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チエホフとシルク(PART 2 OF 3)

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チエホフとシルク(PART 2 OF 3)



(silk03.jpg)

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つまり、この時のお妾さんの作法と立ち居振る舞いにエルヴェ青年は魅了されてしもうたのやがなァ。。。 エルヴェ青年はフランス人やけど、この時、ちょうどジェームズ・ドラモンド卿が受けたような印象を持ったようやねん。



(silk03b.jpg)

日本の女性はもうなんとも言えない自然な優美さを持っている。
私の見る限り、世界で最も魅惑的でエレガントな女性たちだ。
少しばかり風変わりなところを矯正すれば、英国の宮廷だろうがヨーロッパの宮廷だろうが、一度連れ出すだけで彼女たちは憧れの的になるだろう。
日本女性のちょっとした風変わりなところも、しばらく一緒に暮らせばすぐに慣れてしまう程度のものだ。




。。。で、あんさんは、この映画を観終えてから、いつものようにキザにも英語でコメントを書きはったん?



うへへへへへ。。。 めれちゃんも、そないに思うのかァ〜。。。? 実はそうやねん。


(lib30509q.gif)

『実際のカタログページ』



あんさんのコメントが一番長いやんかァ〜。。。 長ければええもんとちゃいますのやでぇ〜。。。 いったい、どないな事を書きはったん?



日本語に訳すと次のようになるねん。



(silk01.jpg)

この映画は2007年に公開されたフランス系カナダ人のフランソワ・ジラール監督による作品です。
イタリア人作家による同名の小説を基にして制作されました。
舞台は1862年。 幕末の動乱の時期に当たります。
主人公はフランス人のエルヴェ青年で、蚕の卵を買い付けるのが仕事です。
当時の日本は鎖国でしたから、彼は危険を冒して密航船で日本へ渡ります。

この長旅の前に彼は美しい小学校教師・エレーヌと恋に落ち、結婚しています。
ところが日本へ渡り信濃国の某所・原十兵衛なる謎の人物の館で十兵衛の妾に出会います。
芦名 星さんの演じるこの女性の作法や立ち居振る舞いにエルヴェ青年はすっかり魅了されてしまうのでした。

やがて彼はこの女性から恋文を受け取ります。
その恋文には日本語で次のように書いてあるのでした。

「ぜひ、おもどりください。
さもないと、わたくしは死んでしまいます。」
(もちろんエルヴェ青年は日本語が読めません。 あとで日本人のマダム・ブランシュに読んでもらうことになります。)

十兵衛の妾もエルヴェ青年に惹かれている様子です。
ところが、この女性は原十兵衛に操(みさお)をたてるつもりなのか、エルヴェ青年と同衾する機会があるにも拘らず他の女を彼の夜伽(よとぎ)の相手としてあてがうのでした。

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エルヴェ青年は、なぜ、これほどまでに十兵衛の妾に魅了されてしまうのか?
彼女とは、ほとんど言葉らしい言葉を交わしていないのです。
もちろん、肉体関係もありません。
常識的に考えるならば、同衾した相手の女性に心が惹かれるでしょう!

ところがエルヴェ青年は十兵衛の妾にハマッてしまうのです。
フランスに帰ると同僚から日本語が読める人を紹介されます。
それがマダム・ブランシュです。
横浜で絹商人をしていたフランス人のムッシュ・ブランシュと結婚したこの日本女性は、夫と共にフランスに渡りますが、この当時はすでに夫と死別して未亡人になっています。
それで当時、フランスのリヨンで高級娼婦を抱(かか)えて売春サロンを経営しているのでした。
マダム・ブランシュは自分のお客さんには、自分が身に着けている小さなブルーの花を与えるのを習慣にしていました。

3度目の日本行きを終えてフランスに戻ると、やがてエルヴェ青年は長い手紙を十兵衛の妾から受け取ります。
この時期、不幸にもエレーヌは病気になって死んでしまいます。
何度目かに墓に彼が立ち寄ると、墓には小さなブルーの花が捧げられていました。
エルヴェ青年は、その手紙をマダム・ブランシュに訳してもらおうとしますが、彼女は住所を誰にも知らせずにパリに定住していました。

パリの、これと思われるような館(やかた)のドアをすべてノックして探し廻ったあげく、やっと彼はマダム・ブランシュを探し当てます。
エルヴェ青年の求めに「もし2度と私を訪ねないと約束してくれたら、この手紙を訳して差し上げます」とマダム・ブランシュは応じます。

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十兵衛の妾が書いた長い手紙はエルヴェ青年の心を揺さぶる熱烈な愛の告白でした。
その後でマダム・ブランシュは秘密をエルヴェ青年に打ち明けます。

この秘密をここで話してしまうと、あなたがこの映画を観る楽しみが半減してしまうので僕は言いません。

秘密を打ち明けてから、マダム・ブランシュはエルヴェ青年に言います。
「あなたの奥様は、あなたを本当に心から愛していましたわ。」

しかし、彼の妻は、もうこの世の人ではありません。
でも、彼は悟るのでした。 本当に愛していたのは十兵衛の妾ではなく、妻のエレーヌだったと。。。

この映画は詩的で、恐らくあなたも心を揺さぶられるだろうと思います。
日本のシーンは日本で撮影しているので、海外で見るとマジで日本の自然や景色が懐かしくなります。

映画を観終わった後で感じるのは多分次のようなテーマじゃないでしょうか?


(silk07b.jpg)

Obsession is not love,

but it's more like illusion.

Love is real and

it's more like devotion.

「オブセッションは愛なんかじゃなく、

どちらかと言えば幻想です。

愛はもっとリアルなもので、

どちらかと言えば相手をいつまでも

思いやるということです。」




あんさん!。。。 最後に、えろうキザなことを書きましたやんかァ〜。。。、 この映画を観やはってぇ、あんさんはマジで上のような感想を持ちはったん?



そうやァ。。。

そやけど、チエホフがどこにも出てきよらんでぇ〜。。。 あんさんは、どないなわけで「チエホフとシルク」というタイトルをつけはったん?

あのなァ〜、わては映画を観てマジで次のように思うたのやァ。


(silk03.jpg)

エルヴェ青年は、なぜ、これほどまでに

十兵衛の妾に魅了されてしまうのか?

彼女とは、ほとんど言葉らしい言葉を

交わしていないのです。

もちろん、肉体関係もありません。

常識的に考えるならば、

同衾した相手の女性に

心が惹かれるでしょう!



この疑問とチエホフが関係あるのォ〜?



それがあるねん。 かつて、わてはチエホフの次のエピソードを読んだことがあるねん。。。



(chehogh3.jpg)

チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


(chehogh4.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



237−239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『美しい日本語』にも掲載。
(2013年3月16日)


 (すぐ下のページへ続く)


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