生きることだったのかもしれませんわ。

あのねぇ〜、それは言葉遊びですよ。 自殺することは生きることにはならない。

でも、少なくとも苦しみから逃れる唯一の方法だと思いますわ。

それは、自殺する人がそう考えているに過ぎない! 六ちゃんを見てくださいよ。 世間では「知的障害者」というレッテルを貼り付けて小学生までが六ちゃんを“電車バカ”と囃(はや)し立ててバカにしているけれど、本人は「電車バカの世界」で幸せに一生を終えたのですよ。

つまり、自殺する人は「自殺の世界」に逃げている、とデンマンさんは思っているのですか?

そうですよ。 自殺しなくても幸せになれる世界はいくらでもある。 そのことを六ちゃんは世間の人に見せたのですよ。

でも、三島由紀夫さんは自殺しましたわ。

あのねぇ〜、三島さんは自殺したとは思っていない。

でも、あの行為は自殺以外の何事でもないじゃありませんか!?

 (すぐ下のページへ続く)

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